哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

国家の品格(週刊新潮今週号「人間自身」)

2006-08-12 07:00:00 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「国家の品格」という題でした。前回の続きのようです。主な文章を要約しつつ抜粋します。


「かの国の言動をもって、正気ではない、と非難するだけの資格がこの国にあるだろうか。我々がかの国と同じ状態だったのは、たった六十年前のことである。根拠のないひとつの観念を絶対と思い込み、その観念を守るためには全員で死ぬことを辞さない。被害者意識が選民意識に反転した集団が、追い詰められると何をするか、一番わかっているのは、あるいはこの国の我々である。
 しかし一方で、正気の国へと転じたとされるわが国は、天から降ってきた民主主義という観念を思い込んでいる。親が子を殺し、子が親を殺し、そうでなければ稼ぐが勝ちだ。こういう社会は、ひいき目に見ても正気ではない。
 あらゆる国家が多かれ少なかれ正気ではない。アメリカを筆頭に、どの国も自国の利益を正義と言い張って譲らない。これは当然である。国家であるということは、それだけで必ず狂気なのだ。
 とはいえ存在するのは、集団という観念でしかない存在に、自分が帰属していると思い込む、一人一人の人間の狂気である。国への侮辱は、自分への侮辱である。かくして狂気は拡大してゆく。」




 あいかわらず、端的で明快なするどい文章ですね。「親が子を殺し、子が親を殺し、そうでなければ稼ぐが勝ちだ。」という世相の斬り方もあざやかです。端的な文章でかつ、流れに論理破綻もなく、考えに一点の曇りもないのが、池田さんの「透徹」な文章なのです。但し、国家は「狂気」であると端的に言ってしまうので、賛同しない人も多いのですけど。

 「民主主義という観念」に否定的なのは、一瞬右っぽく聞こえますが、「国家の観念」を狂気と言っているので、やはり池田さんはもっとラディカルなのです。


 ところで、たまたまですが最近古本屋で、池田さんが惚れている小林秀雄さんと、有名な数学者の岡潔さんとの対談本を見つけて読みました。すると驚いたことに、岡潔さんは、神風特攻隊の精神を日本民族の優れた点として最大の賛美をしているのです。自我を捨てて死ねる民族は日本以外にない、欧米人にはできないと。岡潔さんの他の本も見てみましたが、かなりの民族主義のようでした。

 数学者の思考回路は、表題と同名新書の著者と同様、国家や民族の観念については共通するのかと、その類似性に少々驚きました。