かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

あたりまえのことが

2014-05-23 07:45:52 | アズワンコミュニテイ暮らし

スマホを使いはじめてもう2ヶ月になろうとしている。

コミュニテイで暮らしている人たち一人ひとりが

スマホを使って、やってみようとなったのだった。

「ええ、そんなことできるかな」恐る恐るだったが、

チャレンジの面白さもあった。

スマホを持っている人とはラインという通話方式で

やりとりする。だいぶ、馴れてきた。

妻は北海道で暮らす息子とラインで話をしている。

料金は要らない。心ゆくまで話している。

パソコンも、スマホを使って「テザリング」という方式で

インターネットを接続できる。

だいたい、インターネットなどの仕組みのことがぜんたい

分かっていない。分かる人から説明してもらうのだが、

日本語は分かるが、そのことがどんなことか、ピンと

来ない。カタカナのコトバが出てくると、迷路に入ったような

情けない気持ちになったりする。

それでも、やっと、「それで、やれるかな?」となりつつある。

 

先々の予定も手帳を使っていたが、「グーグルカレンダー」と

いうものがあると知って、使い始めている。

予定を書いてあっても、たいがいはその時になって、ポカっと

忘れることがある。これはスマホの機能とは別のこと。

一日の何度も、そのカレンダーを開いている。

開いて、「この時間だな」と確かめても、そのとき何かに気が

行くと、うっかり忘れてしまう。まだらボケというのかな。

スマホは有難いのか、物忘れを助長するものなのか。

 

妻が、最近何か変わってきている。

「江口夫妻と伊藤夫妻、夕食に呼んでもいい?」と妻。

「・・・・(エッ)・・ああいいよ、小浪がそうしたいなら」とぼく。

 

いままでの感じ。

「この人夕食に呼びたいんだけど」とぼく。

「えっ、いつ?」と妻。その後、「うーん」といろんな都合が

出てきていた。

「自分中心なんだから」みたいなこともつぶやいたり・・・

それが、小浪のなかで何が起きているのだろう?

 

江口さんが、肺がん手術で1ヶ月ほど入院していて、退院して

きた矢先、奥さんの公子さんが乗っていた自転車が転倒して、

左大腿骨の関節を骨折した。

人工関節を入れることになり、今度は公子さんが入院。

江口さんが一人、家に残されることになった。

 

周囲の人たちもぼくも、退院してきたばかりの江口さんの

暮らしのことを考えた。

公子さんの希望。

「父ちゃんは一人で暮らすのは、ご飯も作れるし心配して

いないんよ。人に接することがなくなり、家に籠もるような

感じになるのが、ねえ・・・」

ご近所の奥さま方が、何やら談合して、江口さんのところに

出かけていって、ご飯を作って食べる日や、何軒かのお宅に

いって食べる日が、いとも簡単に決まったらしい。

わが家は火曜日。

妻はあったりまえのように江口さんを受け入れていた。

「あんた、ご飯よ!」

妻の采配で、テーブルにつくという雰囲気。

江口さんも、寛いで食事をしていた。

「うまかった、もう行くわ」

江口宅とぼくらの家は歩いて3,4分。

ちょっと、描いてみたら、江口さんにとっては「離れ」で食事

してきたとも言えないかな。

あと何軒かの家もそんなふうじゃないかな。

 

水曜日は、若い人たちが食べにくる。

来る来ないは、一人ひとりだけど、来たときは”我が家”に

いるような、そんなふうじゃないかな、というように、

寛いでいる。

自分たちの気の置けない話題でおしゃべりしたりしている。

「小浪さん、これ美味しいっすよ!」

思いついたように言ったりする時もある。

 

ああ、いまマンションの玄関チャイムが鳴った。

出て行くと、2階の純奈ちゃん。

「車、借りたいんだけど・・・」

妻、車で何処かに出かけている。

「じゃあ、連絡してみるね」

ラインで小浪を呼び出すも、出ない。

使いたい時間までは1時間ほどある。

「もう少し連絡とってみるので、それまで待って」

繋がらなければ、いかなスマホも便利とはいえない。

電話に出ないことが。たびたびあるんだよなあ。

と、ぶつぶつ思っていたら帰ってきた。

スマホを車のなかにおいて、畑で作業していたという。

 

どれも、これも、人と人の間でいろいろな気持ちが起こり、

それぞれが何かをしている。

その時に、遠慮や気兼ねみたいな、こころの状態があると

なんか窮屈だろうな。

なんでも言い合えるお互いだと、楽だろうな。

育って来た過程を振り返ると、そうじゃないほうで固まって

来ているのを感じる。

 

何があたりまえか、何度でも自分の心の健康正常について

観察していきたい。

 

このブログ、かたつむりつれづれ。

ぼちぼち、あちこち、と言う感じもあるよね。

何日か前に子どもの詩を読んでた。

そこから、こんな日々のこと、だらだら書くことになった。

 

      あたりまえのことが          小五 女

  食べられること

  ねむれること

  学校へ行けること

  友達と遊べること

  家族と話せること

  大人が仕事すること

  健康で安心なこと・・・・

  それはあたりまえだった

  それが幸せに変わった

  平成七年一月十七日

  阪神大災害が私に残したこと

 

 

どんなことを当たり前と言うんだろう?

3・11以後、この辺、とくと、じっくりしらべたい。

そこが違ったら、まったく違うものになってしまう

感じがして・・・

それが幸せに変わるんだったら、尚のこと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


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