風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ムーミン

2018-01-20 23:15:01 | 日々の生活
 子供の頃、アニメ「ムーミン」の最終回を見終わって、心にぽっかり穴が開いたような喪失感を覚えたのを、懐かしく思い出した。きっとムーミンは今も世界のどこかで元気に暮らしているんやろな・・・と自らに言い聞かせたものだった。
 そのムーミンが、どこの国を舞台とする物語かを問う問題として、センター試験に登場して話題になった。ムーミン公式サイトのツイッターには、早速、「絶対に許さない。今すぐ国籍をノルウェーに変えろ」「ノルウェーだろ?!ノルウェーだって言ってくれよ!」「マジでさ、なんでお前を知らないか知ってるかの問題を解かんといけないんだ??」「センターに出てこないで!ムーミンに人生狂わされました許しません」などと恨み節のコメントが寄せられたらしい。受験生たちの気持ちは分からないでもないが、その反応は秀逸で面白い。
 まさかムーミンが舞台となっている国を知っていることを期待しているわけではないだろう。まあ、問題を作成する側はリアルタイムで「ムーミン」を見ていた世代ではあろう。同じ世代に属する私は、北欧だろうとは察しがつくが、どの国か知らない。知らなくても解けるようにはなっているようだ。
 大阪大学大学院のスウェーデン語研究室が指摘したのは、「『ムーミン谷』は架空の場所であり、フィンランドが舞台だと明示されていない」という不正確さであって、「『ムーミン』がフィンランドを舞台にしたアニメーションだと知らなくても、バイキングはノルウェーに関わるものだから、消去法から『ムーミン』がフィンランドに関するものだと判断できる」としている。大学入試センターも朝日新聞への回答で、キャラクター自体に関する知識は直接必要なく、ムーミンの画像から「低平で森林と湖沼が広がるフィンランド」、ビッケの画像にある船や服装、「バイキング」の表記から「海が結氷せず、海上活動が盛んだったノルウェーやスウェーデンを含むスカンディナビア半島の沿岸や周辺海域」が類推されると記載、設問で既にスウェーデンを示していることから、ノルウェーが導けるとし、さらに、ノルウェー語とフィンランド語の語族の違いを踏まえれば、正答できる、としている。語族の違いなど、今の受験生には分かるようだが、私には見当がつかない。それでも問題を見ると、ノルウェーの伝説の妖精トロールの絵とトナカイの絵がそれぞれ添えられているので、なんとか類推できそうだ。
 そう、試験なんて、いつもストレートに正解を選べるわけではなく、こうして消去法のように、さまざまな手がかりを頼りに持てる知識を総動員して絞り込んで正解を類推することも多いのは、誰もが経験するところだ。正解があると分かっているだけいいじゃないかと、私のような年寄りは羨ましく思ってしまうのだが(ビジネスの世界では正解はおろかそもそも問題を自分で設定しなければならないのだから)、まあ、そこまで言うのは酷だろう。
 毎度のことながら、こういった状況では、巻き込まれた当事者、たとえばムーミン公式サイトなどのコメントが気になるところだ。13日の段階では、「まだまだ知られてないんだな、と反省」「これを機にムーミンの世界について知ってもらえると嬉しいな」と軽妙にかわしていたが、その後、「ムーミン谷に住んでみたい。そう思った瞬間、あなたはもうムーミン谷の住人なのです」という作者トーベ・ヤンソンの発言をひきつつ、「現実とは別のファンタジーの世界」に落ち着いた(もっとも今回の出題は、図版から見て、原作ではなく1969年に放映されたアニメについて尋ねたもので、当時のアニメ版の資料が残っていないことから、「その舞台がフィンランドと設定されているのかどうかは、第三者の検証に委ねたいと思います」「疑問が早期に解決することをお祈りしています」と真面目に締め括っている)。在日フィンランド大使館の広報は「ムーミンが注目されることはうれしい。ムーミン谷は物語を愛する皆さんの心の中にある」と粋にコメント、在日スウェーデン大使館の広報は「北欧が取り上げられ、旅行先として周知されるのは喜ばしい」と現実的にコメントしたらしい。
 不正確であるが故に、たまたまムーミン好きだからと言って有利なわけでもなく、問題としてはなんとか成り立つレベルなので、ここはムーミンに免じて、大目に見てはどうかな・・・
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朝鮮半島と日本(補遺)

2018-01-20 00:15:54 | 時事放談
 いい加減、朝鮮半島情勢を論じるのは疲れるのだが(苦笑)、前回ブログで引用した在米韓国人の話がなんとなく牽強付会、我田引水に思えて来たので、ちょっと弁解しておこうと思う。慰安婦だったご本人たちの証言を、著名人の自伝の如く歴史を美化し、ひいては史実を歪めるものであるかのように見做し、在米韓国人の発言の方を信用するのは、朝日新聞が3年半前、自らの誤報について言い訳がましい釈明をしただけでなく、これまで日本人専門家の地道な実証研究によって、どうやら慰安婦徴発に「強制性」はなかったことが事実らしい(と言うより、当時はそれがむしろ当たり前で、ベトナム戦争では韓国軍人が悪さをしてライダイハン問題を惹き起こしているくらい)からだが、その在米韓国人は朝鮮民族について次のような発言をしていて、私の中で、その人の発言の信用を高めている。

(引用)日本人と違って、韓国の人間は一致団結ができない民族なのです。この短期間にキャンドルやビラ、そして、そろいの上着などを民衆が団結して用意できるはずがありません。北朝鮮の人間は長年の間、命令に従うことに慣らされています。これだけ韓国民が同じ行動ができるのは、北朝鮮からの指導者が統率しているはずです。民衆が気づいていないだけです(引用おわり)

 以前、このブログで書いたことだが、日本はこれまで中国や韓国と、国対国としてまともに付き合って来なかったのだろうと思う。そうして誤魔化して来た事実が積み重なり、もはや如何ともし難い状況に陥っているように見える。日本の自業自得である。
 かつて日本が戦後復興から立ち直り、軽武装・経済重視で世界第二の経済大国にのしあがった頃、中国や韓国との経済格差は歴然としており、戦前の侵略性を衝かれて、教科書問題にせよ靖国参拝問題にせよ、さらには従軍慰安婦問題にせよ、GHQ史観をなぞりながら、徒に事を荒立てることなく、「事勿れ」の妥協を繰り返してきた。当時は歴史認識問題などの周辺的とも言うべき事柄が重要な経済関係に悪影響を及ぼさないことをファースト・プライオリティとしていたせいだろう。
 そうこうして、日本が失われた20年で足踏みしている間も、中国と韓国は順調に経済成長を遂げ、表面的には日本なにするものぞとの自負が芽生えてもおかしくない状況が生まれてきた。それでも歴史的に見れば早くに先進国の仲間入りを果たしていた日本とは、民度や文明度の深みという点で、簡単には追いつけそうにないほどの格差が厳然とあることは心ある人には分かっていながら、中国・韓国ともに国内問題で躓きそうになると、日本をスケープ・ゴートにして、国内の不満を国外(=日本)に逸らしてきた。
 日本は、これまでまともに付き合ってこなかったツケを今頃になって払わされ、戸惑っているのだ。善隣外交の美名のもとに、是々非々で論じることなく、常に当たり障りのない対応をして、見事に中国や韓国に梯子を外され、彼らの国内事情に引き摺られて呻吟している。
 従軍慰安婦像が韓国の国内問題にとどまる限りは、まあいい。しかし海外に出没し、日本人の子供たちが現地で言われなきイジメにあうようになっているとすれば、聞き捨てならない。
 韓国は、件の在米韓国人が言う通り、一致団結できないのだ、というのは分からないではない。しかし、前回ブログに書いた通り、一部の市民団体が騒ぎ立て、一部のマスコミがそれを煽るのをよいことに、政治がそれを外交カード化してゴネる事態に至るのは、もう勘弁して欲しい。まあ、韓国・国民にあらぬ誤解を与えないよう、そして正常な日韓関係が歪められないよう、問題はその都度、潰しておくべきだったのだと思う。今さらではあるが。
 在米韓国人の発言を引用した記事を、以下にあらためて貼りつけておく。


【ボストンから一言(3)】 韓国才女「親日を責める国、ばかばかしい」 「吉田証言のようなことがあったら朝鮮の男は黙ってみていない」
2018.01.17 09:00更新  産経新聞 電子版
 私は米ボストンに住む韓国人の友が何人かいる。
 彼らは日本統治時代に、ある年齢まで日本語教育を受けているので日本語ができる。皆85歳以上ながら、朝鮮戦争後、韓国最高峰のソウル大学を卒業して、学問のため米国留学をした。
 去年の夏、85歳で亡くなったHさんは日本の文化、文学をこよなく愛し、日本各地を訪れ、就眠前はベッドで百人一首を読むことを常としていた。
 彼女が受けた日本語教育は、終戦の12歳で終わっていても、きれいな昔の日本語だった。
 ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰とは、彼女そのものだった。
 その上、記憶力が抜群ときているので彼女から聞く昔の思い出話は、楽しく興味深いものだった。
 亡くなる月まで日本から文芸春秋を取り寄せ、日本の世情に精通するだけでなく、ニューヨーク・タイムズなども購読する教養にあふれた最愛の友人の1人だった。
 慰安婦問題に関しても、彼女は、自分の人生経験を基にして怜悧に韓国を見つめ、このように話をしていた。
■挺身隊になれることを楽しみにしていた
 Hさん「女子挺身隊とだまして慰安婦にさせたと言っていますが、12、13歳の私たち生徒は、15歳になるのを楽しみにしていたのですよ」
 私「どうしてですか」
 Hさん「15歳になれば女子挺身隊に入れるからですよ。だって、戦争末期には、お国のためと、学校の授業もほとんどなくって雲母を一枚一枚剥がす仕事ばかりさせられていました」
 私「何に使うのですか」
 Hさん「さぁ、子供ですから考えたこともなく、言われるがまましていましたけど、何でも飛行機の電気関係とか聞いたことがあります」
 「でもですよ、慰安婦にさせられるのでしたら、私たち(上流階級の子女らが集まった)淑明女学校の女子は、あのように挺身隊に憧れませんよ」
 「吉田清治って、希代の嘘つきですよ。作り話に乗せられて、済州島では200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたと書いた日本のA新聞社もどうかしていますよ」
 「その記事のせいで(間違った情報が)世界に広まったのでしょう?。そんなことがあったら、朝鮮の男たちは黙ってみていませんよ」
 「特に済州島の男たちは荒いのですから、命をかけて戦いますよ。A新聞は、大スクープ!と飛びついたのでしょうけど、ジャーナリストたるもの、記事にする前に冷静に調査しなければいけません。本人の素性も調べていないようですね。ばかげた話です」
 「慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒は朝鮮人だったのですよ」
■日本人はなぜ捏造を信じたのか
 私「女衒は朝鮮人だったのですか」
 Hさん「だってそうでしょう。田舎の貧しい朝鮮の親たちは日本語を話せないのですから。私の母親は一応、両班(特権身分の階級)の出ですが、『女に学問は不要』といった当時の朝鮮ですから、日本語を話せないだけでなく、ハングルの文字も読めませんでした」
 「父は小学校から大学まで日本語教育を受けていますし、朝鮮殖産銀行に勤めていましたから日本人と変わりなく話しました」
 吉田氏は韓国に石碑を建て、その前で土下座をし、「許してください」などと謝罪したそうだ。
 私は、Hさんのために大高未貴氏(著)の「父の謝罪碑を撤去します」を購入し、手渡した。
 同書を読み終えたHさんは、「どうしてこんな(吉田氏の)捏造話を信じたのでしょうね。日本人は、もっと賢い民族のはずです」と私に問いかけてきた。そして、こうも語った。
 Hさん「本当にばかげた話なのですけど、自殺をした廬武鉉大統領の下で親日財産没収法が決まって、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行に亡くなった父が勤めていたことで、私たちは親日(という扱い)となっていたのです。それで長女の私に統治時代に築いた財産を没収するって手紙がきたのですよ」
 「このために韓国政府は特別機関を作って、全世界に散らばっている親日といわれる子孫を探し出すのですから。こんな愚かな手紙を出すお金があれば、北朝鮮への防衛費に使ったら良いのです」
 私「それでどうしたのですか」
 Hさん「破って捨てました。もう何年もたちますが何も言ってきません。政府も忘れているのでしょう」
 「あの慰安婦像だってそうですよ。どう見たって12、13歳の少女です。そんな歳で慰安婦なんてあり得ません。日本人が怒れば怒るほど彼らは喜ぶんです。ほっとけば、今にほこりを被りますよ」
■デモには北が入り込んでいる? 
 いろいろな話を聞かせてくれるHさんに私が「韓国の話をするときには、『ばか』の言葉がたくさん出てきますね」と語りかけると、「だって本当のことを言えば、親日と責める国ですもの。ばかばかしい…」と真面目に答えるのが印象的だった。
 去年、韓国で広がったキャンドルデモをテレビで2人で見ているとき、Hさんの分析に考えさせられた。
 Hさん「このデモには北朝鮮からの人間が相当入り込んでいると思います」
 私「どうしてですか」
 Hさん「日本人と違って、韓国の人間は一致団結ができない民族なのです。この短期間にキャンドルやビラ、そして、そろいの上着などを民衆が団結して用意できるはずがありません。北朝鮮の人間は長年の間、命令に従うことに慣らされています。これだけ韓国民が同じ行動ができるのは、北朝鮮からの指導者が統率しているはずです。民衆が気づいていないだけです」
 私「協力できない民族なのですか」
 Hさん「こんなことわざがあります。『日本人と朝鮮人が1体1で戦えば体の大きい朝鮮人が勝つ。2対2では日本人が勝つ』。それは、日本人の協力し合う民族性からです。朝鮮民族は、2人になれば、お互いに大将になりたがってけんかが始まります」
 このことわざは、私が釜山に住んでいるときにも、家のお手伝いさんから聞いたことがある。
 Hさんには「これほど日本を愛してくれる貴方に対して、日本の首相に一筆礼状を出すようにお願いしなければいけませんね」と冗談を言ったものだ。
 私が彼女にしてあげられなかった唯一の心残りは、彼女が日本統治時代に教えを受けた日本人教師の家族を探せなかったことだ。
 終戦で日本人教員が引き上げる前日、学校の講堂に集まった女生徒たちに、先生1人ひとりが別れのあいさつをしたという。
 最後に、彼女が最も尊敬をする男性教師は「立派な朝鮮女子たれ!」と大きく涙声で言ったそうだ。
 「果たして期待に沿える朝鮮女子になれたのかどうか分かりませんが、せめて先生のご家族に、あの時の立派な言葉を伝えたいものです」とHさんから聞いていたからだ。
 力を尽くしたが、ついに探すことはできなかった。(後略)
【プロフィル】 新田多美子(Tamiko Arata) 大分県津久見市生まれ。72歳。1983年に米ボストンに移住し、日本などからの留学者向けに住居の手配、生活用品の買い物、車購入と自動車保険など生活の立ち上げサービスの仕事をしている。
 現在は、がん治療を受けながら働く毎日。治療では、スイスのロッシュ社による新薬の免疫チェックポイント阻害剤「アテゾリズマブ」を使っている。日本ではまだ認可が下りていない。早く認可が出た米国で、実際の治療を通して知見が得られている最新治療を受けることを聞いた私の回りの日本医師たちは、口をそろえたように「幸運だ」と言う。
 日本が恋しいわけではないが、誰よりも日本を愛し誇りに思う。ボストンから見る日本や、少し変わった日常の出来事などをコラムにし、日本ではまだ認可されていない最新のがん治療の様子も紹介していきます。
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