かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

辞世のアマリリス

2015-03-27 10:47:09 | わがうちなるつれづれの記

 40年来の隣人が亡くなった。

 知らせを聞いたとき、寂しさにつつまれた。

 身近に感じている人だった。
 死は身近になっている。
 でも、死は体験できない。どこまでいっても、
 他人事。
 
 彼にはじめて会ったときは、失明しかかっていた。
 手を施しても、叶わないまま、失明状態になった。
 マッサージの手技をものにして、淡々と暮らして
 いた。
 多くを語る人ではなかった。弱音を聞いたことがない。
 彼の心のうちには、当時、関心がいっていなかった。
 
 身近に暮らす時期もあった。
 彼は植物には、学者さんのように博学だった。
 花を育てていた。
 いっしょに近くの植物園に花の苗など買いに
 行った。陳列してある花の名前を言うと、
 いろいろ質問して、じっくり考えて、買うもの
 を決めていた。
 上手に育てていた。
 その花の姿は、目では見えないのに、彼は丹精に
 手入れをした。素人目にも、きれいに仕上がって
 いた。

 昨年5月、角膜手術が成功して、目が見えるように
 なったと聞いた。
 彼を訪ねたときは、テレビを見ていた。
 当たり前の光景に、なにか嬉しい気持ちだった。
 「ぼくは、どう見える」とか、はしゃいだ。
 帰りがけに、彼が手がけたアマリリスの鉢を
 もらった。まだ、蕾だった。
 部屋に置いていたら、ある日、花が開いた。
 三つも四つも開いた。

 あれから、1年も経っていない。
 あまりにも早い死ではないか!
 ”息を引き取る”という言葉がある。
 いま、彼との間でその実感はない。
 ぼくのなかには、杖をたよりに、まちの
 なかを、一歩一歩歩く彼の姿がある。
 今、ぼくも一歩ごとに、息をととのえながら
 歩く状態のときがある。
 一歩一歩が、あってこそ、そこにいたる。

 どこへ。
 息を引き取るは、そのいのちを受け継ぐこと。
 彼のなにを、受け継ぐのか。
 目には見えないけど、人として大事な世界へ?

 ことし、アマリリスは咲くだろうか?
 あの世では、その辺、語り合いたいなあ・・
 
 

 

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