風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

キッシンジャーのリアリズム

2021-06-11 00:19:04 | 時事放談
 二週間近く前のことになるが、日経の記事でキッシンジャー氏が俄かに話題になった。
 数年前に遡るが、来日されたシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授の講演を聞きに行ったとき、国際政治上の(キッシンジャーのような)リアリストはイデオロギーなんぞは気にしないのだと言い放ったのを、些か衝撃をもって受け止めた。確かに、かつて冷戦時代に、いくら宿敵の旧・ソ連に対抗するためとは言え、保守派のニクソン政権が共産主義・中国を取り込んだのは、イデオロギーを気にしていては出来ない離れ技だった。一般論としてリアリズムはイデオロギーに縛られないと言われると、ロジックとしては分かるが、現実に、例えば当時、保守派の安倍政権の価値観外交を目の当たりにしていただけに、容易に肚落ちせず、小骨として喉の奥に引っ掛かり続けた。
 これから紹介する日経記事は、トランプ政権発足時にトランプ氏と会い、密使として習近平氏とも会うなどして、御年90を軽く超えてなお矍鑠としていたキッシンジャー氏(1923年生まれ)の影響力が、さすがに現政権内で衰えていることと並行して、現象として、キッシンジャー氏が仲介した中国との対立の先鋭化と、当時、断交した台湾への支援の拡大が進行する現状を報じるものである。
 一つ目の記事①は、日経記者による「キッシンジャー路線との決別」と題するコラムで、アメリカ政権内でのキッシンジャー氏の影響力の低下を、「キッシンジャー路線」=「中国への関与政策」からの決別、と伝えた。
 恐らくそれに触発されたのであろう、翌日(記事②)、慶應大学の細谷雄一教授は「キッシンジャーが創った時代の黄昏」と題して、アカデミックな観点から解説を加えられた。「キッシンジャー路線」から外れてアメリカが台湾防衛に乗り出すかどうかが焦点になっている。かつて、「自由」という規範を重視した十字軍的な軍事関与がアメリカの国益を利するわけでもなく、アメリカに有利となる勢力均衡を形成するわけでもないと喝破したキッシンジャー路線だったが、職業外交官による合理的な「国家理性」の実現を目指す「旧外交」の時代とは違って、SNSが拡散し、世論の影響力が拡大した第一次大戦以降の「新・外交」の現代にあって、「キッシンジャー路線は自ずとよりいっそうの限界に直面するであろう」と予想され、それが東アジアの秩序に不可避的な影響を及ぼしかねないとも予想される。
 ちょっと補足すると、そもそもアメリカは国柄として、権力政治のヨーロッパの延長上に、しかしヨーロッパの権力政治を否定する新天地として、自由・民主主義(当時は共和主義)を奉じる「理念の国」である。貴族だったアレクシ・ド・トクヴィルは、古代ギリシアのポリスじゃあるまいし、国家レベルで王政・貴族制ではなく民主制で政治を実践できるわけがなかろうと、1831~32年にかけて、アメリカを実地検分し、帰国後に『アメリカのデモクラシー』を書いて、アメリカを「例外主義」と呼んだ。そのちょっと前、保守の元祖と言われるエドマンド・バークは『フランス革命の省察』を書いて、フランス革命の急進性を危うんだように、「諸国民の春」を経て、国民国家体制が西欧で当たり前になるのは、ずっと後年のことである。そんな生い立ちの後、アメリカは19世紀を通して経済大国化し、二度の大戦で世界に関わらざるを得なくなるが、基本はモンロー宣言のまま、トランプじゃなくても「アメリカ・ファースト」で、子ブッシュじゃなくても「単独行動主義」で、国際社会に関与するときには「理念」や「大義」を掲げて十字軍的に介入する(朝鮮戦争、ベトナム戦争だけでなく、湾岸戦争、イラク・アフガン戦争も)、我が儘でお節介な「理念の国」である。そして国際社会のあり方として、現実的な権力政治の一つの典型である勢力均衡ではなく、国際連盟や国際連合といった共同体、すなわち力の均衡ではなく力の共同体を構想したほどである。そのアメリカの歴史から見れば、キッシンジャー(あるいはニクソン政権)やセオドア・ルーズベルトのようなリアリズムは例外に属すると言ってよい。それでもアメリカは多様な国であって、ウォルター・ラッセル・ミード教授が活写したように、アメリカ外交は、孤立主義だけでなく国際主義(介入主義)という両極端の間を、また理想主義だけでなく現実主義という両極端の間を、振り子のように揺れ動くという、多様性あるいはバランス感覚を持った国である。
 これら二つの記事①②の前に、日経は「バイデン氏、独ロに歩み寄り」と題して、ノルドストリーム2への制裁見送りを伝える記事③を伝えた。(トランプ氏が散々関係を悪化させたメルケルさんの)ドイツもさることながら、(プーチン氏のことを、記者の質問に促されたとは言え「殺人者」と呼び、サイバー攻撃を非難し続ける)ロシアとの関係がどうなるのか、気になるところだ。この記事で「キッシンジャー」の名前は出て来なかったが、かつてのキッシンジャー氏の中国接近になぞらえて、今、アメリカのロシア接近はあり得ないものかと、つい妄想してしまった。
 勿論、細谷教授がご指摘されるように、これまで50年間続いた中国への関与というキッシンジャー路線のように、イデオロギーに囚われないリアリズムは、昨今、世間ウケはしまい。その意味で、米露接近などもってのほかと受け止められるに違いない。かつての冷戦時代に遡る旧・ソ連の悪しき記憶が残るだけでなく、その後も民主化を期待されながら権威主義を強めてきたプーチン体制に対する反発は、クリミア併合やサイバー攻撃を通した大統領選挙介入などを持ち出すまでもなく、根強いだろうからだ。しかし、イデオロギー的に受け入れ難いとは言え、対中包囲網を形成する上で、西側諸国の結束と並んで、米露接近ほど有効な策はないのもまた事実である。中国への関与という旧・キッシンジャー路線を外れて、ロシアへの接近・取り込みという新たな“キッシンジャー的”路線・・・とは言っても、かつての米中接近ほどの鮮やかさまでは行かないにしても、ロシアに対して中国から一定の距離を置かせるような、新たなロシアとの関係を実現出来ないものかどうか、ちょっと期待してしまう。
 バイデン大統領は、(記事③によれば)今なお習近平氏との対面での会談を提案していない中で、G7サミットに続いて、6月16日にジュネーブで米露首脳会談を予定している。そこでは、米露関係をどのように「管理」するかがテーマになると伝えられる。これに先立って、楊潔篪氏がロシアを訪問するというのもまた中国の反応として面白いところだ。果たして優柔不断なバイデン大統領は、G7の(期待される)結束を盾に、米露首脳会談でプーチン氏にどこまで迫れるのか、結果として米・中・露でどのような三角形が描かれることになるのか、注目される。

①「キッシンジャー路線との決別 オバマ広島訪問から5年」(2021年5月27日付、日経Angle) 
  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA249XB0U1A520C2000000/
②「キッシンジャーが創った時代の黄昏」(2021年5月28日付、日経COMEMO)
  https://comemo.nikkei.com/n/na8eb75327568
③「バイデン氏、独ロに歩み寄り ガス管計画を容認」(2021年5月26日付、日本経済新聞)
  https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2605R0W1A520C2000000/
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