風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

苦悩する中国

2015-04-24 01:57:00 | 時事放談
 昨日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議・・・実は手狭なバンドンではなくジャカルタで開催されました)60周年記念首脳会議で、再び日中首脳会談が実現しました。昨年11月以来5ヶ月振りで、習近平国家主席は、仏頂面だった前回とは異なり、頗る機嫌が良かったと見えます。産経Webは、首脳会談後、「習主席、ニーハオ」と呼びかけた日本人女性記者に、満面の笑みを浮かべて右手を振ったというエピソードを紹介していました。習近平国家主席と言えども、さすがに前回(11月)の対応は大人げなかったと反省したのでしょうか。
 どうもそれだけではなさそうです。二週間くらい前のことですが、ある中国研究家が、中国は今年9月3日の抗日戦争勝利記念日で「和解」を演出したいようだと言うのです。もしそれが本当だとすると、中国の態度ひいては心境の変化は随分なものです。最近、中国による反日の動きが大人しくなってきたとは言うものの、毎日、通勤電車で日経新聞を斜め読む程度のサラリーマンには俄かに信じ難い話で、クリミア問題で孤立したロシアが中国に接近して蜜月状態と報道されているところ、中国はロシアを警戒し始めているとも言います(まあロシアも中国を警戒・・・言ってみれば拮抗する隣国関係とはそんなものですが)。現場主義なので信頼に値すると思っていたその研究家の話ではあるものの、私自身は正直なところ留保しているのですが、このアジア・アフリカ会議で、習近平国家主席は「(抗日戦争勝利記念日でも)今の日本を批判する気はない」と述べ、安倍さんを記念行事に招待したということですから、もしかしたら反腐敗の権力闘争で自信をつけつつあり、潮目は変わりつつあるのかも知れません。
 あらためて考えるに、中国経済はニュー・ノーマルと言いながらアブノーマル、つまり相当厳しい状況にあるようで、以前、ブログに書いたように日本をはじめとする外資が逃げつつある状況が喜ばしいはずはありません。安価な労働力をテコに世界の工場として飛躍しましたが、今や人件費が高騰し、内需中心の経済構造に転換しなければなりませんし、中所得国の罠から逃れるためには生産性を上げなければなりませんが、なかなかうまく行かない。技術を磨いて育てるよりも短期的な金儲けに目がくらんで、安易に技術を買うか盗むかするような国民性です。反腐敗運動も、日本のメディアではいろいろな意味づけがなされていますが、結局、権力闘争であろうことは間違いなく、同時に、格差社会の中国にあって庶民の歓心を買おうとする一種のポピュリズムであって、それだけ中国共産党支配を守るために社会的安定を何とか保とうと汲々としているということでしょう。しかも、今や東シナ海より南シナ海、南シナ海より西方(少数民族問題なのか?イスラム問題なのか?)に不安を抱える状況であり、習近平国家主席としては、いつまでも庶民の目を外敵に向けさせるために反日を叫ぶだけではもうもたなくて、自ら襟を正さなければならないところまで追い詰められている・・・ということなのでしょう。西欧や他のアジア・アフリカの諸国にとって、AIIBだろうがFTAだろうが中国共産党そのもの、あるいはその統治を支持しているわけではありません。中国が一党独裁の国の体裁をとっていようが、軍管区毎に分裂してしまっていようが、どちらでも構わない(与しやすい相手であるのが望ましのは間違いありませんが)。要は涎が出るほど欲しいのは、13億とも14億とも言われるマーケットであり、実利なのです。そのためには、内心、気に食わないと思っているけれども、中国共産党とは握手をする。庶民にとって、4000年の歴史を振り返ればわかるように、自分の生活が第一で、誰が統治していようが構わない。とにかく自分を幸せにしてくれる統治者に越したことはないわけです。
 そのあたり、中国共産党・指導部は民衆の反応をかなり気にしていると見えて、中国国営新華社通信は、日中首脳会談が「日本側の要請で」実施されたと速報で伝えたそうですし、短文投稿サイト「微博」には「なぜ会うのか」「譲歩しなかった日本外交の勝利」などと中国政府への批判的な書き込みが相次いだところ、次々と削除されたと、共同は伝えています。
 今回の会議は、安倍さんとしても、ある種の思い入れがあったものと想像します。
 巷間伝えられる話として、かつてのバンドン会議(つまり第一回アジア・アフリカ会議が開催された1955年のことだと思いますが)で、日本の大東亜戦争を、単なる侵略戦争ではなく、戦後、アジア・アフリカ諸国が西欧諸国から独立する契機となったという点で、積極的な意味あいを与えて評価されたと、戦後保守派を中心に語り継がれています。ググってみると、第一回会議は、第二次世界大戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中華人民共和国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって開催を目指した会議の総称とWikipediaで紹介され、加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)が語った話として、以下の通り伝えています(彼は、外務大臣代理で出席):

 「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と覆っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」

 これまた以前、ブログに書いたことですが、加瀬俊一さんはどうも公私混同するきらいがあり、何でもかんでも自分の評価に繋げる虚言癖があって、ちょっと注意が必要だと思います。かく言う私は、のらりくらりと過ごしていた学生時代に、たまたま加瀬さんの自伝やエッセイを何冊か読み、仮に裏方であっても歴史を紡ぐことが出来る外交官という職業にやり甲斐を感じ、唯一、外交官は男が一生を賭けるに値する仕事かも知れないと、若気の至りで思った(勘違いした?)ことがありました。他に裏付けるべき証言がないのであれば、割り引いて考える必要があるのかも知れませんが、戦後、GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)の一環で、憲法と並び戦勝国から押し付けられた歴史観に毒された私たちの目は曇っていて、大東亜戦争が侵略戦争の側面があることを否定しませんが、西欧諸国による植民地支配体制を打破したこともまた歴史的事実であって、正当に評価されて然るべきでしょう。戦後レジームの脱却を目指す安倍さんにとっては、原点とも言える「会議」ではないでしょうか。
 当日の本会議で、安倍首相の演説が始まる前に、習近平は傲然と席を立って会場を後にしたと言われます。安倍首相の積極的平和主義に背を向けたことを意味する、と宮崎正弘さんは指摘し、かつ、習近平国家主席は何を訊きたくなかったのか?自問し、安倍総理の演説の中から、以下の発言を取り上げていいます。

 「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を冒さない。国際紛争は平和的手段によって解決される等としたバンドン会議の原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、如何なる時でも守りぬく国であろうと誓った」

 まさに安倍首相のこだわりの部分・・・戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「お詫び」といった表現には触れず、この思い入れのある会議に絡めて、あくまで「反省」のもとに日本の戦後の平和への歩みを強調した部分であり、この日本の積極的平和路線を習近平国家主席は受け入れることが出来ないのであろう、と結論付けておられますが、その通りでしょう。
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