池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「億万長者の責務」という題でした。
「人間にとって正しいお金の使い方とはどのようなものか。大金持ちの人々から、まず範を垂れてもらいたい。そのために、お金を使うことを法律で義務化するのはどうだろう。稼いだ分の半分を一年以内に使いきらないと、税金でもってゆくということにするのである。」
いつも形而上か形而中で本質的な言葉を発する池田さんにしては、随分形而下に近い話でした。
普段の池田さんの謂い方は、法律にしろ、税金にしろ、お金にしろ、国家という観念を前提に生み出したものだというものですから、法律でお金の使い方を規制するという発想は、かなり庶民の感覚に近づけて仰っているのでしょう。
でも日本の法律でお金に関する規制をすれば、お金は規制のない海外へ逃げるだけですし、それをさらに規制しても、いたちごっこになるだけでしょう。
庶民のお金への執着は、池田さんの予想を上回っていると思います。
それでも本文の最後の方にある「税金は社会への寄付」という表現は、池田さんならではですね。税金を払うことを国民が名誉に思うだけで、社会は随分浄化するような気がします。
(来週の更新はお休みします)
「人間にとって正しいお金の使い方とはどのようなものか。大金持ちの人々から、まず範を垂れてもらいたい。そのために、お金を使うことを法律で義務化するのはどうだろう。稼いだ分の半分を一年以内に使いきらないと、税金でもってゆくということにするのである。」
いつも形而上か形而中で本質的な言葉を発する池田さんにしては、随分形而下に近い話でした。
普段の池田さんの謂い方は、法律にしろ、税金にしろ、お金にしろ、国家という観念を前提に生み出したものだというものですから、法律でお金の使い方を規制するという発想は、かなり庶民の感覚に近づけて仰っているのでしょう。
でも日本の法律でお金に関する規制をすれば、お金は規制のない海外へ逃げるだけですし、それをさらに規制しても、いたちごっこになるだけでしょう。
庶民のお金への執着は、池田さんの予想を上回っていると思います。
それでも本文の最後の方にある「税金は社会への寄付」という表現は、池田さんならではですね。税金を払うことを国民が名誉に思うだけで、社会は随分浄化するような気がします。
(来週の更新はお休みします)