察する力。

 NHKの週間ニュースの途中『緊急地震速報』が発令された。……以後、NHKでは午後一時過ぎまで地震の速報を流し続けた。私も週間ニュースからずっと見続けることになった。

 続々と入る現地の情報。奥州市のコンビニ店の店長への電話取材も早かった。おそらく発生から一時間半くらいだったろう。

 インタビューを終える時、アナウンサーは言った。
 「片づけなど大変な時間に、ありがとうございました。余震に気をつけて片づけてください」--さすがNHKのアナウンサーだと思った。
 相手はすぐに「ありがとうございます」と答えた。

 ともすれば情報だけを伝えることに主眼が置かれて、被災した相手の立場や状況を察する余裕などないのが普通だろう。かのアナウンサーの最後の相手への労りの言葉は、彼のお人柄ゆえの言葉なのだと思った。
普段からこのような一つの現実の裏側や周囲のことを察する訓練ができていないと、相手への慮(おもんだばか)りはできぬ。

 こういう対応ができるアナウンサーなら、こちらも番組を見ていて信頼できるものだ。
 刻一刻と変化する状況に、見事に対応するのはとても大変だったろうと思う。彼が帰宅して大きな役割分担を果たして飲むビールの味は、事件が事件だけに今日は美味しくないだろう。しかし、グッと飲んでゆっくり休んでいただきたいと思う。
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コメント
 
 
 
ありがとうございました。 (小川亮昌)
2008-06-16 00:51:29
第32回弘法大師をたたえる夕べでのお話し、楽しく聞かせて頂き且つ感動致しました。ありがとうございました。写仏は初めてやりましたが、老眼鏡を忘れて苦労いたしました。誘った檀家さんにお寺でもやって欲しいと言われ、善処しますと役人になりました。
薬師如来始め、仏さまって何だ?はなるほどと近代的な僧侶の私は感心。仏さまならどうするは、人間がするわけですから、仏さまのような人とはどういう人かと言うことですよね。私はそれは、ひとつは自己の心が制御(コントロール)できること。もう一つは他者配慮。かな~と思い、むしゃくしゃしたから、イライラしたから、誰でも良かったと殺人にまで及ぶ今回の秋葉原のような事件は自己コントロールができていない人とします。仏さまのような人と対極にある鬼のような人とみなします。身口意が一致していない、否、犯行に及んでいる時は鬼となって一致しているかも知れない。三業ですけれど。
他者配慮の他者は人間だけでなく、カンダタが助けた蜘蛛までも含めての他者です。
三千仏禮があるくらいですから、これが仏さまのような人と決められないでしょう。人の数だけあるのかも知れませんが、これだけは譲れないと言う仏さまのような人の条件は何でしょう?
それとも、逆ですか?日の出を拝む人で、夕日をも見送る人を始め、仏さまだったらどうするこんな時が無数にあるように、仏さまのような人の条件は無数にあるのでしょうか?でもこれは、条件ではなく表れですから、条件にすると、十善戒とか、六波羅蜜のできた人とかになるのでしょうね。
 
 
 
ありがとうございました。 (和尚)
2008-06-16 22:46:17
 良いことは、時あるごとに考えて、事あるごとに考えて、而(しかして)実行するのみ!私はもう、単純に生きることにしました。わははは。
 
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