風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

働き方改革

2019-10-26 22:18:14 | ビジネスパーソンとして
 今朝の日経二面に、「小売り、24時間営業転機」と題した記事が掲載されていた。サブタイトルに「働き方改革、消費者も変化」とあり、さらにそのサブに「『持続可能』模索続く」とある。
 名前の通り朝7時から夜11時まで営業するのを売りに参入した「セブンイレブン」が24時間営業を始めたのは、意外にも福島県の店舗で、1975年だそうである。石油ショックを受けながらも高度成長で日本中が浮かれていた頃だ。それが1980年代には全国に広がったという。「吉野家」やファミレスでも24時間営業が当たり前になり、私が学生の頃にはその恩恵を存分に受けて、二次会、三次会、四次会で飲みくたびれたときには「からふね屋珈琲」で酔い覚ましにぼんやりしたり仮眠をとったりと重宝したものだった。ところが最近は少子高齢化でアルバイト確保もままならず、さらに働き方改革という半ば上からの意識改革が進められ、9月末現在、230店舗が時短の実験をしているそうだ。
 正月三が日でも小売りが休まなくなったのはいつ頃からであろう。そんなことを思って、今でも思い出すのは、アメリカ滞在中、Thanksgivingの休暇にMartha's Vineyard島(東海岸の街ボストン郊外のケープ岬の付け根にある)を訪れたときのことだ。11月後半ともなれば、ボストン界隈は冷え込む。しかもこの聖なる休暇で、お店がことごとく閉まっていて、晩飯にありつくのに苦労した。1990年代後半の頃の話である。因みにこの島は、時の大統領クリントン氏が奥さんのヒラリーと娘のチェルシーと共に夏の休暇を過ごすことで注目を集めていた。だからと言って訪れるほどミーハーなわけではなく、その先にあるNantucket島が本命で、いざ直前に旅行を計画したときにどちらが都合が良いかで選んだに過ぎない。ところが、その半年後に、JFKの長男(JFKジュニア)とその奥さんとそのお姉ちゃんの乗った小型飛行機が、この島の海岸沖に墜落したという偶然に驚いた。もっともJFKはマサチューセッツ州ブルックリンの生まれで、政治家として地盤となし、奥さんのジャクリーンは、私がアメリカに赴任した年(1994年)に亡くなるまでこの島で過ごしたという意味では、ケネディー家ゆかりの保養地だったということなのだろう。
 閑話休題。何が言いたいかと言うと、便利さが全てではないだろう、ということだ。いや、実際にMartha's Vineyard島でレストランを探して、震えながらうろついていた時には、個人主義のアメリカを、なんて身勝手なんだと恨めしく思ったものだ(苦笑)。しかし不便だと分かっていれば、やりようがある。そして日本でも時代は変わった、と言うより、私たち日本人の意識が変わった。
 私たち日本人、と一般化するのは良くないかもしれない。私のような昭和のサラリーマンは、「場」の意識が強い。自らのプロフェッショナリティを提供するという意識は変わらなくても、その方法論として成果で測るのではなくその過程、つまりその場にいるという意識が根強かった。かつて若い頃は、なんとなく会社にいて、遅くまで残業するのが当たり前だった。それこそ藩に忠誠を尽くしたサムライの如く、いったん就職すれば終身雇用のもとで安定的に、勤め上げるほど給与も上がる年功序列のもとで、一生を捧げると言う意味では、およそ西欧生まれで効率を至上命題とする資本主義とは性格が異なる。
 最近、私の会社でも「働き方改革」キャンペーンが繰り広げられ、一時はケジメがないと中断されたフレックス制度が復活し、2020オリパラの渋滞回避を目的に実証実験した在宅勤務の本格導入が始まった。お陰で職場の行先表示板には、フレックスやら在宅勤務やらの文字が賑わうようになった。生産性改善を旗印にしているが、少なくとも成果が目に見えて落ちない限り、奨励されるべきだろう・・・といったことは、若い人にはごく当たり前のことと思われるかも知れないが、私のような昭和のサラリーマンにとって「働き方改革」はマネジメントの問題であり、ひいては「生き方改革」だと、馬鹿馬鹿しいほどに大仰に構えてしまうのだ(笑)。
 我が身を振り返ってみる。仮に一日8時間勤務として、仮に一日中オフィスにいて、どれほど集中して仕事しているかと問われると甚だ怪しい。さらに創造的な仕事をしているかと問われるともはや疑わしい(笑)。8割は雑用だという乱暴な言い方もあって、確かに雑用も仕事には違いないし、生産的な仕事の仕方を工夫する必要はあるだろう。が、それでも(仕事の生産性をあげたところで)生理的に脳は高度な集中力が続くものではない。仕事を切り替えるときの脳の切り替え、気分転換だとか、休憩という名の「アイドリング」「遊び」が必要で、一日を眺めてみると、山あり谷ありなのは経験的に実感されるところだし、実証されてもいる。仕事にあってはFace to Faceが最も生産性が高いと思うが、以上の通り、仕事は常にFace to Faceである必要はない。じゃあ働く場所も働き方も柔軟であっていいではないか、ということだ(仕事のタイプによるけれども)。
 「遊び」は、実は余り認めたくないかも知れないが、一定程度は世の中の潤滑油として必要悪なのだろうと思う。人間の活動で100%の生産性はあり得ない。80%がいいところだろう(飽くまでも心がある人間の話であって、機械は別だ)。かつて民主党政権の時代に「事業仕分け」と言ってムダを切り詰めようとして、「二番じゃ駄目なのか」と本質的ではない議論をして、評判を落としたことがあった。大いなるムダがあるとすれば話は別だが、小さいムダを切り詰めるのであれば、一律20%削減にして後は現場に任せる度量が必要だったのだろう(そこは時の民主党という、日本のリベラル(=革新)の限界だったのかも知れない)。所詮「遊び」は中央でどうこう判断するべき問題ではなく、現場で一人ひとりが裁量する話だと思うからだ。
 実は私たち日本人は・・・とまた一般化してはいけないな。昭和のサラリーマンの私は、その「場」にいるという意識が強いばかりに、その「場」にいて何をしているか、果たして生産的に仕事をしているか、結果として、創造的に集中しているときもあれば「遊び」もあるといった実態に、無頓着だったかも知れない。私は、どこでも眠ることが出来るように、どこで仕事をしても同じだと思うタイプの人間で、却ってオフィスの方が集中できると思っているが、そうじゃない人もいるということに想いを馳せなければならないのだろう。こうして一種の「思い込み」を外して自由になることは大事なことで、それによって全体のパフォーマンスがあがれば、それに越したことはない・・・とまあ、昭和のサラリーマンの言い訳がましい戯言である。
コメント
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