かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ある出会いの記録(1)・・・・ネットサーフィン

2015-06-28 07:31:30 | わがうちなるつれづれの記

つい、先日近所に住む下野和子さんから母上の介護を

6年やって、見送ったという体験談を聞かせてもらった。

母上は老年期の認知症だった。

話を聞きながら、認知症というのは、あらためてどんな

ことを言うのだろう?

また、人間というのは、何をもって人間というのだろう、

という感慨をもった。

 

ふと、こころの奥のほうに蔵っていた人、女の人だけど、

が思いだされた。

彼女は2012年の夏、突然ぼくの、このブログにコメントを

してきてくれた。

「ネットサーフィン」して、辿りついたとか。

はじめて、「ネットサーフィン」というようなことがあるのかと

思った。

ninjinという人、こういうのをなんというのかな、ハンドルネーム?

プロフィールは明かされなかった。

コメントに表現されているninjinさんの気持ちが伝わってきた。

ブログを通して、交信がはじまった。

 

2012年の11月末、ぼくは思いがけず心肺停止状態になり

生死の間を彷徨った。

ところが、その12月、ninjinさんから「私も診断されました」

というコメントが届いた。

若年性認知症と診断されたというのだった。

それから、2014年の春まで、ブログを介して、交信してきたけど、

さいご、パソコンが一人で扱えなくなったとして、ネット上の

おつきあいはなくなった。

 

このことは、ぼくのなかにその時の記憶として、置いておくか

なあ、と漠然とおもっていた。

でも、いま認知症とはどんなこというのか、人間ってなにを

いうのか、という問いがでてきていて、そこを考える、

ほんの、ほんのわずかな記録だけど、のこしておいても

いいかな、とおもったのですが、ninjinさん、どうでしょうか?

 

      *              *             *

2012年8月19日 ninjin→katatumuri 「社会の自由と言う言葉を聞いて」

 

  ネットサーフィンをしていて、こちらにたどり着きました。

  面白いなあと思って読ませていただく内に、ふと思い出した

  ことがあります。

  私の住む町は、結構な都会で、駅前などは夜になると、いわゆる

  ホームレスと呼ばれる人が集まってきて駅のガード下に段ボールの

  テント村が出来ます。

  人出が去った後ぐらいにちょっとした宴会が始まっていることもあり

  寒い夜などには、たき火をして暖をとっていたりします。

  ある時、当時17歳になった息子とその側を通りかかって、何気なく

  「お母さんは、あのような人たちが、いつでもしっかり食べられる食堂と

  、いつでもゆっくりと手足を伸ばして入れるお風呂と、あたたかく眠れる

  場所があったらいいなあと、思うのよ。そういう仕組みが出来ないもの

  かしらね」と言ったことがあります。

  そうしたら、息子は

  「僕は、・・今日みたいに寒い夜にもう一枚の段ボールを持ってきて

  これを使ってください>と言う人がいればいいなあと思う」

  と言いました。

  社会の自由と言う言葉を聞いて、なんの脈絡もないのですが、このときの

  ことを思い出しました。

  面白い反応が自分の中に起きるものだなあと思いました。

  その息子も今年38歳になります。

 

2012年9月8日 katatumuri→ninjin  「息子さんの反応」

   なによりも、ここが無くては、といま、息子さんの反応をかみしめて

  います。

  一見、実際ということからみたら、「ダンボール一枚」では、その人の

  寒さをしのぐには、いかにも子どもじみている。

  実際というのは、どこにあるのだろう。

  息子さんの実際の世界は、ダンボール一枚でも、かけてやりたい、 

  という気持ちが起きてきたことにあるのでは・・

  そこからのものがない、対策とか施策は、かりそめのもになるのでは

  ないかなあ。


ninjinさんとの交流は、こんなところからはじまりました。

                 (つづく)

 

 <水彩画  岩田隆画伯>
 
  

 


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