今日は、山の日。
お瀧の祭でした。
昔は、一日中山の中で、お昼にはおにぎり弁当を持って上がって、順々に瀧に入っていたそうです。
子どもたちが小さいころ、かわいい修行着を着せてお瀧に入らせてもらっていました。
私は専らお世話だけ。
水害を境にお祭りは本殿ですることになりました。
水害で埋もれて小さくなった瀧には、入ろうと思う人だけ入ります。
お祭りの後、おじいちゃんがお加持をしてくれるのですが、まず、膝の上に両手を重ねて(手のひらは上向き、左手の上に右手を重ねる)親指を合わせ、深い呼吸を三回します。
左手は神様の手、その左手で自分である右手を包む。
その後、親指は離すことなく合掌してお加持をしてもらう。
お加持の後は、九字を切るときの陳(ジン)の型のように手の指を内側に折り込み親指と人差し指で輪っかを作り両手の輪っかを絡ませる。
指を内側に折り込むことは、我を折ることを意味する。
自我を無くし全てを神におまかせする。
心を無にするということは、なかなかできるものではない。
雑念が次々に沸いてくるものだ。
信じること、おまかせすることもそうだ。
単純なようで難しい。
信じるものは救われるという言葉を今までは聞き流していたが、それは、真実のことだと思う。
死んだおじいちゃんにお加持をしてもらったことがある。
しかし、その時の私には意味がわからなかった。
おじいちゃんにお加持をしてもらって、助かった・楽になったという人はたくさんいた。
この年になって、お加持は、受け手が純粋な心で信じおまかせするときに御蔭を受けられるものだということを理解した。
頭ではわかっていても実際に経験してみないと本当には理解できないものだ。
信じること。自分を信じること。素直な心でいること。
簡単なようで 難しい。