落語界の大御所の一人で、
戦後衰退していた上方落語を復興させた
「四天王」の最後の一人、
三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、
本名河合一〈かわい・はじめ〉)さんが
1月9日日午前0時11分、
心不全のため大阪市内の病院で死去した。
85歳だった。
1947年、父の二代目春団治に入門。
父の死後、29歳で三代目春団治を襲名した。
六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、
三代目桂米朝(いずれも故人)と共に、
一時は滅亡寸前とまで言われた上方落語を
隆盛に導き、「四天王」と称された。
持ち演目は「子ほめ」や「野崎詣り」など
多くはないが、高座一筋に鍛錬を重ね、
妥協のない格調高い落語で知られた。
60年以上にわたり現役を続け、80歳を過ぎ
てもファンを楽しませた。
最近は体調を崩し、高座から遠ざかっていた。
高座に登場して両袖を引いてすっと羽織を脱ぐ
姿が絶品だった。舞踊の山村流、藤間流の名手で、
しぐさに踊りの素養がにじみ出た。
上方落語協会会長や関西演芸協会会長も務めた。
98年紫綬褒章。
グォォオオオ…ゥゥ…。
逝ってしまった…ぁ。
ナマ高座は聞いたことがなくて
テレビばっかりやったけど、
なんとうか
いつまでも色っぽかったなぁ。
三枝が文枝を襲名した時の番組で、
バーで飲む姿が粋なお爺ちゃんでなぁ。
夜の街でモテモテやろうな。
って感じで…。
一門といえば…
福団治は懐かしの「大銀座落語祭」で聴いたし、
小春団治は新作落語で冷蔵庫の噺がオモロイ。
梅団治は最近ご無沙汰してるけど
「文我・梅団治二人会」に何度か行ったなぁ。
戦後、上方落語の復興を牽引(けんいん)した四天王のひとり。
豪快な六代目笑福亭松鶴、
はんなりした五代目桂文枝、
知性の桂米朝に対し、
春團治は華麗と称された。
大きな大きな一つの時代が
ほんまに終わってしもうた…。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
追悼特番
NHK総合
17日 午前7時45分~(関西地区のみ)
「上方落語の会 桂春団治さんをしのんで」
演芸研究家の小佐田定雄氏(63)が司会を務める
「上方落語の会」に2011年8月、出演した時のものに、
桂春之輔のインタビューを新たに収録した。
NHK Eテレ
17日 午後2時~
「皿屋敷」
【その2】師匠のネタは完成度が高いですが、高座にかけるネタの数は少ないですね。30年以上もまえのことですが、1ヵ月間に師匠の「代書屋」ばかり3回連続で聴き、噺を覚えてしまいました。
【その3】これも30年ほどまえのことです。阪神電車に乗ったら、向かいの席に銀縁でスモークのかかったメガネで、地味な柄のブレザー姿の、ちょっとこわもてのオジサンが足を組んで座ってました。そのオジサンはおもむろに隣に座る若者にシブい声で話しかけました。「お前、どこに住んどるねん」、「はっ、はい師匠。大阪市内です」。この若者が林家染吉(現・染二)、こわもてのオジサンが春團治師匠だと声を聞いて気が付きました。
【その4】取材で春團治師匠のご自宅を訪ねた知人がいます。「いやー、とても著名人の自宅とは思えない小さな家やねん。ほんま失礼やけど、同じような小さな建売住宅並んでてその1軒やねん」
【その5】今週月曜日(1/11)、桂しん吉さんの落語会の帰りに、大阪天満・堀川戎に寄りました。総領弟子の福団治さんがニコニコしながら福笹を授与されてました。これは毎年恒例になっています。ところが師匠は1/9に亡くなっておられたんですね。ということは福団治さんは悲しみで打ちひしがれておられたはず。つらいですねぇ。
オオ~~!!ヒァァア!!スゲェェエ!!
数々のエピソードを有難うございます!!
さすがに熊さんは色んなことを経験してはりますね。
アッパレじゃ!
こわもてのオジサン(笑)
あ!染二も春團治一門ですか!!
どうりで…いやいや、個性派揃いやないですか!!
時々染二の落語が聞きたくなる時があるんですヨ。
福団治さん…そうでしたか…お辛かったでしょうね…(涙)
落語会を終えての帰りのようすでした。
そうでした!
ちょっと考えたら判るのに、
なんも考えてなくてすみません…ぅ。