沼田まほかる 著
ホラーサスペンスであるが、下地にある仏の教えと考え方が実に深い。
主人公の一人、僧の浄鑑が誦経する場面は、その極楽の描写が目に浮かび、
こんなにも美しいものだったのかとしみじみさせられる。
「アミダサマ」とは何か、という問いに「ない」と答えるのも分かる。
人が人として考えたり、作り出したりするものには限界があるのだ。
どんなに素晴らしい宗教美術も、真実にたどり着くことはできない。
その一方でたどり着こうとする一途な想いが芸術を支えてきた。
そんな仏を守りつつ暮らしていた親子のもとに現れたミハル。
廃車置き場に捨てられた冷蔵庫の中に閉じ込められ、息も絶え絶えの姿で
浄鑑と、ミハルの“コエ”に導かれてきた悠人によって発見された。
悠介がミハルとかかわる危険を感じ、遠くへ養子へ出したと嘘をつき、
母とともに手もとで育て始めた浄鑑。
わが子以上にミハルをいつくしむ母と浄鑑との3人暮らしは平和に続くかと
思えたが、異変が始まる。
猫が死に、村の様子が少しずつ変化する。そのじわじわと迫りくる怖さに
『ゴサインタン―神の座』を連想した。
ミハルと引き離された悠人のやりきれない暮らしぶりや、祖父とのかかわり、
そしてキーパーソンとなる律子の愚鈍なようでいて真実をみる力。
結局ミハルとはなんだったのか、悠人はミハルの兄だったのか、その力とは。
何もかもはっきりとはせず終わってしまうのだが、大きな願いが成就したような、
不思議な満足感が残った。
ホラーサスペンスであるが、下地にある仏の教えと考え方が実に深い。
主人公の一人、僧の浄鑑が誦経する場面は、その極楽の描写が目に浮かび、
こんなにも美しいものだったのかとしみじみさせられる。
「アミダサマ」とは何か、という問いに「ない」と答えるのも分かる。
人が人として考えたり、作り出したりするものには限界があるのだ。
どんなに素晴らしい宗教美術も、真実にたどり着くことはできない。
その一方でたどり着こうとする一途な想いが芸術を支えてきた。
そんな仏を守りつつ暮らしていた親子のもとに現れたミハル。
廃車置き場に捨てられた冷蔵庫の中に閉じ込められ、息も絶え絶えの姿で
浄鑑と、ミハルの“コエ”に導かれてきた悠人によって発見された。
悠介がミハルとかかわる危険を感じ、遠くへ養子へ出したと嘘をつき、
母とともに手もとで育て始めた浄鑑。
わが子以上にミハルをいつくしむ母と浄鑑との3人暮らしは平和に続くかと
思えたが、異変が始まる。
猫が死に、村の様子が少しずつ変化する。そのじわじわと迫りくる怖さに
『ゴサインタン―神の座』を連想した。
ミハルと引き離された悠人のやりきれない暮らしぶりや、祖父とのかかわり、
そしてキーパーソンとなる律子の愚鈍なようでいて真実をみる力。
結局ミハルとはなんだったのか、悠人はミハルの兄だったのか、その力とは。
何もかもはっきりとはせず終わってしまうのだが、大きな願いが成就したような、
不思議な満足感が残った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます