風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

祝・北陸新幹線開業

2015-03-14 13:44:02 | 日々の生活
 鉄道ファンにとって、ここ数日は盆と正月が一緒に来たような盛り上がりだそうです。盆と正月という言い方がちょっと古いなら、オリンピックとワールドカップでしょうか(と、今朝の「ウェークアップ」で辛坊さんが伝えていました)。
 今日、北陸新幹線が開業しました。実に難産でした。1972(昭和47)年に政府がまとめた「整備新幹線」の基本計画に盛り込まれていましたが、世は、「日本列島改造計画」で知られる田中角栄内閣の時代です。この東京から北陸を経由して大阪に至る区間の内、金沢まで繋がるのに実に43年の歳月を要したことになります(長野までは1997年に長野新幹線として先行開業していましたが)。先はまだ長く、金沢から西の敦賀まで延伸されるのは2022(平成34)年だそうですから、果たして私が生きている内に北陸回りで大阪へ行けるでしょうか。
 とは言え、長年の夢が叶い(石川県知事は、「北陸新幹線の金沢開業は長年の悲願。100年に1度の節目」と言いました)、沿線はなかなかの賑わいです。観光だけではありません。YKKの創業者・吉田忠雄氏が富山県魚津市出身(魚津市と黒部市の名誉市民)ということもあり、東京・秋葉原の本社機能の一部を製造拠点がある富山県黒部市に移転し、集合住宅や商業施設が建設中、言わば街づくりですね。ユースキン製薬に至っては本社機能と横浜の生産・物流機能をすべてを「薬売り」の街・富山へ移すそうです。コマツは、2021年に創業100周年を迎える記念事業として、小松工場跡地をコマツグループのグローバルな人材育成の拠点とする「こまつの杜」をオープンしました。教育や会議で年間3万人が往来し、宿泊施設や食堂施設は敢えて造らず、地元業者を使うので、地元への経済効果も大きいようです。同社・野路会長は、東京は人が減って住みやすくなり、地方は人が増えて活気が出て住みやすくなると、言わばWin-Winの関係を強調されていたのが印象的でした。因みに同社既婚女性の出生率は、東京0.7、北関東1.2に対して石川1.9なのだそうです。まさに地方創生による日本再生の可能性を感じさせます。
 勿論、良いことばかりではありません。日が当たるところもあれば当たらないところも出て来るのは世の常で、新潟県は、最速列車「かがやき」が県内の上越妙高、糸魚川の両駅を通過することに不満を募らせていると聞きます。また、「巨大地震と津波のリスク回避」のため、静岡の工場を金沢テクノパークに移転した日機装のような会社もあります。北陸新幹線によって、東京・金沢間が日帰り圏内となるばかりでなく、年間輸送量は600万席(往復)から1900万席(往復)に3倍以上に増えるそうで、静岡、神奈川、愛知あたりは、沿線ではないものの、所謂ストロー現象(新幹線などの交通網の整備によって、途中の小都市が経路上の大都市の経済圏に吸いとられてしまう効果や現象)の一環で衰退しかねず、危機感をもつべきだと指摘する人もいます。航空業界の動きは早く、羽田・小松線を6往復運航する全日空と日本航空は、客の減少を見込んで、機材を小型化し、大幅な対抗値下げも行うそうです。
 ところで、鉄道ファンが盛り上がったのは、北陸新幹線のほかに、寝台特急「トワイライトエクスプレス」のラストランが、前々日の12日朝、大阪と札幌からそれぞれ出発し(翌13日朝到着)、また定期運行を続ける最後の“ブルートレイン”として知られた寝台特急「北斗星」のラストランが、その13日の午後、上野と札幌からそれぞれ出発したからでした。子供の頃、今で言う「鉄ちゃん」と呼べるほど熱心ではありませんでしたが、旅の夢を運ぶブルートレインは一種の「憧れ」でしたので、感慨深いものがあります。しかし私も年齢のせいか、惜しいと思いつつも、新幹線で時間が短縮されることの方を内心喜んでいたりしますから現実的になったものです。かつてヒマとエネルギーを持て余していた頃、車で大阪に帰省するのに、北陸回りで、金沢や輪島の朝市を訪れ、和倉温泉や能登半島突端にある「ランプの宿」に泊まったことがありました。北陸新幹線は、日本にも魅力的な街がいろいろあることを再認識させてくれて、東京から2時間半と近くなった金沢を久しぶりに訪れたいと思います。
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