今回の内容は、前回の続きともいえるだろう。「戦争という最も観念的な出来事においてこそ、かくまで現実的なことを言うことに意味があるのだ。」と、あの池田さんらしいドラスティックな倒置表現のある文からである。
5 人が国家を「存在する」、自分はそこに属すると「思う」、この思い為しこそが国家を存在させ、存在もしない国家を守るために闘おうという驚くべき本末転倒になるのだ
人が、そうとは思わなければ、戦争など、そも起こるはずがないのである。だって、何者でもない者同士、いかなる理由があって殺し合うのですか。(『残酷人生論』「アイデンティティーという錯覚」より)
5 人が国家を「存在する」、自分はそこに属すると「思う」、この思い為しこそが国家を存在させ、存在もしない国家を守るために闘おうという驚くべき本末転倒になるのだ
人が、そうとは思わなければ、戦争など、そも起こるはずがないのである。だって、何者でもない者同士、いかなる理由があって殺し合うのですか。(『残酷人生論』「アイデンティティーという錯覚」より)