風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

集団的自衛権

2014-07-24 00:18:54 | 時事放談
 書きかけのまま放ったらかし・・・というのもなんなので、とりあえず記しておきます。
 政府は7月1日の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更し、“限定的に”集団的自衛権の行使を容認することを決定しました。保守派は、重要な一歩を踏み出したことを評価しつつ、この“限定的”な行使要件が厳し過ぎるのではないかと心配する一方、進歩派(あるいは革新などと、最近も呼ぶのかどうか知りませんが)は、この“限定的”には一顧だにせず、解釈“改憲”だとして、立憲主義あるいは民主主義を踏みにじる暴挙と騒ぎ立てます。既にいろいろなところで論じられている通り、憲法解釈の変更は今回が初めてのことではなく、今回は戦後日本の安全保障政策が大きく転換される節目となるのは事実です。しかし、従来、憲法上は集団的自衛権は保有するものの、それを行使することは自衛の限度を超え、憲法上許されるものではないことから、権利を保有するが行使しないと宣言してきたところから、憲法9条との整合性に配慮した限定容認に変更するのは、飽くまで憲法が許容する枠組みの中での政策レベルの変更と言えなくもないことから、解釈“改憲”は些か言い過ぎではないかと思います。
 それにしても、ここ数ヶ月の騒ぎを見ていて感じたのは、国家の安全保障という根幹の政策は、「普通の国」であれば政権交代があっても左右にさほどブレることなく、首尾一貫していて然るべきテーマであるにも関わらず、我が国では国論が二分されるほどの騒動になり、異常と言うほかない事態だということでした。戦後のGHQ改革が急進的で社会を分断してしまったままなのか、戦前から続く国際共産主義運動の残影が根強い日本に特有の現象なのか、東アジアの特異な政治環境を反映したものなのか、いずれにしても政治や日本を取り巻く環境の問題ではなく、この国のかたちを巡る、私たち日本人の心のありようの問題です。
 というのも、安倍首相の閣議後の記者会見を聴くと、「『国民の命、平和な暮らしを守るため、切れ目のない安全保障法制の整備が必要だ。世界の平和と安定に日本はこれまで以上に貢献する』と述べ、『積極的平和主義』に基づく安全保障政策の転換であることを強調」し、また、「行使容認の意義について『万全の備えをすること自体が、日本に戦争を仕掛けようとするたくらみをくじく大きな力を持つ』と述べ、日本に対する攻撃の抑止力を高める効果を強調」する一方で、「『憲法が許すのはわが国の存立を全うし国民を守るための自衛の措置だけだ。外国の防衛自体を目的とする武力行使は今後も行わない』と断言」(いずれも産経Webより)するなど、限定的容認であることも確認しており、連立を組む公明党に譲歩したのは拙速だったのではないかと私も不安になりますが、昨今の日本を取り巻く安全保障を鑑みれば、これらの発言自体に異論は出ようはずがないだろうと思うからです。
 そう思うのは私だけではなく、どうやら少数派というわけでもなさそうです。確かに世論調査では、集団的自衛権の行使容認に反対するのが多数派とまことしやかに報道されますが、実施主体によってばらつきがあり、どうも世論調査の質問の立て方に問題があるようです。
 たとえば、産経新聞が解説するところによると、回答を「賛成」か「反対」かの二者択一にすると「反対」が多くなるのに対し、賛成を「全面的容認」と「必要最小限度の容認(限定)」に細分化して、併せて3つの選択肢を用意すると「賛成」が多くなるのだそうです。二択方式をとる朝日新聞・毎日新聞などの進歩派や共同通信では、賛成が3割前後、反対が5割台後半と出ています。これに対し三択方式をとる産経新聞・FNNと読売新聞という保守派では、実際にいずれも「限定」を含めた賛成が6割を超え、反対は3割前後にとどまるのだそうです。
 賛否に「どちらともいえない」の選択肢を含めた3択で調査したメディアもあり、日経新聞・テレビ東京は「すべきだ」が34%、「すべきでない」が50%で、「どちらともいえない」「その他」で計16%でしたし、NHKは「すべきだ」「すべきでない」が26%ずつで拮抗し、「どちらともいえない」が41%と多数を占めたのだそうです。つまり、公明党に配慮した政府・与党が目指す「限定」に相当する選択肢がない場合、「限定」と回答したい人が反対に回った可能性があるようなのです。
 既に三週間が経ってなお、週末、張本さんのスポーツ・コーナーの後、漫然と見るとはなしに見るサンデーモーニング(TBS)で、集団的自衛権の議論が国民に分かるようには尽くされていないと、相変わらず非難し続けているのは、ここまで来ると怠慢とは言えないでしょうか。あるいは自民党が公明党に配慮して、限定的な条件をつけて却って分かりにくくしてしまったのでしょうか。
 結局、日本国内のコップの中の議論を煎じ詰めると、最も警戒すべきは日本国自体ということになります。通常、防衛装備にあたっては仮想敵国があるものですが、日本の場合、それは中国ではないし、ましてやロシアや韓国でもありません。少なくとも集団的自衛権に限ると、日本そのものが暴走しかねないと、自らに信を置かない実に珍妙な議論なのです。
 因みに、集団的自衛権の行使容認について、ドイツ政府は「国連の平和維持活動に積極的に参加できるようになり、ドイツ政府は歓迎する」と評価しました(共同)し、オーストラリアは「両国が実務上の防衛協力をさらに深めていくことにつながる」「日本が国際平和と安定へより多くの貢献ができるようになったことを歓迎する」との見解を発表しましたし、米保守系紙ウォールストリート・ジャーナル電子版・社説は「好戦的な中国に対応した措置」と指摘し理解を示すとともに、「解釈変更後も自衛隊を縛る制約が大きく変わるわけではない」と強調した上で「日本が今後どういう安全保障政策を取るかは多分に中国の行動にかかっている」と主張しました(共同)。ことほどさように、国際社会では誰もが有する権利を日本も確保することにさしたる反論は(中・韓以外に)見られないにも関わらず、反対の論陣を張る朝日新聞などに煽られて国内世論がブレる不思議な国は、世界広しと言えども日本くらいではないでしょうか。日本の言論空間の異常さ、それとも背後で中国や韓国が暗躍しているのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする