風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

山中教授のノーベル賞受賞

2012-10-17 22:43:43 | 時事放談
 このたびの山中教授のノーベル賞受賞は、異例のスピード受賞でしたが、山中教授と同時受賞した英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授が、カエルの研究で、大人の細胞が受精卵の状態に戻ることを核移植技術で証明する実験が行われたのは1962年(山中教授の誕生年!)のことだったように、通常のノーベル賞受賞は、多い時には40年や50年の長々とした年月による検証を経る必要があります。その意味で、今でこそ世界第二の経済大国となった中国や、今でこそ日本なにするものぞと飛ぶ鳥を落とす勢いの韓国と比較するのは酷であり大人げないと言えますが、日本の「長年の技術開発の蓄積と製造現場の経験に支えられた知的財産は重い」(リチウムイオン二次電池の発明者で、ノーベル化学賞候補だった旭化成の吉野彰フェロー)と言われるところがまさに立証された結果であることは紛れもない事実でしょう。
 実際に、事実だけ淡々と報じられた中国でも、ブログの世界では、「日本人に強い敵意があるが、彼らの科学研究のレベルには高い敬意を表す」といった意外に素直な書き込みが見られたようですし、韓国の新聞社説は「国家信用度やオリンピック金メダルでは日本を抜いたのに、ノーベル賞だけは日本に追いつけない!」と嘆いたり、「16対0(注:歴代受賞件数)」といった見出しが躍っていたと言います(いずれも産経新聞)。
 それでは本当に30年後や40年後の世界で、中国や韓国がノーベル賞受賞者を輩出するかというと、それにはちょっと疑問を感じます。
 そもそも日本は、戦後の高度経済成長の間に科学技術を発展させただけではありません。中国や韓国と比べても、いち早く近代国家へと脱皮し、明治維新、場合によっては江戸期から、既にその蓄積が行われていたと言うことが出来るからです。中国や韓国は、今なお、自由な言論空間が保証され、経済的にも自由な競争が担保された、近代民主主義国家であるかと聞かれれば、そうだとは言い切れません。むしろ古いところ(敢えて言えばアジア的なところ)を残して部分的に近代的発展を遂げたイビツな国であり、およそ欧米諸国と比肩し得るような全人格的な近代国家の体裁を整えているとは言えません。とりわけ中国の目覚ましい経済発展は外資系企業が主導したものであり、仮に中国人や中国企業がその技術を蓄積しているとしても、どちらかと言うと上っ面の、ハイテク分野のアセンブル型応用技術に偏向しており、部品や素材や生産設備は日本から輸入している現象に端的に示されるように、基礎科学的な基盤は脆弱です。韓国の研究においても、成果が出るのが早い応用分野ばかりが好まれ、地味で時間がかかる基礎分野には関心が薄いことが指摘されます。上意下達の徴兵制によって、自由闊達な発想が阻害されているとの批判の声も聞かれますが、それが実際にどれほどの影響を及ぼしているかは定かではありませんが。
 そんなこんなで、国の科学技術の発展は、一朝一夕には成し得ないこと、そして国のありように大いに影響されることを、逆に言うと、中国や韓国は、欧米の近代的な価値観を体現するノーベル賞に一喜一憂する必要はないのではないか(何故なら欧米的価値観が絶対とは言えないのだから)・・・などと、このたびのノーベル賞受賞をめぐる報道を見ながら、つらつら思った次第でした。
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