「悲しみ」 の 本質 が、よく表現されていると思います。
ロボットが人間以上の悲しみを理解してしまう場面など・・・、せつなくなってしまいます。胸がきゅんとなります。
(・・・あまり言わない・・・?胸きゅん。)
宮台真司さんの本だったと思いますが、
「援助交際をする少女の悲しみ」という話があって、
援交少女は、援助交際をしていることを知った親や周りのみんながとても悲しんでいるのを見て、これは、親や周りの人というのは、自分(援交少女)が、その人達の思った通りにならないことを怒ったり嘆いたりしているだけだ・・・ということに気づいてしまったそうです。
つまり、「悲しみの不在」 に気がついてしまったわけで、「誰も本当に悲しいと思っていないこと」こそが、本当に悲しいことじゃないか・・・と理解してしまう話です。
PLUTOに出てくるアトム君の悲しみと、同じではないかと思いました。
「悲しみ」にレベルなんてないのかもしれませんが、「悲しい!」と思ったときには、自分のその悲しい気持ちが、本当はどこから来ているのかを考えてみることは、とても意味のあることではないでしょうか?(そんな余裕はない?)
「悲しい」って、気軽に言いいますが、本当は、「悔しい」とか、「むかつく」(あ、うちの禁止用語だった・・・)といった、自分に端を発することが原因であることが、多いような気がします。
今日は、先週の土曜日に結婚式を挙げた方を囲んで、お昼ごはんを食べました。
これは、とても 「うれしい」 ことです!
たくさん 「うれしい」 を経験することで、本当の 「悲しい」 がわかるようになるのだと思います。
毎日、暖かいので、忘れていましたけど、明日から11月なんですね。
今日は、12月開催の会議を、なぜか10月の日程で通知してしまった私です。暖かいのも困りものですね・・・。(?)
というわけで、ブログも秋っぽくしてみました。