かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

晴れわたる

2015-06-26 11:24:22 | 家族あれやこれや

夏至の夕方、晩ごはんまでゆっくり本を読めると、居間で

読みはじめた。

玄関からチンコーンと呼び出し音がして、孫の和(わたる)が

ドタドタと姿を見せた。ついで、母悠海(ゆうみ)さん。

 

きょうは、子どもを持つお母さんが子育てのことなど話合う会が

鈴鹿カルチャーステーションであった。

その帰り、きょうはわが家で夕食をする日。

お母さんは、台所でパスタをつくりはじめた。

わたるは、居間にいるジジのところにやってきて、スマホを握って、

しばしいじる。

「はい、ちょうだい」と手を出すと、すっと返してくれる。

こんどはノートをつかみ、飽きるとポイと座卓の下に落として

いく。

カルタの箱を開けて、カードを床にぶちまける。

本人はぶちまけるなんて、これっぽっちも思っていないだろう。

手の届くものは、つかんで引っ張り出して、床に置いていく。

コップなど危ないものは、手の届かないところに移していく。

 

そのうち、わたる、何をおもいついたか、ぼくがいつも横に

なって寝ているソファに横になり、枕に頭をおいて、ぼくを

見て、うれしそうに笑ってきた。

想像するに、わたるが部屋に入ってくるとき、ジジはソファで

横になっているときが多い。

もしや、その真似じゃなかろうか。わからないけど。

 

ベランダでわたるといたら、孫の晴空(はるく)が寄ってきた。

わたるにあったら、とってもやさしい表情になった。

「ちょっと、部屋に行くわ」

 わたるは、晴空がやってきたら、満面の笑み。


そのうち、晴空の友だちの女の子もやってきた。

わたるを”抱っこ”にかかる。

「わたしに抱かせて」「いや、わたしが先」

わたるは、もみくちゃ。

女の子は中島家のうららとくるみ。それに、近所の女の子。

ひとしきり、遊んで居なくなった。

そうしたら、晴空がも一度もどってきて、わたると遊んでいた。

 

晴空は娘桃子の子。

和(わたる)は、小浪の息子秀剛の子。

わたるは、ときどきわが家にごはんを食べに来る。

晴空とわたるは、これまで会っているだろうけど、

あんまり遊ぶ、というか、晴空がわたるを可愛がる

と言う感じが見られなかったけど、その夕方はそんな

様子が見られた。

 

あとで、ふとおもって、晴空とわたるが、いっしょに遊んだら、

「晴れ渡る」だあ!

 

 

 

 

 

 

 

 


おもえば早かった・・・

2015-06-26 08:44:18 | わがうちなるつれづれの記

きのう、萩原秀子さんから「白鳥章司さんが、昨夜11時亡くなった」

とメールをもらった。

治療はやめて、自宅で療養と聞いて、「よかった」と言う気持ちと、

流れに身をまかせるという悲しみをともなうような敬虔な気持ちが

混在した。

 

昨年7月、小浪と二人でお見舞いに行った折は、車で仙台駅まで

迎えにきてくれた。

改札を出たあと、どこで落ち合うかはっきりしてなくて、改札口

付近をウロウロしているとき、人の行き交うなかに白鳥さんを

見つけたときは、ほんとに感動した。

家で寝ているもんとばかり思い込んでいた。

「いやあ」と白鳥さんは、控えめではあるけど、人を安らかに

させるような微笑で迎えてくれた。

あとから、牧美さんもやってきた。

「じゃあ、駐車場へいきましょう」と白鳥さん。

どんどん、歩いていく。

追いつくの精一杯。

 

おもえば、そのときから1年だ。

早かったといえば早かったともいえるけど、その間の

白鳥さんや、牧美さんのこころのうちがどんなだったか、

はかることなんてできないので、静かに白鳥さんの死を

もうすこしいえば、息を時間をかけて引き取っていきたい

とおもっています。

牧美さん、またどこかで、秀子さんとかと、ゆっくり話しましょう。

白鳥さんを偲びましょう。

そうして、ぼくらのなかの白鳥さんを散々笑わせてあげましょう。

 

葛飾北斎が死ぬときの、辞世の句というのがあります。

人は、死ぬまえにいろいろな思いが出てくるのでしょうが、

こんな死に際や、死んだあとを描くのも、生きているものには

こころに響くもんですね。

 

 ひと魂でゆく気散じや夏の原      北斎