水戸梅日記

水戸・いばらき

汚れた台所(キッチン)

2005-08-27 |  ひとりごと
今日はもう既に・・・酔っぱらいです。

夕方5時から小学校体育館にて、「インディアカ」の練習があり(本番は9月9日。学年対抗。)、その後、くろばねの「蔵屋敷」でかるーくです。(早く子どもたちが自立して、ちどりさんみたいに、毎日どこかの居酒屋に一人で行く!というのが現在の夢です。ホントに・・・)

その後、家に帰り、先週録画したサザンの番組を見たら、さらに、さらに、幸せな気分になってしまいました。(10月の仙台が楽しみです。)

「エロ中年」という感じがいいんですよね~。

是非、男性の方は目指しましょう!「エロ中年」。




・・・違いました。

言いたかったのは、「汚れた台所(キッチン)」のワンフレーズです。

「国民のIQの低さに課税(かけ)よう」・・・と歌ってました。



というわけで(?)、明日は、6時半から、近くの広場でラジオ体操です。
子ども達の夏休み最後の日でもあり、いろいろ忙しくなるとは思いますが、頑張りたいと思います。

おやすみなさい。


asagao花が小さくなってきました。








コメント (2)
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先生はえらい

2005-08-27 | 読んだ本
「先生はえらい」という内田樹(たつる)さんの本を読みました。

これは「師弟論」についての本です。(中高生対象の新書なので簡単に読めます。私にぴったり。)

言いたいことは、自分がえらいと思う人が「えらい先生だ」ということだそうです。

・・・わかったようなわからないような話ですが、出てくる具体例(沈黙交易や能楽「張良」など)がどれも面白くて、いちいちなるほどなぁ・・・と思わされます。(この方のブログは人気があるそうです。)

この著者にかかると、夏目漱石の「こころ」と「三四郎」は・・・

「十代の男の子が見た目あまりぱっとしない中年男性を『先生』だと思いこんで、それがきっかけで成長へのプロセスがはじまる話」となってしまいます。

一方は無為徒食の閑人、一方は「偉大なる暗闇」とあだ名される茫洋としたおじさんであるにもかかわらず、漱石は「こういう『おじさん』たちを若い人たちは早く見つけて、その人を導き手として人間的成長を遂げて下さい。では、さようなら。」と書いてさっさと終わりにしたお話だというのです・・・。


師弟関係は基本的に美しい誤解に基づくもので、その点で恋愛と全く同じだそうです。

「この人のいいところは私にしか理解できないっ!」という美しい誤解からはじまるのが恋愛ですよね。「陰気」が「翳り」に見えたり、「浪費癖」が「おおらかさ」に見えたりとか、幸福な錯覚をするゆえに、どんな顔でも性格でも一人あたり一人の配偶者がゆきわたるようになっていて、この恋愛における誤解こそが、人類が今日まで命脈を保てた(多様な生態系を維持できた)理由だそうです。

そして、恋愛と同じように、師に対する誤解の多様性(ひとりの先生でも教わる方の学びの内容は各々全く違うこと)により、私たちはひとりひとりがそれぞれ固有の成熟プロセスをたどることができるのだそうです。

私のO先生に対するミーハーさも、結局はここに帰結するのかもしれない・・・と思わされた本でした。


おまけに、スイーツの紹介です。

dango私は名前を「内吹公園だんご」と申します。生まれも育ちも倉吉で明治13年に生まれました・・・。(だんごのたわごとだそうです。)今日の3時のお茶うけでした。とても美味しかったです。



sweets羽田で購入。阿寒シンプイ(マリモのゼリー?)と、ピエールマルコリーニのチョコレート(なぜ羽田に?)です。






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