かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

かかりつけ

2014-12-27 14:53:20 | アズワンコミュニテイ暮らし

  鈴鹿市では市民に各自かかり付け医をもつ

 ようすすめているという。

 

 秋、入れ歯が不具合になったとき、かかり

 つけの歯医者さんが長期で休診していたので、

 別の歯医者さんにかかった。 

 治療もやりながら、入れ歯の調整をしてもらったが

 2ヶ月、歯茎の痛みが治らなかった。

 悩んだ末、かかりつけの歯医者さんに移って

 受け入れてもらい、調整もすすみ、痛みも治まり、

 なんとか年始を迎えられそう。ホッ・・・

 

 ”かかりつけ”の理容師さんがいる。予約が簡単、

 急所を押さえて短時間に仕上げてくれる。

 せっかちのぼくに最適。気ごころも知れて、遠慮もない。

 高倉健さんも、いつも行く理容店があったという。

 俳優並み。いいなあ。

 

きのうは、12月27日は妻の誕生日。

その夜、鈴鹿市の街の東端にあるフレンチのレストランに

行った。

お店の前の駐車場に車がなかった。

「もしかして、ぼくらだけ?」

お店に入ったら、予感的中。

オープンキッチンになっていて、50代ぐらいのシェフと

ウエイターの女の子が迎えてくれた。

キッチンの前の席にふたり座った。

「あれ、けっこう、よくない。ぼくらのために、おかかえの

シェフがデイナーを作ってくれる。しかも、お好みまで

きいてくれる」

運ばれたお皿の上には、とても芸術的な盛り付けの

お料理が乗っていた。

二人だけのためにつくってくれた・・・

とても、ゆったりいただいた。

ガツガツというようなリズムになりかけると、ゆっくり

ゆっくりとこころのなかで呟いた。


”かかりつけ”、といい、”おかかえ”といい、自分や

自分たちとか、顔や気心知れた間で治療とか

理容や食べることが用意される、そんな感じだろう。

悪くないなあ。いや、こんな感じが心地いいなあ。

誰でも、こういう環境がもたらされたらいいだろうな

と思う。


誰でも、とおもうと、たまたまそういう環境があったから

とか、そういう条件が揃っていたからというのでは、

不安定で、誰でもという世界に広がっていかないのかな。

 


また、カラダの健康でも、食材でも、技でも、実際そのときの偶然で

出来たというより、自然の摂理や先人たちが積み重ねてきた

文化から引き継がれ、もたらされてきたもの。

この人は享受できるけど、この人には享受できないとか、

お金の有る無しとか、学歴がどうの、とか、これによって

そういうことはないはず。


環境や条件が、一人ひとりを大事にし、心地よく、

満ち足りたものを一人ひとりにもたらすものでなければ、

不完全ではないか。誰でも、ということにはならない。

 


それにしても、そういう方向へ行くためにも、心地が

いいとか、満ち足りたという気持ちが自ずから湧いて

くるところから、はじまるのかなあ。

 


 


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