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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

英語公用語化(下)

2010-07-20 23:11:16 | 時事放談
 昨日に引き続き・・・英語公用語化論に対して抵抗があるとすれば、多くは個人的・心理的なもののように思います。内田樹さんがブログの中で、「英語が公用語という環境では、『仕事はできるが英語はできない』という人間よりも『仕事はできないが英語ができる』という人間が高い格付けを得ることになる」のではないかと心配されていますが、多かれ少なかれ、あるいは裏腹の議論であれ、内田さんの懸念に集約されるのではないかと思います。
 しかし、これは日本のような非英語圏でハッタリがきくといった特殊条件下での、杞憂に過ぎません。むしろ、内田さんのポイントは、逆の意味で本質を突いているのであって、英語が話せるからと言ってグローバルに通用するわけではありません。国際社会にあっては(実はこの国際社会という言葉自体が好きではありませんが、ここでは便宜上使います)、見識があっても英語で語れないのは残念ながら論外ですが、流暢であっても中身が薄い帰国子女より、英語がたどたどしくとも傾聴に値する内容を搾り出す識者が尊敬を集めるものであるのは、以前、別のブログにも書きました。
 英語は必要ではありますが、それだけで十分とは言えません。月並みではありますが、先ずは尊敬されるべき教養や技能を積んでいることが、グローバルに通用する第一条件だろうと思います。その意味で、日本語か英語か(英語がすべてではない、思い上がりも甚だしい)といった言葉の議論にこだわるのも、また文化相対主義といった大上段の議論を持ち出すのも、いずれも過剰な反応ではないかと思います。
コメント
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