くもひとつない

雲一つない青空の今朝の東京。今日は30代のお坊さんたちへの布教の授業。私が担当するのは「仏教語の伝え方」。坊主だから仏教語の意味はなんとなくわかっている。しかし、それらの言葉を自分で日常のレベルまで落としこまないと、分かりやすく伝えることはできない。たとえば、煩悩(ぼんのう)を欲望のことだと思っている人は少なくない。『大辞林』では「人間の身心の苦しみを生み出す精神の働き」と出てくる。これじゃ、よくわからないし、ちっとも心に響いてこない。だから私は、「煩悩は心を穏やかにさせない欲のこと。欲があっても心が穏やかならば煩悩じゃない」と説明している。誰かを愛して、心が穏やかならば煩悩ではない。しかし、自分は愛しているのに相手が愛してくれないとか、誰かに取られるのが心配だなど、心が穏やかにならないなら、それは煩悩だ。心おだやかな境地に憧れる人ならば、そんな煩悩は処理しないとマズイことになる--そんな話を3時間しようと思っている。ちなみに、この文章の冒頭「くもひとつない」を変換したら最初に出たのは「苦も一つない」だった。苦が一つもなければ、雲一つない青空のような心でいられるだろう。その意味で、かなり意味深な変換だとニヤついた。パソコンの回路の中に仏さまでも隠れているのかもしれないと思った。ぐへへ。

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