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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

タイガー復活

2019-04-16 00:10:11 | スポーツ・芸能好き
 この人は笑顔が、そしてグリーンジャケットが、よく似合う。ゴルフの祭典マスターズの勝者に贈られる栄光のジャケットだ。昨年のツアー最終戦(ツアー選手権)で5季ぶりの優勝を果たしていたタイガー・ウッズだったが、メジャー制覇は11年振り、マスターズに至っては2005年以来14年振り(5度目)、ついでに初優勝から22年ぶりで、43歳3ヶ月でのマスターズ制覇は、46歳2ヶ月で大会6勝目を挙げたニクラウスに次ぐ年長優勝だそうだ。
 誰がグリーンジャケットを羽織ったこの満面の笑顔を想像できただろう。膝の故障に始まり、私生活のトラブルを引き起こし、スポンサーを次々と失い、いったん第一線に復帰したものの、今度は腰痛に見舞われ、一時は歩くことすら出来ず、何度も手術を受けた。抗不安薬などの影響下で車を運転して、よろめきながら逮捕される姿を晒したのはほんの2年前のことだ。落ちぶれたかつてのスーパースターを誰もが憐れみ、メジャー通算18勝のジャック・ニクラウスの記録(タイガーはこのマスターズで歴代2位の15勝目)も、米ツアー通算82勝のサム・スニードの記録(タイガーは同81勝目)も、軽々と塗り替えるものと目されながら、ついに手が届かないだろうと諦められたものだった。
 マスターズという大舞台で華々しく復活したのは、しかし、かつての豪快なタイガーではない。パーオン率80・56%(72ホール中58ホールで成功)こそ全選手でトップながら、ドライバーショットの平均飛距離は294.5ヤードで44位と、飛ばし屋だったのがウソのようだ。「(最終日は)自分のゴルフに集中できたのが大きい。冷静さを保つことができたのが一番の理由」と語ったように、さながら獲物を狙う豹のような精悍さが戻ったように見えたのは見間違いではなかったが、人間的にはひと回りもふた回りも成長したのだろう。
 それにしてもゴルフの神様は、気紛れに劇的なことを演じなされるものだ。
 こうして思うのは、実は水泳の神様のことだったりする。池江璃花子さんに過酷な試練を与えて弱冠20歳にも満たない18歳の運命を弄び、それでも気紛れに微笑んで劇的なことを演じなされるだろうか、と。
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イチロー賛歌

2019-03-26 00:33:23 | スポーツ・芸能好き
 あの引退会見の翌日と言うべきか、会見が始まって間もなく日付が変わっていたので、その日の午後と言うべきか、イチローがシアトルに戻るフライト(NH178便)は、普段は搭乗口58B番ゲートを使うべきところ、(NH835便と入れ替えて)51番ゲートに変更したと報じられた。全日空関係者は「これまでの活躍に敬意を表し、オペレーションに問題のない範囲内で変更した」と説明したらしいが、「シアトル行き51番ゲート」のサインボードは、なかなか粋なハナムケになったと思う。当日、これらフライトに搭乗された乗客の方々も、微笑ましく受け容れたことだろう。
 この週末は、いろいろイチロー特集が組まれたり、足跡を辿る記事があったり、あるいはまた親交のある球界や芸能界の著名人による賛辞が続いたりで、いつまでも興奮冷めやらぬ状況にあった(苦笑)。
 私が最も注目していたのは、日曜朝のTBS「サンデーモーニング」スポーツコーナーで球界のご意見番とも言うべき張本勲さんのコメントだったが、いつもの辛口はすっかり影を潜め、らしからぬ(!?)ねぎらいの慈愛に充ち満ちていた(笑)。「もう言い尽くしているからねえ。ないですよ。とにかくご苦労さん、ありがとう。日本プロ野球界の出身者が一時はアメリカ野球界を引きずり回しましたからね。そういうことを言っても過言じゃないからね」で始まり、「もう至れり尽くせり。もう褒めることばっかり。何か欠点を言えといったらホームランが少ないというだけ。それも持ち味だから。どこを探しても欠点はない。走攻守」と締めて、いつもにはない感慨深げな「あっぱれ」を出されたのが印象的だった。
 ほかにも球界ゆかりの方々のコメントが多数とりあげられた。「どこに投げても打たれる打者。配球が通用しない。敵ながらあっぱれ」(現役時代も捕手として対戦した中日・伊東ヘッドコーチ)、「一つ言うと百わかるような感性の良さを感じさせる選手だった」(オリックス時代に指導したソフトバンク新井2軍打撃コーチ)、「野球界に、華やかさがなくなっちゃう」(2012年にヤンキースでチームメートだったヤクルト五十嵐)、「もう同じような選手は出てこないのは間違いない」(DeNAラミレス監督)といった、これ以上ない褒め言葉から、「私はたまたま93年に首位打者になったが、翌年からイチローが7年連続。タイトルを獲っておいて良かった、と思います」(西武・辻監督)といった受け狙いのぶっちゃけコメントや、「イチローになってみたい、イチローになって一日野球をしてみたいよな」(阪神・矢野監督)など思わず座布団を差し上げたくなるような笑点的破天荒コメントまで、楽しませてもらった。
 海を渡ったアメリカでは、全国紙USA Todayのスポーツ専門サイトFor the winが、事実上の引退試合となった開幕二戦目の名場面ベスト5を選出している。
(1位)「ユウセイ・キクチの涙」――8回の交代シーンで、同僚一人ひとりと抱擁を交わす際、同僚の菊池雄星が号泣した。
(2位)「そしてディー・ゴードンも」――直後、イチローを“師匠”のように慕う後輩内野手も涙した。
(3位)「ケン・グリフィーJr.と抱擁」――8回の交代シーン、マリナーズが生んだ英雄であり元同僚とベンチ内で熱くハグした。
(4位)「球場に轟き渡る喝采」――試合後、グラウンドを去った後に「イチロー」の大コールが球場を包んだ。
(5位)「ウイニングラン」――大コールに応えてグラウンドに姿を現し、場内を一周しファンとの別れを惜しんだ。
 何のことはない、前回ブログで触れた日本テレビ・佐藤義朗アナの“4分間の沈黙”のシーンの数々だ。実は、同じ試合を米国で中継したスポーツ専門局ESPNの実況も、サービス監督が交替を告げて、イチローがベンチに向かって歩き始めると、「これがメジャーのフィールドから去る最後の時になる」と言ったのを最後に言葉が途切れ、その後2分38秒の間、イチローがベンチで一人ひとりと抱擁を交わし終わるまで、沈黙していたらしい。言葉は要らない・・・というドラマチックな演出は、何事も大袈裟で褒め上手が文化のアメリカでは珍しいことではないような気がする。
 そのアメリカのメジャー関係者のコメントで揮っていたのは、マリナーズ入団時の監督だったルー・ピネラ氏で、徹底した準備や圧倒的な走・攻・守の能力を称賛しつつ、「イチローは野球という競技のアンバサダー(大使)だ。ずっとその役割を担ってきた」と語っていた。張本さんは、もっとあけすけに「興業的には大成功」と、やや皮肉を込めてコメントされていたように、コマーシャリズムの国アメリカにありがちなことではあるが、同時にアメリカは実力があれば国籍を問わず率直に敬意を表する国でもあって、今回の興業は、イチローへのリスペクト、日本の野球ファンへのサービスから、イチローをどういう形で見送るのがベストなのか考えた末のものでもあったように思う。なにしろ世界で最も野球好きなのはアメリカと日本だという連帯意識がある。投手では野茂が、野手ではイチローが、その後、続々と日本のトップ選手がアメリカに渡って腕試しする先鞭をつけたという意味で、商業的に嬉しいだけでなく、野球の本家・アメリカにとってこれほど名誉なことはなく、そんな野球で結ばれた特別な関係にある日・米の間のアンバサダー(大使)と呼ぶのは至言だろう。本来、野球ではなくクリケットの国イギリスでも、公共放送BBC電子版ニュースやガーディアン紙でイチロー引退が報道されたのは、本家アメリカを超えるイチローの実力に喝采を送るとともに、ある意味でちょっと羨ましい日米関係をやっかんでいるようにも見える。
 これほど様々なコメントや反応が拾われるのは、ツイッターやインスタグラムが普及した時代ゆえであろう。
 マリナーズの公式インスタグラムには、イチローが試合後のロッカールームで、チームメートに対し引退を報告するシーンと思しき画像が公開された。イチローの背後から、真剣な表情のチームメートを捉えた絶妙のショットで、どんな話をしているのか、晴れがましくも万感の思いが籠る、大写しの背番号51が、何よりも雄弁に物語っているようだった。
 さらに菊池雄星のインスタグラムには、ほろっとした。イチローの現役ラストゲームで奇しくもメジャー・デビューを果たし、4回2/3で降板して初勝利とはならなかったものの、二人にとって運命めいた試合は、彼にとって想い出深い試合になったことだろう。インスタグラムに掲載されたのは、東京ドームの通路を、何やら話しながら歩く背番号51と18の2ショットだった。試合後の会見でイチローへの思いを問われて、ぎゅっと唇を固く結び、涙をこらえるように上を向きながら、1分間の沈黙の末、「幸せな時間でした」「キャンプからこの日まで、イチローさんは『日本でプレーできることはギフト』とおっしゃいましたが、僕にとってはイチローさんとプレーできた時間というのが、最後のギフトでした」と、なかなかナイスな言葉を絞り出したものだったが、インスタグラムにも「イチローさんとプレーした時間は大切な宝物になりました。マウンドから見るライトの景色をずっと忘れません」と再びナイスなコメントを添えていた。
 菊池雄星というピッチャーは、これまで余り気にかけていなかったが、是非、イチローの思いを繋いで、マリナーズで頑張って欲しいと思わせるほどの、座布団二枚の名セリフだった。
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イチロー引退

2019-03-23 00:19:42 | スポーツ・芸能好き
 いよいよ「来るべき時」が来たか・・・という感じだった。もっとも頭では理解していても、いつも良い意味で期待を裏切ってくれたイチローなので、何かあるかも・・・などと、心の中ではショックを、そして覚悟を避けて来たのだった。
 昨晩、共同通信の第一報(19時19分発)に気が付いたのは何時頃だっただろうか。それからはパソコンの前を離れられず、漫然と記事検索しながら、時折り涙をぼろぼろ流し、時節柄の花粉症のせいではない洟をかみながら、日本酒をぐいぐい煽った(深夜に至るまで、50台半ばのジジイが、なんとおぞましい姿・・・)。
 前回ブログでは、たった一本、ギネスに載ったプロ通算安打4367分の1の安打を待望したが、叶わなかった。オープン戦では僅か2安打、凡退するたびに首をかしげ、表情の険しさが増し、最後の24打席はノーヒット、開幕早々の6打席もノーヒット、その現役最後の打席は、かつて母校・愛工大名電の監督に豪語した「センター前ヒットなら、いつでも打てる」はずが、センターに抜けることなく平凡なショート・ゴロに終わった。バット・コントロール巧みな天才イチローにして、本人も打ちたかった後一本を生み出すのに苦しむという、何と皮肉な寂しい結末だろう。否、これも野球の醍醐味じゃないかと、野球の神様は微笑んでおられるかも知れない。
 そもそもイチローがメジャーに渡った当時は、野球の神様がイチローに乗り移り、光臨したかのような印象だった。
 イチローがメジャーに渡る前、1990年代後半は、筋肉増強剤の使用が蔓延ったとされる時代で、本塁打が飛び交う(という意味ではアメリカらしい)大味の野球全盛だった。そこに颯爽と登場したのが、本場メジャーの選手と並べるといかにも華奢で、体力的に大いに不安視された、しかし俊足巧打のスピードと技術で、次々に安打記録を塗り替え、本場アメリカの野球ファンに野球本来の魅力を再認識させることになる、“外来”希少種のイチローだった。
 ところが最近は、データ分析や動作解析の進化により、投手の急速は年々アップし、直球の平均急速は、イチローがメジャーに渡った2001年当時は88.5マイル(約142キロ)だったのに対し、昨季は93.6マイル(約151キロ)に達し、全直球の22%は95マイル(約153キロ)以上を計測したそうだ(このあたり、今朝のスポニチによる)。これに対抗する打者はスウィング・スピードや打球角度を重視して転がすより打ち上げ、より安打の確率を高める「フライボール革命」なるトレンドが生まれ、再び長打力がある打者が評価され、高齢選手は敬遠されるようになったという(同)。イチローが存在価値を見出して来た野球とは、残念ながら真逆のスタイルである。時代を塗り替えたはずのイチローが、再び時代に取り残されたような・・・
 深夜に行われた引退会見は1時間23分に及んだ。
 印象的な場面を問われて、「去年の5月以降、ゲームに出られない状況になったが、それ以降もチームで練習してきた。それがなかったら、今日という日を迎えられなかったと思う。誰にもできないことかもしれない。それはささやかな自分の誇りになった。ほんの少しだけ誇りを持てたかもしれないです」とイチローらしい逆説的なウィットに富んだ答えだった。後悔がないかと問われると「今日のあの球場での出来事、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」と、日本のファンに素直に感謝した。イチローの、いかにも年齢を重ねた丸みを感じさせる。
 白眉は、現役生活を陰で支えた弓子夫人と愛犬・一弓への感謝の気持ちの表明だった。本拠地での試合前には弓子夫人が握った「お握り」を食べることを明かし、「それが(合計で)2800個くらいなんですね。(夫人は)3000個いきたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかった」と、自らの安打数にひっかけて3000という数字を挙げ、引退後は「僕はゆっくりしないと言いましたが、妻にはゆっくりしてもらいたい」と、イチローらしい、ひねったユーモアでくるみながら、奥様の支えに素直に感謝したのだった。そして愛犬・一弓の存在感である。今年で18歳になることを明かし、「さすがにおじいちゃんでフラフラなんですけど、懸命に生きている。その姿を見ていたら俺も頑張らなきゃなあと。まさか僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思っていなかった。これは大変感慨深い。妻と一弓には感謝の思いしかないですね」と、家族の支えに、愛情一杯の賛辞を送ったのだった。
 最後に・・・ 昨晩のゲームを実況した日本テレビ・佐藤義朗アナの“4分間の沈黙”に、ネットでは賞賛の声が上がっているらしい。8回、いったん守備に就いたイチローが大歓声の中でダグアウトに戻り始めた時から、佐藤アナは一切、言葉を発しなかったという。その時間にして約4分。イチローが選手やスタッフとハグを交わし、菊池雄星が号泣している間も、画面はその様子だけを伝え、スタンディング・オベーションがようやく終わるや、佐藤アナはおもむろに口を開き、「同じ国に生まれ、同じ時代を生き、この瞬間に立ち会えたことに感謝したいと思います」と、言葉を選んで実況を再開したという。なんとドラマチックなこの言葉、まさに私にしても日本中のファンにしても、思いを同じゅうしていることだろう。以て瞑すべし。
 物理的にはほんの数時間なのに、まさに走馬灯のようにさまざまな思いが行き交い、感覚的には長い、長~い数時間だった。
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イチロー凱旋

2019-03-20 22:38:00 | スポーツ・芸能好き
 マリナーズは今日、登録枠28名を発表し、マイナー契約でキャンプに招待していたイチローと正式に19年目のメジャー契約を結んだ。年俸は昨年と同額の75万ドルだそうだ(8千万円強)。
 そのイチローは今日の開幕戦に「9番・右翼」で先発出場し、昨年5月2日以来の公式戦復帰を果たした。MLB公式サイトによると、45歳149日での開幕スタメンはメジャー歴代7位、野手としては歴代2位、外野手としては最年長だという。3月1日を最後にオープン戦24打席連続無安打、打率・065(31打数2安打)と、不本意なまま臨んだレギュラー・シーズンだったが、第一打席は二飛、第二打席は四球と、今日も快音は響かなかった。
  * * *
 話を、17・18の両日に行われた「2019 MGM MLB 開幕戦プレシーズンゲーム」に戻す。巨人との練習二試合でともに「9番・右翼」で先発出場したイチローは、「大好きな日本でプレーすることで気持ちも変わるし、自分の持てる技術を見せたい」と胸の内を明かしたが、(上述の通り)二試合とも3打数無安打に終わった。
 しかし守備では二試合ともそれなりに見せ場があった。初戦の初回、一死後、坂本勇人のライトへの飛球を背走しながらランニング・キャッチし、最後は右翼フェンスに軽くぶつかりながらボールは離さず、何事もなかったかのようにクールな表情のイチローらしいプレイだった。第二戦では三回、無死二塁で、田中俊太の右飛をキャッチすると、三塁手のヒ―リーにノーバウンドで矢のような送球・・・イチローの代名詞とも言うべきレーザービームで、二塁走者ゲレーロを累上に釘付けにして、スタンドは大歓声に包まれ、敵軍の巨人・原監督も思わず拍手を送るほどの強肩ぶりは健在だった。
 その原監督は「久しぶりに会いましたけど、体形が変わらず、あの年齢の中でも守備力、走力ともに衰えていないところに彼のすごさを感じますね」と感服されていたようだが、ユニフォームで良く分からないが足腰の肉付きがよくないように私には見えた。さすがにちょっと痩せたのではないかと思う。初戦の日曜日はそのイチローをテレビ観戦し、一挙手一投足に思わず涙してしまった(苦笑)。私を含め、東京ドームの観衆も茶の間のファンも、イチローが日本でプレーする姿を見るのはこれが最後、見納めになるかも知れないという思いを多かれ少なかれ抱いていたことだろう。
 それだけに、観衆のイチローへの声援は「ハンパなかった」(と今風に 笑) それを察したのか、イチローも、「まぁでもいい雰囲気でしたよ、球場はね。東京のファンは品があるねぇ。東京のファンは凄い品がある。(10時の開場と同時に多くのファンが来場し)びっくりしましたよね」「まぁでも今日しか来られない人がたくさんいたと思うし、結果出したかったね。でもいい雰囲気。凄くいい感じです。感激しました」と語り、最後に「いい、すごくいい。東京のファン最高」と話を締めくくったという。イチロー・シンパのディー・ゴードンは、大観衆の反応に感銘を受けた様子で、「凄かった! 彼が成し遂げてきたことの全てがあれだけの応援に値するということ。ともにプレーをした選手の中で最も素晴らしい選手の一人」と称え、今季インディアンスから加入したエンカ―ナシオンも、「イチローは楽しんでたね。日本のファンの反応はものすごく印象的だった。信じ難いほど凄かった!」と驚きを隠せなかったようだ。
 インタビューでのイチロー節も健在だった。時差ぼけ対策を聞かれて、「時差は19年でも慣れない。記者からの質問にも慣れず、アメリカ人のいいかげんさにも慣れていない」・・・イチローらしいひねった反応だ(笑) しかし、自分でいつ引退するときだと分かるかと問われて、「いつかは僕にも分からない」と答えつつ、「2012年にトレードされて、その後は毎日その日を懸命に生きてきた。厳しい世界なのでいつチームからそういう通達がくるか分からない日々を過ごしてきた。そして今日ここにいる状態ということ」・・・いつもはビッグ・マウス気味のイチローでも勝負の世界で年齢と戦い続ける本音はそういうものだったのかと、思わずホロリとした。7年ぶりの日本でのプレーを「(自身への)大変大きなギフト。どの一瞬も大切にして、一瞬、一瞬を刻み込みたい」と抱負を語ったのも、覚悟して臨んでいるのを感じて、つい湿っぽくなる。
 昨日のアサ芸プラスにスポーツライター友成那智氏のコメントが出ていた。「昨季は試合前の打撃練習には参加はしていましたが、やはり試合勘は別物、実戦に出続けないと養えない。もちろん不調の原因には、肉体的な衰えもあるでしょう。スイングスピードが遅ければ、当然155キロのスピードボールには対応できません。反応速度や、動体視力も落ちてきている。残念ながら、現時点ではメジャーのレベルに達していないと言わざるを得ません」・・・そんなことは分かっている。日本での興業でスタメン出場もご褒美だと分かっている。それでも、イチローなら奇跡を起こしてくれるかも知れない・・・明日は一本が出ることを期待しつつ・・・。
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青梅への道(3)

2019-02-24 11:40:23 | スポーツ・芸能好き
 先週末、青梅マラソンを走って来た。秘かに目標としていた3時間20分を切れず、よれよれでゴール寸前のところ、待ち構えていた高橋尚子さんにハイタッチをするためにやや背筋を伸ばして、とりあえず笑顔(苦笑い)でフィニッシュ・・・と言いながら、一週間も経つと、本当に走ったのか、夢のような出来事である。つい数日前まで、筋肉痛はさほどでもなかったが左足裏(親指の付け根あたり)の500円玉大のマメが潰れて、風呂につかるとヒリヒリ痛んだのが、辛うじて現実感を思い出させてくれた。
 相変わらずのアップダウンはタフで練習不足の身にはきつかった。ペースが上がらないままの低空飛行は欲求不満だったが、自業自得だ。青梅への出走はこれで5年連続になるが、年明けからの一ヶ月半で101キロ、今シーズンを通しても通算206キロと、恐らく過去最低の練習量で臨んだことになり、年齢を重ねる上に練習量が減るようじゃあ、記録が伸びないのは道理なのだ。走ることがちょっとマンネリ化して来ているかも知れない。
 公式サイトによると、スタート時の気温9度、湿度32%、北北西の風3メートル、行きのなだらかな上りよりも帰りの下りでやや風を冷たく感じたが、絶好のマラソン日和に恵まれた。昼食時間帯である11時半スタートというのは、燃費が悪い(大飯食らいの)私にはいつも不満だが、なにより青梅の良さは、太鼓がずんずん腹に響くほどの、あるいは学生さんのブラスバンドの、さらには個人の方で「ロッキーのテーマ」や松村和子さんの「帰ってこいよ」を毎年がんがん鳴らしてくれる、力強くも暖かい沿道の声援にある。今年も後半の疲れたところでヤクルトを貰えて嬉しかったし、寒い中を施設のおじいちゃんやおばあちゃんが、また子供達が手に手にチョコレートや飴ちゃんを手渡そうと待ち構えていてくれるのを見ると、気持ちだけでももうちょっと頑張らなきゃと思わせてくれる(笑) ボランティアの給水もあって、大会そのものの給水や給食は少ないくらいで、なんとなく沿道との距離が近い大会なのだ。
 マンネリ化しているかも・・・というのは、年明け早々にインフルエンザA型に罹ったことにも表れている。過去何年も、この季節には大会が目白押しのため、予防接種しなくてもインフルエンザを寄せ付けないだけの緊張感を保っていたが、今年は違った。さらに今シーズンは、11月の皇居ラン(15キロ)と青梅(30キロ)だけで、7度目のシーズンにして初めてフルマラソンを走らない。いつもは3月あるいは4月半ばまでフルマラソンの大会があって練習を引っ張ってきたが、今年は2月半ばにして大会出場が終わって、このままシーズンを終えるのか、自分でも戸惑っているのだ。一昨年のフルマラソンの大会では41.1キロ地点で5時間の関門に引っ掛かり、初めて公式記録を貰えなかったが、それでもスタート地点のロスタイムと気温24度を勘案すれば、ほぼ5時間くらいで走ったという実感があった。ところがついに昨年は公式に5時間を切れない記録が残った。アメリカで7度、日本に戻ってから7度、計14度目にして初めてのことだった。勿論、私より年配の方でも健脚を誇る方は大勢いらっしゃるが、私の練習ペースを変えない限り、もはや記録は頭打ちで、年齢との戦いになる。いつまで続けられるのか。そろそろ春爛漫なのに、心は秋の夕暮のような侘しさに包まれている(笑)
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白血病の衝撃

2019-02-13 00:49:22 | スポーツ・芸能好き
 私にとって白血病と言えば、深窓のご令嬢が患う病だったり、美人薄命の代名詞だったりするのは、別にお伽噺の読み過ぎではなく、急性骨髄性白血病という病によって若くして命を奪われた夏目雅子さん(享年27)とほぼ同時代を生きたからにほかならない。医学に対する知見もないから、競泳女子の池江璃花子さんが白血病と診断されたことにはショックを受けた。来年の東京五輪に向け、絶対女王への地歩を固めつつあっただけに、信じられない思いでいる。
 確かにかつては「不治の病」とされたが、医学は進歩しており、治る可能性が高い病気になりつつあるらしい。産経Webからの孫引きになるが・・・国立がん研究センターなどによると、白血病の患者は10万人当たり10人弱だが、20代未満の若い世代では、がんの種別で1位だとは知らなかった。ある専門家によると、非常に進行が早いことで知られるが、約7~8割の患者は抗がん剤治療で白血病細胞が消える「完全寛解」の状態となり、その後も抗がん剤治療を半年から2年程度継続することで、約3~4割は根治が可能だという。また、抗がん剤治療のほかにも、骨髄移植の選択肢もある上、新たな治療法の開発も進んでいるという。日本骨髄バンクによると、移植を求める患者2930人に対し、ドナー(提供者)登録数は約49万人と十分に見えるが、適合しない場合や登録者が途中で辞退する場合もあり、待っている患者はいるのだそうだ。
 恵まれた体格で・・・と書こうとして念のためWikipediaを調べて見たら、身長171cmとある。数字以上に、随分、大きく逞しく見える。顔立ちは実に端正で、日本人形のような伝統的な正統派美人で、別嬪さんという日本語がぴったりだ。無責任な一人のスポーツ・ファンとして、しかし東京五輪で・・・などとケチなことは言いません。一日も早い貴女の回復と水泳での雄姿を、首を長くして待っています・・・
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青梅への道(2)

2019-01-31 01:14:00 | スポーツ・芸能好き
 冬場の体力づくりは、年々、加齢とともに心なしかスローペースになっているような気がするが、ほぼ順調に距離を伸ばし始めたところで、年明けにインフルエンザに罹ってしまい、二度の週末をスキップするハメになってしまった。ほぼ実働三週間の穴が開いたことになり、不覚ながらも、この時期になってこのザマはとても痛い。こうして走り込み不足を言い訳にするのは毎度のことなので、世の中まあこんなものだと(私の行いなど所詮この程度のものだと)諦めるしかなく、高校時代や大学時代と同様、一夜漬けのようなつもりで後は出来ることをやるのみである。
 過去を振り返ると、靴がポイントと思う。かつての同僚は、単身赴任の気楽さもあって買い足している内にいつの間にか8足ほどたまって、奥様が視察にくると言っては、やれ靴を隠さなければと焦っていた(笑)。小心者の私は、ナイキの厚底が人気だと言われれば目移りしそうになるのをぐっと我慢して、今ある2足(本番用1、練習用1)を、それぞれ履き潰すまで地道に履き続けるしかない(苦笑)。靴紐を緩め過ぎれば靴ずれを起こし、強め過ぎれば血管を圧迫して痺れて走り辛くなる。走ると三倍の重圧がかかると言われ、それを三時間から五時間も続ける足にはただでさえ負担がかかるので、細心のケアが必要なはずだが、なかなか加減が難しい。
 それから今年はフォアフット(あるいはミッドフット)着地をちょっとだけ意識するようにしている。走る姿を横から眺めれば(というのを想像すれば)、足(靴)は滑らかな円(あるいは楕円)運動をしていることが分かる。走るのは、それを長時間、如何に円滑に回し続けるかがポイントで、足裏のやや前方、爪先寄りで着地すると、着地時における脚や体へのダメージが少ないとされるのに対し、踵着地をすると、靴が磨り減ることからも分かる通り、道路との摩擦が多くて、言わばブレーキをかける形で走ることになって脚への負担が大きいとされる。そのため、ケニアやエチオピアの選手の殆どはフォアフットで着地しているらしいのだが、そこまで体幹が優れない私が下手にマネをすると却ってフォームを崩して負担が大きくなる可能性もあるから、余程、注意してかからなければならない。実際には、フォアフット着地ではなくても、せめて足裏でべったり着地するミッドフット着地でも、踵着地よりはまだマシだろうと思っているのだが、最近、長時間走っていると腰が痛くなるのは、やや前傾になっているせいかも知れないし、膝の上が疲れやすいのもそのせいかも知れないと警戒している。歩幅が狭くなって、余計脚に負担がかかっているかも知れない。トライ・アンド・エラーである。いずれにしても、何か新しいことにチャレンジしなければ、加齢とともに(練習量を増やすわけでもない私は)ジリ貧になるだけなのだ・・・悲しい現実である。
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大坂なおみが今あるのは

2019-01-29 21:56:13 | スポーツ・芸能好き
 今はまだ二重国籍で、日本語よりも英語の方をスラスラ喋る彼女が、日本登録で活動するにはワケがあると、日刊スポーツの記事にあった。
 5年前の東レ・パンパシフィック大会で出場選手をチェックしていた日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏は、予選1回戦で敗退した15歳の大坂に目が釘付けになったそうだ。「すごい才能だと思った」という吉川氏は、早速、当時の女子代表監督や強化本部長に報告し、以来、彼女が日本に来たときには、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきたという。他方、彼女は米国テニス協会のジュニア大会によく出場していたが、目立った成績は残しておらず、言わば埋もれた存在だったので、米国協会に支援を申し込んでも取り合ってもらえなかったらしい。転機になったのは3年前の全豪で、彼女が3回戦まで勝ち進むと、今度は米国協会から強烈なアプローチを仕掛けてきた(つまり多額の支援を申し出た)そうだが、彼女のお父ちゃんは、無名時代から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したということだ。
 ラケットだけでなくウェアやシューズも提供するヨネックスとの関係も、なかなか感動的(神秘的?)だ。
 ヨネックスが彼女の支援を始めたのは、彼女がまだ10歳の頃だったそうだ。ヨネックスには国内外を問わず、ジュニア選手から用具などのサポート要請が多数届くらしく、国内であれば、ジュニアの地方大会や全国大会での活躍など一定の実績をもとに、海外であれば、コーチや関係者を通して選手の状況をヒアリングするなどして、支援をするかどうかを判断しており、そんな中に大坂選手のお母ちゃんからの手紙があって、ヨネックス米国支社のスタッフが、彼女が出場するトーナメントを観戦し、「まだ荒削りだが、パワーはすごい。このパワーの可能性にかけたい」と評価し、支援を上申したという。当時の現地スタッフは既に退職しているため詳細は不明だが、関係者によれば、それまでの出場試合やトーナメントの実績だけで判断するならば、やはり(米国協会の判断と同じく)通常なら契約するレベルにはなかった可能性があるということだ。
 そうは言っても、ラッキーな星のもとに生まれたというより、若い頃から(今でも十分に若いが)彼女にはどこか人を惹きつけるものがあったのだろうと思う。
 彼女は大阪で生まれて3歳の頃にアメリカに移住し、どうでもいいことだが私も鹿児島に生まれて3歳の頃に大阪に引っ越して、私の本籍は鹿児島のままである(彼女が日本語を話すようには私は鹿児島弁を話せないが)。記憶は殆ど残っていないのは彼女も私も同じだが、彼女にとっては、お母ちゃんが日本の料理や文化をなにくれとなく伝え続けてきたからこそ「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識するようになったというし、私にとっては、両親が鹿児島弁まるだしで喋り、根っからの鹿児島人の母の料理で育ち、鹿児島の産品が送られて来ては舌鼓を打ち、私のルーツは鹿児島(の薩摩半島の先っぽのど田舎)であることをいとおしく思うようになった。海外駐在するにあたって戸籍抄本だか謄本を取り寄せたとき、珍しがって、(余り仕事がないせいか)電話で話し込んで、大丈夫かいな・・・と心配するには及ばず、離れていて不便とは言え対応は早かった(笑)。煎じ詰めれば、生まれは勿論のこと、その後に続く「縁」なのだろうと思う。僭越ながら、彼女が日本を思う気持ちはなんとなくよく分かるのだ。
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なおみ節 健在

2019-01-26 23:44:58 | スポーツ・芸能好き
 大坂なおみ選手が、あれよあれよという間に全豪オープンでも優勝してしまったことには驚いた。昨年の全米オープンに続くもので、何と言う軽やかさだろう。グランドスラム連覇は、2014年の全米から翌年のウィンブルドンまで4連勝するという圧倒的な強さを誇った当時のセリーナ・ウィリアムズ以来というが、初優勝からの連覇となると2001年全豪・全仏を制したジェニファー・カプリアティ以来6人目、18年振りの快挙だという。これで明後日に発表される世界ランキングでは日本選手初と言わず、男・女シングルスを通じてアジア勢初の世界ランク1位となることが確定したらしい。21歳にしては幼くも見える日頃の愛くるしさとは何ともギャップのある、ニュー・ヒロインの誕生である。
 今回も「なおみ節」は健在だった。
 大会前の記者会見で、「私は精神的に3歳児のようなところがある。人間的に成熟することが最大の目標」と語ったことに対し、ある臨床心理士は、3才のメンタルとはなんともうまい譬えだと褒めた。3才のメンタルといえば、自己主張が強くなる時期だが、まだまだ自分自身を抑制することが十分にできない時期でもあり、全米オープン優勝では、勝利の要因を「我慢」と答えていたのは、メンタルがまだ3才だったとしたら、感情を抑制するのがまだまだ難しい場面もあったのだろう、その時の感覚としては、感情をコントロールするというより、我慢するというイメージだったのだろうと、納得の解説をしている。
 ところが準々決勝後のインタビューでは、大会を通じて精神的に成長しているかと問われて、「1歳くらい成長したかな。4歳ね。おめでとう、私」と、なんとも素っ頓狂な受け答えをした。先ほどの臨床心理士は、4才のメンタルについて、自発性が出てきて、色々なことを探求し始める時期であり、相手の心の動きを読めるようになったり、様々な課題を乗り越えられるようになったりすることで自分への信頼感も生まれてくるので、以前より動揺が少なくなる時期でもあるという。確かに、ラケットを投げつけたり、感情の起伏が激しい様子が見られたりしたが、その後は、感情に飲み込まれそうになる手前でコントロール出来ているようだ。全豪オープン開幕前にメンタルについて話した時に、彼女が使った言葉は「我慢」ではなく「均衡」だったあたりも、符号していそうだ。
 同じく準々決勝後のインタビューで、「Is this live(生放送)?」と確認して、カメラ目線になると、笑顔を浮かべながら「おじいちゃん、お誕生日おめでとう」と日本語で祝福したそうだ。準決勝後に、日本の祖父母からメッセージが届いているか聞かれると、「日本、今何時?」と逆に質問し、インタビュアーが「夕方ですね。午後4時くらい」と教えると、「はあー、なんかおはようじゃない? おはようございます、おじいちゃん、おばあちゃん」と話したという。この呆け具合いは大物だ。
 「飾らない人柄、はにかんだ笑顔。そしてユーモアあふれるスピーチは、豪州のファンもとりこにした」とある記者が書いていたが、それを象徴するように、表彰式後、ボールキッズたちとの記念撮影時や、優勝カップを前にした記念撮影でも、コート上に正座し、はにかみながら笑顔を見せていたというから、今までにない、どう見ても“らしくない”自然体のヒロインには、彼女ばりに英語で表現するならCrazy for you・・・という感じかな。
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東京五輪効果?

2018-12-24 22:30:38 | スポーツ・芸能好き
 国内の大会で世界チャンピオンが勝てないとは、何というハイレベルの争いだろう。
 フィギュアスケートの全日本選手権では、2週間前のグランプリ・ファイナルで優勝した紀平梨花が、フリーで自己最高得点を叩き出してトップに立ったが、SPの出遅れを挽回できず、2位に終わった。優勝したのは坂本花織で、SP、フリーともに2位と手堅くまとめて逆転優勝し、グランプリ・ファイナルで4位に終わった雪辱を果たした。表彰台で、お互いの花束の匂いを確認し合う写真が掲載されていて、切磋琢磨し合うライバルながら普通の女の子に戻った姿がなんとも愛らしくて微笑ましかった。
 レスリングの全日本選手権・女子57キロ級では、リオデジャネイロ五輪63キロ級金メダリストで、今年の世界選手権59キロ級でも優勝した川井梨紗子が、残り10秒で、五輪4連覇の伊調馨に逆転負けを喫した。川井は妹とともに東京五輪を目指すために階級を下げて、伊調は本格的に練習を再開したのが今年4月で、コーチによれば技術も筋力も7割と、お互いにハンディを背負っての対戦だったが、一次リーグ初戦で敗れて再戦となった伊調の勝利への執念と格闘家としての本能が僅かに勝ったようだ。7割の筋力と言っても、筋力が落ちて痩せているから余計にシャープに見えるのか、太腿や二の腕はとても女性のそれとは思えないほど逞しい(!)。
 伝統的に柔道は海外より国内で勝つのが難しいと言われてきたが、他にも卓球やバドミントンも国内での競争が熾烈になった。なんでもかんでもというわけには行かないが、体力より技術力が活かせる競技で、海外転戦して場馴れすることで、世界に伍することが出来る競技が増えて来たのは、東京五輪効果だろうか。私のようなミーハーなスポーツ好きには頼もしくて見応えがあって嬉しい。
 上の写真は、先週、外出した折りに撮った東京タワー。クリスマスツリーにはちょっと明る過ぎながら・・・。
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