哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

男女は平等である(週刊新潮今週号の「人間自身」)

2006-10-01 08:07:40 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「男女は平等である」という題でした。



「男も女も、生きている者は必ず死ぬ。完全に平等である。本当に大事なことにおいては、男女平等は最初から実現しているのである。何が問題なのだろうか。問題は、生活条件の改善、ならば改善すればよいのである。
 自分を性別と思い込むのは、自分を日本人と思い込むことの不自由と同じである。「哲学的には」、属性と本質というのが明らかに存在する。人間の本質は自由である。不自由になるのは、自らを属性と思い込む以外に理由はない。」




 「男女の性差による問題の一般化」は、池田さんにとっては「他人の問題」だそうです。そのような「属性」は「本質」ではないからです。

 上にも引用した通り、池田さんは「属性」と「本質」を分けて考えることを徹底します。「国家対立」も「宗教対立」も「民族問題」も「人種問題」も、池田さんに言わせれば、全て「属性」の問題であって、決して「本質」の問題ではないということでしょう。「嫌韓流」なども論外です。



 ただ、上の文で一点わかりにくそうなのが、「問題は、生活条件の改善、ならば改善すればよいのである。」というところでしょうか。

 「それが差別により、個人の力でなかなか改善できないから問題なんだ!」と言われそうですが、池田さんの「本質」的観点から言っているのは、そういうレベルではありません。


 人間は「本質」的に「自由」ですから、自ら人生を選択できます。問題が生活条件の改善であれば、まさに改善するのが目的だから、改善するように選択をすればよいのであって、「属性」の問題ではありません。

 この辺がわかりやすいのは、『帰ってきたソクラテス』のフェミニストやサラリーマンの章でしょう。