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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

キッシンジャーの異彩

2023-12-16 10:48:11 | 時事放談

 かれこれ二週間以上が経ってしまったが、ヘンリー・キッシンジャー氏が亡くなった。享年100の大往生だった。

 保守派でありながら共産主義・中国に接近するという、イデオロギーに囚われない現実主義で、バランス・オブ・パワーという伝統的な国際政治の理論を冷徹に実践し、1970年代のアメリカ外交を牽引して、既に私の学生時代には伝説の人となっていた。

 あれから40年、トランプ氏が大統領になったときにキッシンジャー氏に会ったというニュースを見て、まだ生きていたのか(物理的に、ではなく、政治的に)と驚いたものだった。アメリカが中国に対して厳しい政策対応をしたのはトランプ政権からだが、既にオバマ政権後半から、中国に対して厳しい見方をしていた。そんな中で、キッシンジャー氏は何を思い、何を提言していたのだろうか。

 結局、アメリカは、キッシンジャー氏に始まる、30年以上にわたる積極的な関与政策により、中国を国際社会の一員にする手引きをしながら、大国になった中国を国際社会の責任あるステークホルダーに育てることに失敗した。いや、今の大国意識に目覚めた中国の振舞いを見る限り、アメリカが失敗したのは結果論でしかなく、アメリカは大いなる挫折を味わっているかもしれない。騙された、とまでは言うまい。それだけに、今のアメリカの強硬な対中政策は本質的であり根深いものがありそうだ。氏自身は、2015年に次のように語っている。

「中国の挑戦はソ連よりも微妙な問題を含む。ソ連問題は戦略的なものだった。中国の挑戦はより文化的なものだ。果たして、同じように思考することのできない二つの文明は、世界秩序において共存という解を見出すことが出来るのだろうか」

 それでも、著書『キッシンジャー回想録 中国』(2011年)で、「中国と米国の関係はゼロサムゲームになる必要はなく、なるべきでもない」と記し、その後、米中関係が悪化してもこの見解を変えなかったと言われる。2019年のニューエコノミーフォーラムでは次のように語っている。

「米中は世界の最大の二つの経済体であり、お互いが『足をひっぱりあう』のは正常だ」

「両国に必要なのは対話であって、対抗ではない」

「米中両国関係は、双方の共同利益のために対立点を正確に見て、対話と協力を強化し、ネガティブな影響を低く抑える努力をしなくてはならない。もし米中が非常に敵対すれば、想像のつかない結果をもたらす」

 他方、井戸を掘った人のこと(=恩義)を忘れないと言われる中国人は、キッシンジャー氏をそのように遇した。実際に氏の訪中は100回に及んだそうだ。尋常ではない。中国は仲介者としての彼に何を頼り、時に何に利用したのだろうか。晩年の氏は中国宥和論者だと批判的に見られがちだが、かつて毎年のように中国共産党幹部の訪問を受けていたシンガポール元首相リー・クアンユー氏同様、中国政治のウラを知る識者として、もう少し話を聞きたかった。

 ニクソン元大統領ともども、毀誉褒貶が激しいキッシンジャー氏だが、私のような世の多くの(と、一応、言っておく 笑)常人には現実主義に徹することを理解するのが難しいからだろう。

 一般に政治信条の座標軸の中で、常人は保守とリベラルの間のどこかに位置づけられる。その色眼鏡で相手に同調し、反発もする。その色眼鏡を外すのが難しいのは、こうした保守やリベラルの政治信条は、案外、人の世界観や人生観と深く結びついているからだと思う。例えば、変化を望むか安定を望むか。人は、また世の中は、変われるものだと信じることが出来るか、そうそう変われるものではないと諦めるか(良い意味での諦観である)。変われないと思うのは虚しく、何がしか変わろうと努力し、それでも急には変われないのが常人であり世の中であろう。それを信じる度合いの違いに応じて、保守とリベラルの間の位置づけが変わるように思う。こうして保守は現実主義に近いし、リベラルは理想主義に近いと言い換えることが出来る。ところが、かつて、ジョン・ミアシャイマー氏は、東京での講演で、現実主義はイデオロギーを気にしないと明言されていた。政治信条としての現実主義は、保守でもリベラルでもないそうである。現にキッシンジャー氏は、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として共和党のニクソン政権を支えただけでなく、その前の民主党のケネディ大統領の顧問としても外交政策立案に一時的に関与していた。その超越したところに、どうしても分かりにくさが漂う。

 1982年に設立したコンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエイツ」は、財務上の数字を報告することも、顧客名簿について語ることもないそうだ。だからと言って、企業幹部を中国の指導者に引き合わせても、ビジネス上の議論は企業幹部に任せ、便宜を求めることはしなかったそうだ・・・とは、どこまで信じられる話か分かったものではなく、中国共産党と波長が合ったであろう彼の隠密な交渉スタイルそのままに、霧に包まれたままだ。

 これまでブックオフで時間をかけて買い揃えた『回復された世界平和』、『外交(上)/(下)』、『キッシンジャー回想録 中国(上)/(下)』は、唯一、新刊で購入した『国際秩序』とともに、手放せない。老後の愉しみにしているが、もう一度、紐解いてみようかとも思う。そして、「キッシンジャーから懇情され、一旦断わったものの、膨大な私信・資料を見せられてファーガソンが引き受けたキッシンジャー公認の評伝。ファーガソンが10年がかりで完成させた大作」(アマゾンより)とされるニーアル・ファーガソン著『キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1/2』もブックオフでの購入予定リストにある。良くも悪くも、私たちが生きる時代の世界の道筋をつけてきたとも言える彼の存在には、興味が尽きない。

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カナダにいた周庭さん

2023-12-10 00:23:10 | 時事放談

 香港の民主活動家の周庭さんが、カナダに滞在していることが分かった。インスタグラムへの投稿で、「おそらく一生、香港に戻ることはない。ようやく逮捕を恐れる必要なく、言いたいことを語り、やりたいことを実行できる」と記したそうだ。

 振返れば三年半前、コロナ禍のどさくさに紛れて、あれよという間に香港国家安全維持法(国安法)が成立し、50年間、高度な自治を担保するはずだった一国二制度の約束が、道半ばにしてあっさり骨抜きにされたのだった。EUは既にその一年前の2019年3月に、戦略的パートナーだった中国をsystemic rivalと再定義して対中国通商戦略の見直しを図っていたが、それでも強硬路線に転じたトランプ政権に比べれば宥和的で、かつて宗主国だったイギリスは当時、すっかり立場が逆転した中国に対して口頭で批判を強めるばかりで、実力行使に訴えることはなかった。その微温的な対応を言い訳にしたくないが、日本政府も私たち日本人も無力だった。しかし、香港の民主化運動が投じた一石は、決して小さいものではなかった。その後、新彊ウイグルでの民族浄化の実態が明らかにされたことと相俟って、西欧諸国では明らかに風向きが変わった。地理的に離れた中国は、西欧諸国にとって安全保障上の脅威よりも経済的パートナーとして重要であることが、私たち日本人にはもどかしかったが、ようやく同じ方向を見ることが出来るようになった。周庭さんたちは、身体を張って風向きを変えたのである。

 周庭さんは、国安法違反容疑で2020年8月に逮捕され、12月に無許可集会扇動罪などで禁錮10月の実刑判決を受けて服役し、翌2021年6月に出所した直後にインスタグラムを更新して以来、情報発信が途絶えていた。今に至るも香港警察国家安全処にパスポートを没収されたまま、返還の条件として、中国への愛国心を証明する行動を強要されていたことが、此度の声明で明らかになった。「民主化運動参加への反省文を提出させられたほか、8月には国安処職員5人に付き添われて中国本土を訪問。改革開放政策の成果を示す展示や、広東省深圳にあるIT大手の本社などを見学させられた。展示と共に自身の写真を撮影するようにも言われた」(毎日新聞)という。まるで文革時代を思わせるような古色蒼然とした仕打ちである。周庭さんは、「私が黙ったままなら、(訪中時の写真なども)いつか私の『愛国』の証拠になったかもしれない」と述べたという。

 中国外務省は敏感に反応し、香港の警察当局が「あからさまに法律に違反する行動を強く非難する」と声明を出したことを改めて強調するとともに、「いかなる人も法律外の特権を持たず、いかなる違法犯罪行為も必ず法律の裁きを受ける」と述べて、中国の法治なるものの異様さを際立たせた。

 こうした一連の香港での騒動を世界で最も真剣に受け止めているのは、台湾だろう。もとはと言えば一国二制度は台湾に向けて提案されたものだった。

 周庭さんが二年半ぶりに情報発信したのは、ようやくこの9月に「再度の逮捕のおそれなどから心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されるほど」(同)だった香港を離れ、留学目的でカナダに入り、三ヶ月毎に当局に出頭することを求められていたのを拒絶するタイミングだったのは、偶然にしても絶妙で、一ヶ月後に迫った台湾総統選に与える影響は小さくないだろう。

 私が敬愛する故・高坂正堯氏は、安全保障の目標とは、日本人を日本人たらしめ、日本を日本たらしめている諸制度、諸慣習、そして常識の体系を守ることだ、と喝破された。今日の香港は明日の台湾だと言われたものだが、今やAIを使えば偽情報を流布させ世論に影響を与える工作はいとも簡単に実行することができ、日本も他人事ではない。今度こそ、私たち日本人は周庭さんの声に応えることができるだろうか。

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困ったときのパンダ外交

2023-11-19 11:53:28 | 時事放談

 久しぶりに訪米した習近平氏がバイデン大統領および岸田首相と会談した。

 中国共産党支持派と反対派のデモが吹き荒れる(などと書きながら、実際にどの程度なのか報道からは分からないが)サンフランシスコのダウンタウンを避けて郊外で行われた米中首脳会談については、「滞っていた国防当局や軍同士の対話再開で合意した。偶発的な軍事衝突を防ぐ関係安定へ一歩を踏み出したが、台湾や貿易を巡る対立は残ったまま」(一昨日の日経一面)で、さしたる成果はなかった。バイデン大統領としては、テーブルの下ではお互いに足蹴にしながら、テーブルの上では笑顔で握手して友好を演出した構図であろうか。アメリカは政治の季節に入って、足を引っ張られないよう抑制気味で、最低限の目的を達する想定通りの内容なのだろう。

 いや、AP通信によると、習近平氏はパンダを「中米両国民の友好の使者」と表現し、「カリフォルニアの人々の期待に応え、友好関係を深めるために最善を尽くす」と述べたそうだから、世間は嬉しいサプライズと(一部であっても)受け止めたかもしれない(笑)。習近平氏がバイデン大統領と握手した際の作り笑いそのままに、(ぎこちない)微笑み外交ならぬ、困ったときのパンダ外交だ。しかし、スミソニアン国立動物園からパンダを予定より早く引き揚げる嫌がらせをした後の発言だから、マイナスがゼロに戻っただけのことだ。米国で乱用が社会問題化している医療用麻薬フェンタニルにしても、その原料である化学物質が中国で製造されメキシコで合成されてアメリカに流入する、いわば現代版アヘン戦争を放置しているのか煽っているのかしらないが、その嫌がらせをやめるだけのことだろう。軍高官の対話を拒絶したのは中国の方で、それを元に戻すだけのことだ。

 ところが、中国・国営新華社通信は、「バイデン米大統領との会談や米企業家らとの交流を通じ、対米関係の安定化と外資の呼び込みを二つの大きな『成果』として国内向けにアピール」(昨日の時事)したそうだ。米企業家らとの夕食会では、40分近く続いた習氏の演説にはたびたび拍手が上がり、米経済界の重鎮ら約400人から「熱烈」な歓迎を受けたと伝え、バイデン氏が習氏の青年時代の写真に「現在と変わらない」とコメントしたり、習氏が乗る中国車「紅旗」を褒めそやしたりした場面を大きく報道して、厚遇ぶりを強調したそうだ(同)。アメリカのつれない仕打ちに嫌がらせで応じて、その嫌がらせをやめるだけなのに友好を演出して「やっている感」を出しているだけのことだ。

 こうして見ると、かねて景気低迷が伝えられ、バブル崩壊後の「日本化」か? いやそうではない、日本以上に酷い! などと危惧される中国の、夏休みを兼ねた秘密の北戴河会議で、長老の一人から、「これ以上、混乱させてはいけない」と従来にない強い口調の諫言を受けた習近平氏が、別の場で、「(鄧小平、江沢民、胡錦濤という)過去三代が残した問題が、全て(自分に)のしかかって」「(その処理のため、就任してから)10年も頑張ってきた。だが問題は片付かない。これは、私のせいだというのか?」と側近に不満をぶちまけたという、日経・中沢克二氏による舞台裏の解説が真実味を帯びる。

 バイデン政権になって、「(米中)関係を管理する(マネージする)」と言われたのを、これはまさに私が勤務する会社の合弁子会社に対する形容そのものだと、妙に感心したものだ。暴走して問題を起こさない程度に行動をある幅に納まるようにコントロールするもので、バイデン政権は(道を外さない)ガードレールという表現も使った。アメリカは、中国とは価値観や理念が絶望的に相容れないから、そもそも多くを期待しない。それでも、ウクライナ侵略に踏み切ったプーチンのように、独裁権力が昂じて正確な情報が耳に届かない事態を懸念して、せめて習近平氏には直接会って、正確な情報をインプットする必要を感じていたようだ。もっと言うなら、そもそも国家における政治の優越やメディアに対する統制など、基本的な価値観が異なるので、伝える情報がアメリカが望む通りに受け止められるとは限らない認知バイアスの問題もあり得るのだが、そこまでは問うまい。

 日中首脳会談では、再び「戦略的互恵関係」(=懸案で意見が合わなくても決定的な対立を回避し相互利益を目指すオトナの冷めた関係)に言及し、「対話の継続へ前進する姿勢を打ち出した」(昨日の日経一面)そうだ。もってまわった言い方だが、かねて日中関係は米中関係の従属変数と言われた通りに、日本にソッポ向かれても困る中国の実情を表しているのだろう。故・安倍首相(当時)と握手した時の習近平氏の仏頂面は忘れられないが、岸田首相と握手するときの作り笑いもまた忘れられない。分かり易い国である。

 先行きに明るさは見えない。

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体制間競争

2023-10-27 00:00:41 | 時事放談

 前回に続き、ウォルター・リップマン著『世論』(1922年)から拾い読みする。

 独裁制が機能するためには「危機感」が欠くべからざる条件であり、民主主義が機能するためには「安全感」が必須の条件だと言う(下巻P108~109)。

 それは、例えば北朝鮮を見れば明らかであろう。金正恩政権は、自力での経済成長が叶わず、さりとて国を開放するほどの勇気はなく、貧しさに喘ぐ人民の不満を逸らすために、アメリカによる核攻撃という空想的な危機を自作自演し、核開発やミサイル開発を正当化している。

 中国も、安定的な高度成長が叶わなくなって、チャイナ・ドリームを掲げて民族意識に訴え、社会不安を抑えるために抑圧的になり、人民の不満が昂じれば、福島原発処理水の海洋放出のように、はたまたかつての反日暴動のように、日本を外敵に見立ててガス抜きを図る(それが歯止めが効かなくなり、矛先が反体制に向かう前に、沈静化を図る)。共同富裕のために行き過ぎた市場経済を制御し、他方で反スパイ法や諸外国内で警察機能を発動するような違法行為まで犯して、社会統制(アメとムチ)に心を砕く。

 ロシアにしても、NATOの東方拡大(真実は、フィンランドやスウェーデンのように東欧諸国の西方への駆け込みであろう)やウクライナ政権のネオナチ言説はただの言い訳で、真の懸念はカラー革命のような体制転覆リスクであり、ベラルーシとウクライナをヨーロッパとの間の緩衝地帯とするべく、ウクライナへの傀儡政権樹立を画策したのだろう。思惑は外れ、泥沼の(ロシア曰く)“軍事作戦”に搦めとられ、国内にあっては欧米による侵略だと危機を煽り、世界の食糧問題を欧米のせいにする。

 ことほど左様に、昨今の国際社会の政情不安は、権威主義体制における統治の脆弱性にある。

 だからと言って、民主主義体制も盤石ではない。そもそもジャン・ジャック・ルソーは、コルシカ革命をはじめ、民衆による統治は限定した人口の地域においてのみ有効で、18世紀中葉のフランスのような大国に適用できるとは考えていなかった。古代アテネや中世イタリアで民主制が実現したのも都市国家であった。アメリカ建国の父たちも、所詮はイギリスの立憲主義に範をとったフェデラリストであって、民主主義そのものを志向していたわけではなかった(その後、ジェファーソンやジャクソンが革命的な施策を講じていくのだが)。産業が高度化し価値観が多様化した現代社会にあって、真の意味での民主主義を実現するのは容易ではない。主権を担う国民に、異なる価値観や異見を受け容れるだけの器量がないからだ。そして、中国やロシアは、世論戦・情報戦を展開して(とりわけ欧米の)社会の分断を煽り(日本も煽られていると思うが、気づいていないだけではないか)、自らの体制の相対的優位性を際立たせようとする。こうして見ると、自由民主主義社会では、ある程度、共通の理念や理解があってこそ、意見の相違を調整し社会の安定が保たれるのであって、ウォルター・リップマンの言う通り、「危機感」とは対極の「安全感」が基本的な条件なのであろう。

 体制間競争と言われて久しいが、今後、影響力を増すグローバルサウスは、価値観を議論できるほどの豊かさにはほど遠く、西側・自由民主主義体制と中・露・イラン・北朝鮮の権威主義体制との間で、経済的利益を引き出すべく現実主義的な行動を貫くことだろう。

 国際社会は間違いなく流動化する。

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進歩しない歴史

2023-10-24 23:11:02 | 時事放談

 ロシアのプーチン大統領は、5日にソチで開催された恒例のバルダイ会議で次のように語ったそうだ。「ロシアは2014年からウクライナ東部のドンバスで続く紛争を終わらせるために特別軍事作戦を開始した」 「ウクライナでの“戦争”を始めたのは我々ではない。逆に我々は(戦争を)終わらせようとしている」 「ウクライナ危機は領土対立ではない。それをはっきりさせておきたい。ロシアは領土面積で世界最大の国であり、我々は新たな領土の征服には関心がない」 毎度の独善的なレトリックである。それで東・南部4州を「併合」しているのだから、世話ない。

 ある本を読んでいると、昔の本なのだが、今のロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権的な海洋進出を説明するかのような記述があって、面白く思った。長くなるが引用する(一部、「てにをは」の類いを改めた)。

(引用はじめ)

 ある国(某国と呼ぶ)でこういうことがあった。外務省、最高首脳、そして殆どの言論機関を牛耳る軍部が、隣接する数ヶ国の領土の請求権を主張した。(中略) 彼らは要求地を分割するべく、それぞれの地域について、自らの行為を正当化するため、彼らの同盟諸国や諸外国が反発しにくいと思うような諸原則を持ち出した。

 第一の地域は、たまたま外国の農夫たちが住む山岳地帯だった。某国は、その国の自然の境界線をきちんと守るように要求した。しかし、ここで言う自然とは何だろうか。その説明し難いものの真の意味に長いこと注意を集中していると、外国人の農夫たちの姿は霧の中に溶けてなくなり、山々の斜面だけが見えて来るのだった。

 二番目の地域は、某国民の居住地だった。如何なる国民も外国の支配下に生きるべきではないという原則に基づいて、これもまた併合された。

 次はかなり商業的に重要な一都市であったが、某国人は住んでいなかった。しかし、かつて某国に属していた地域であったために「歴史的権利」という原則に従って、これも併合された。

 更に、外国人の所有で外国人が労働に従事しているすぐれた鉱山があった。これは損害賠償の原則によって併合された。

 その次の地域は、ほぼ外国人が居住し、自然の地理的境界線から言っても他国のものであり、歴史的にも某国に属したことは一度もなかったが、某国に統合されていたことのある州の内の一つが、かつてそこの市場で取引を行っていたことがあった。そのためこの地域の上流階級は某国風の文化生活を営んでいた。そこで文化の優先と文明擁護の必然性という原則に基づき、その地方に対して領土権が請求された。

 最期に、ある港があった。そこは地理的に、人種的に、経済的に、歴史的に、伝統的に、某国とは全く関係がなかった。しかし国家防衛上不可欠だからという理由で請求がなされたのである。

(中略)このような原則は極めて欺瞞と絶対性とに満ちており、そうしたものを用いたこと自体が既に和解の精神が行き渡っていなかったこと、従って平和の本体が空疎であったことを示していた。工場、鉱山、山、更には政治的権威について議論するとき、それらを不変の原則のどれかにぴったりの例として語り始めた途端、それは議論ではなく戦いになる。

 そうした不変の原則なるものはあらゆる異論を除外し、問題点を背景の前後関係から切り離し、その原則には相応しいが、造船所、倉庫、土地には全く相応しくないある種の強い感情を人の心に起こさせる。そして、人がひとたびその気分で動き出すと留まることは出来ない。そこに本当の危険がある。それに対抗するには更に絶対的な原則に訴えて、攻撃に晒されているものを弁護せねばならない。次いで、弁護のために弁護し、緩衝帯を設け、その緩衝帯のために緩衝帯を設け、ついには事態全体の収拾がつかなくなって、議論を続けるより戦った方が危険が少ないように思われる。

(引用おわり)

 これは、101年前に出版された、ウォルター・リップマンの古典的名著『世論(Public Opinion)』(手元にあるのは岩波文庫1987年版)からの引用である(上巻P177~180)。強国は何かと言いがかりをつけて、それを不変(普遍)的な原則に基づくかのようにもっともらしく装いながら、弱小国を侵略する、言わば帝国主義的な状況を説明したものだ。今もなお、ウクライナ侵攻でロシアが主張する歴史的・民族的一体性は「極めて欺瞞と絶対性とに満ちて」おり、対抗する欧米(NATO)はウクライナの国家主権と領土の一体性という、これもまた不変の原則を盾に後方支援し、「議論ではなく戦いになる」。

 この本が出版された当時は、大衆社会が現出し、それまでは限られた職業外交官や職業軍人の技術であった外交や戦争が大衆化し、国民感情に左右されて望んでもいない戦争(第一次大戦)に突入し、妥協が許されないまま泥沼化して、総力戦に疲弊していた。1922年はいわゆる戦間期にあたり、平和を希求する時代精神(あるいは厭戦気分)に充ち満ちていたときで、国際連盟やパリ不戦条約などに結実し、人類は初めて戦争(侵略戦争)を違法化することに成功した。歴史は確実に「進歩」していると思われたはずだ。そのときの講和に失敗し、再度の世界大戦を招くが、戦後は国際連合にリニューアルし、国際社会は再び不戦を誓った。そのような中で、世論(public opinion)の重要性を認識するウォルター・リップマンは、学者ではなくジャーナリストを選び、「真実」の報道を通して大衆民主主義社会を適切に導く道を志す。事実上の現代地政学の開祖とも言われるハルフォード・マッキンダーの古典的名著『デモクラシーの理想と現実(Democratic Ideals and Reality)』が出版されたのが、ほぼ同時期で、その3年前だったという意味で、感慨深いものがある。

 権威主義体制の困ったところは、中国にあっては(自身曰く)五千年(正確には二千年)、ロシアにあっては五百年もの間、「進歩」が見られないことにある。欧米や日本は、先に述べたように多少なりとも進歩的な歴史観を持ち、歴史に学んで野蛮さを脱し、心掛けを改めてポスト・モダンを生きるが、彼らは十年一日と言わず、それぞれ五千年、五百年のスパンでメンタリティが変わっていないのである。プーチンが見習うのは二次にわたる戦争を経た国際法ではなくピョートル大帝やエカチェリーナ2世であって、ウクライナ侵攻によって日米欧に冷や水を浴びせ、18世紀の土俵に引き戻してしまったのだった。

 確かに、かつて戦争は正義と正義の戦いであって、正と邪の戦いではなかった。日米欧は彼らから歴史の報復を受けるのであろうか。人類は(かつてビスマルクが言ったように)賢者として歴史に学ぶことが、出来ないのだろうか。

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中国流の脅威

2023-09-17 15:27:11 | 時事放談

 欧州委員長フォンデアライエン氏は、世界のEV市場が「巨額の国家補助金で価格が人為的に低く抑えられた中国製EVで溢れている」と批判し、「我々の市場を歪めている」と主張したそうだ(13日付時事)。EV化を先導し炭素税導入をチラつかせて日本の自動車メーカー(特にハイブリッド車)を牽制して来たEUが今度は何を言い出すか・・・とも思うが(苦笑)、中国の非道はご指摘の通りで、今に始まったものではない。中国を忖度してきたEUもようやく重い腰をあげたかという印象である。

 今から5年前、2018年の『通商白書』は、中国の鉄鋼産業において引き起こった過剰生産能力問題に関して、過去15年間の経緯と問題の要因について事例検証を行っている。中国の鉄鋼産業でWTO加盟を契機に投資が急速に拡大し、結果として設備が余剰となったのは、「主に地方政府所管の国有企業への過大な融資・政府補助等が要因であると考えられる」と結論づけた。融資については、「多くは大型商業銀行や政策性銀行、株式商業性銀行の地方支店で(中略)時に地元企業への融資判断が甘くなりやすい」点が指摘され、「市況と逆行した銀行による過大かつ低利な融資が関係していることが示唆される」とともに、企業への政府補助金の交付元は地方政府が大半を占め「事実上企業の赤字補填および低収益性の企業の延命措置となったことが示唆される」、としている。

 経産省の検証はデータをもとにしたマクロなもので、肌感覚からはちょっと遠い。当時、巷ではミクロに、国営企業だから市況に関わらず、すなわち需給を慮ることなく従業員に給与を支払い続けるために操業を続け、在庫をためて叩き売らざるを得なくなって、世界を大混乱に陥れた、と非難された。これが国家資本主義かと、嘆息したものだ。

 先の『白書』は、「中国中央政府は2000年代から中国鉄鋼産業の過剰生産能力を問題視していた」とも述べている。では何をしたかと言うと、「2005年には国務院『鉄鋼産業開発政策』において、鉄鋼産業の構造調整の必要性が唱えられ、小規模施設の廃棄等が指示されている。また2013年には『深刻な生産能力過剰問題の解消に向けた指導意見』において設備の新規建設の禁止及び削減目標の設定が行われる等、数多に及ぶ生産能力調整政策を実施した」のだそうだ。なんだかまどろっこしいが、これが国家資本主義の実相である。

 また、『白書』は、中国の鉄鋼産業で生じた過剰生産能力問題は、今後は他産業においても生じる可能性があるとして、集積回路産業を挙げているが、太陽光パネルに関しては現実化し、中国以外の競合メーカーが淘汰されてしまった。

 かつて中国が「世界の工場」としてもてはやされ、日本やアメリカやドイツをはじめとする外資が挙って進出し、安い労働力を使って安い製品を世界中に輸出し、世界を潤す一方、それぞれの国内産業の空洞化を招いたのは自業自得で、世界の市況は外資によってそれなりにコントロール出来ていた。ところが豊かになった中国が自律的に自国の経済運営を考え、「中所得国の罠」を抜け出すべく、2015年に「中国製造2025」などと言い始めて、国策として先端技術の国産化を目指すようになると、融資や補助金によって、世界の特定産業に歪みをもたらすようになった。華為には8兆円もの開発費が補助金交付されたと言われ、14億人の国内市場で量産効果をあげて、世界に打って出る頃には、世界の通信機器メーカーに太刀打ち出来るところはなかった。

 カナダを代表する通信機器メーカーだったノーテル・ネットワークスのサーバーがハッキングされ、大量の顧客情報や技術情報が流出したのは2004年のことだった。その後、2009年までにノーテルは経営破綻するが、同社の情報がどこに流れたのか定かではない。確かなのは、結果として華為が衰退するノーテルから大口顧客を奪い、5G移動通信ネットワークをリードする開発人材約20名を引き抜いたという事実である(以上は、2020年7月6日付Bloomberg)。ノーテルは華為のその後の飛躍の跳躍台に使われた可能性があり、その後のカナダの中国との確執もそこに(one of themかも知れないが)根差している可能性がある。

 中国がせいぜい数千万人規模の中・小国家であれば、その国家資本主義的な経済運営が世界経済に整合的ではなくても、影響は限られる。しかし14億人と言えば、EUの3倍近く、平均的な国家規模で言えばゆうに20~30ヶ国に相当し、そんな超大国の国営企業は世界的に見れば独禁法違反と言うべきで(笑)、それを誰も言い出さないのが不思議でならない。その国際経済と整合的ではない経済運営は、原則として自由であるべき経済秩序を脅かし、今や、その教科書的な存在だったアメリカでさえもインフレ抑制法など中国寄りの政策で対抗せざるを得ない始末である。

 欧州委員長の発言を受けて、中国共産党系の環球時報は社説で、「中国の新エネルギー車はドイツで最近開かれた国際自動車ショーで輝きを放ち、羨望や嫉妬の声さえ聞かれたが、われわれは欧州の反応がこれほど『行き過ぎ』たものになるとは予想していなかった」と指摘、「公正な競争を通じて市場を勝ち取る自信と勇気が欧州に欠けているのであれば、EV産業で競争力を確立することは不可能だ」と言い放った(9月15日付ロイター)。中国は、と言うより中国共産党は、プロパガンダを得意とし、福島原発処理水の海洋放出で見られたように、行動はいざ知らず、ウソを拡散して恥じることがない。国際社会にとって整合的ではなく如何に迷惑かを思い知らせるには、アメリカのように体力があるなら対抗措置をとって対立をエスカレートさせるのも結構だが、EUや、また今はまだ中間財を中国に輸出して中国経済のアキレス腱を握る日本などはCPTPP加盟問題で厳しく審査するなど、中国の行動変容を求めて地道に力強く働きかけて行くしかない。

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政治家の発言

2023-08-09 21:18:03 | 時事放談

 政治家たるもの、その発言には責任をもってもらわないと・・・などと説教を垂れるつもりはない。もっと無責任に自由に発言してもらって構わないのではないかという、ススメだ。

 麻生太郎元首相が昨日、台北市内で講演し、「今ほど日本、台湾、アメリカなどの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟、戦う覚悟が求められている時代はない」「防衛力を持っているだけでなく、いざとなったら使う、台湾の防衛のために使う、台湾海峡の安定のためにそれを使う明確な意思を明確に相手に伝えることが抑止力になる」と語ったそうだ(ロイターより)。日本の政治家にしては踏み込んだ、しかしお気楽な麻生さんならではの発言である。

 早速、中国は反応し、在日中国大使館が声明で「日本の一部の人々が中国の内政問題と日本の安全保障を結びつけようとすれば、日本は再び方向を見失うことになる」と非難したそうだ(ロイターより)。中国外交部報道官ではなく在日中国大使館の声明であるところに、中国側の抑制した配慮が感じられる。

 もとより政治家の言動で言えば、言葉より行動が重要なのは言うまでもない。中国は尚更、言葉より行動を注視するだろう。何しろ、サヨクの常としてプロパガンダを重視し、言動一致など歯牙にもかけず美辞麗句を喧伝し、何はともあれ言葉で応酬するお国柄である。日本でも、いくら麻生さんが講演で語ったところで、いざとなったら自衛権発動のハードルが高いことは麻生さん自身も中国も百も承知だろう。それでも、日本の政治家が、しかも与党・自民党で過去に首相を務めたほどの人物が(いくら口が軽くて舌禍が絶えないとは言え)語ったこととして、中国に与えた心理的な影響は小さくない。所謂「議員外交」である。

 抑止力とは、能力と(それを使う)意思の掛け算だと言われるが、それだけでは十分ではない。そもそも如何なる犠牲を払ってでも行動を躊躇わないような非合理な相手は抑止できないから、合理性が前提となる。そして抑止で重要なのは、相手が特定の行動を起こせば利益以上のコストやリスクが発生することを相手に説得的な形で示すことである以上、相手側の認識を操作するに十分な説得力ある伝達がなされなければならない(このあたりは福田潤一氏『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』より)。政権を離れているとは言え(まあ、離れているからこそ可能だったとも言える)麻生さんの言葉は、日本の政治家、特に自民党には親中で中国を忖度する人が多い中で(恐らく中国の働きかけも大きいことだろう)、意外に受け止められたのではないかと思う。そう言えば、故・安倍晋三元首相も、政権を離れてから「台湾有事は日本有事」と語られた。このような物議を醸す発言は、日本では、中国のような全体主義ではあるまいし、あって然るべきだし、中国への牽制効果は無視できないと思う。

 最近、もう一つ、政治家の発言で注目したものがあった。

 自民党の甘利明前幹事長が三日前、フジテレビ系『日曜報道 THE PRIME』で、福島原発の処理水に関して次のように語ったそうだ(FNNプライムオンラインより)。「中国が専門家同士の意思疎通を行わないのは科学的でない主張をしているからだ。処理水はトリチウムに関してIAEAの安全基準の40分の1、WHOの飲料基準の7分の1だ。そこまで希釈して排出する。排出総量は中国の5分の1から7分の1。原発ごとに量が違う。日本の原発はどこもよその原発よりも少ない。中国(の原発)はどこも日本より多い。だから政府の気持ちを代弁するならば、『あなたにだけは言われたくない』ということだと思う。あくまでも科学的根拠できっちり詰めて、だからこそ、よその国は全部これで納得している。」

 さすがにこの発言に留飲を下げた日本人は多かったのではないかと思う。中国は、処理水の海洋放出に先立って、日本から輸入する水産物すべての検査を強化し、事実上、輸入禁止措置を執っている。中国が得意とする、自らの優位をテコにした経済的威圧(economic coercion)であり、不条理と思わない日本人はいないだろう(これを利用して処理水放出に、あるいは政府のなすことに何でも反対する人は別にして)。

 甘利さんも、自民党の有力者とは言え、過去に問題があって政権に入っておらず、お気楽な立場にある。だからこそ可能なのだろう。そこが日本の政治家の弱みでもあるのだが、政権のスポークスマンである内閣官房長官が自由に話し辛いのであれば、与党・自民党の有力者とされる方々は、是々非々で中国を牽制することは、もっと自由に発言してもらって構わないと、お気楽な私は心から思う。

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キッシンジャー氏の訪中

2023-07-21 23:04:22 | 時事放談

 米国の元・国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏が中国を訪問し、18日に国防相の李尚福・国務委員と、19日に外交トップの王毅政治局員と、20日にはなんと習近平国家主席と面会したそうだ。何という厚遇であろう。バイデン政権との間は冷え切って、国防相同士の危機管理メカニズムの対話もままならない中、キッシンジャー氏へのおもてなしは、悪いのはバイデン政権だと言わんばかりの、当てつけ以外の何物でもない。

 それにしても、御年100歳のキッシンジャー氏は、50年前にニクソン政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官として米中和解に道筋をつけた伝説の人物であり、50年経ってなお、中国には、その後の改革開放路線とWTO加盟に繋がったことからすれば、現在の繁栄があるのもキッシンジャー氏のお陰、大恩人とも言え、中国寄りと見られることもあって、中国から頼られる、もはや妖怪のような人物だ。当然、バイデン政権も分かって、様子を見守っていることだろう。何等かのミッションを帯びているかも知れない。

 外交の世界は奇々怪々で興味深い。

 Wikipediaによると、かつて、強いドイツ訛り(氏は第二次大戦の前年にアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人)の英語について聞かれたキッシンジャー氏は、「私は外国語を流暢に話す人間を信用しない」と切り返したそうだ。お見事。

 今朝の日経によると、米国大統領として史上最高齢のバイデン氏は、4月の演説で自身の年齢を逆手にとって、「あなたが私を年寄りと呼ぶなら、私は経験豊富と呼ぶ」と言ったらしい。キッシンジャー氏ほどの捻りも切れもない。これは、民主党関係者によると、「相手の若さと経験のなさを政治利用するつもりはない」という、共和党のレーガン元・大統領の発言からヒントを得たそうだ。73歳で二期目の大統領就任は高齢過ぎないかと問われて、レーガン氏はこう切り返し、討論会後に支持率が回復したそうだ。当時は元・映画俳優に何が出来ると言わんばかりの批判と好奇の目に晒されたものだが、今、振り返ると、なかなかどうして、バイデン氏よりよほど捻りが効いてスマートだ。当時の73歳と言えば、今の80歳と変わらないように思う。

 50年前の人物がもてはやされるのは、現在の米中関係がそれだけ異常なのか、単に人がいないだけなのか・・・。40年前の大統領ほどの機知もないように見えるのは、現在の世相が優しさに溢れて言葉の攻撃性を鈍らせるあらわれなのか、単に人がいないだけなのか・・・。

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皇室の魚外交

2023-07-02 10:56:48 | 時事放談

 外交と題して、印象深く思い出すのは、間もなく一周忌を迎える故・安倍さんの外交である。かねて安倍外交には敬意を払ったものだが、それは政治家としての確固たる信念に裏打ちされていたからだった。今さら日本をどこまで強くすることが出来るかはさておき、今や一国で出来ることが限られているのはアメリカでさえもそうであり、与えられた諸条件のもとで、日本に好ましい安全保障環境を形成するために、インド太平洋構想を打ち出し、アメリカやオーストラリアやインドまで巻き込み、あの習近平氏をして一目置かしめ、帝国然とする中国と対等に渡り合ったのだった。ともすれば一国平和主義に陥りがちな島国・日本が、「点」ではなく、地域との共生という「面」の外交を推し進めるという画期でもあった。それに引き換え、岸田さんの言動には、申し訳ないが政治家の本懐といったものが感じられず、心許なさが漂う。勿体付けた喋りには、如何にも自分の言葉で喋っていない、端的に心が籠っていない、と思わせて、損をしている。聞くところによると、かつて首相になったら人事をやりたいと、のたもうたそうな。事実かどうか知らないし、どのような文脈の語りの部分を切り取ったものか知らないが、さもありなんと思わせるところが彼らしさを表しているように思えて、残念でならない。いや、人事は、例えば企業社会にあっては与えられた陣容を総とっかえすることは難しいが、内閣人事であれば可能であり、面白いには違いない。しかし、内閣の仕事としてやりたいことが先にあってこそ、それを実現するための手段としての組織・人事であろう。そう言えば、バイデン大統領は2019年春に大統領選に立候補表明した際に、「私は組合員だ」と言及したそうだ。こちらは明らかに選挙対策のポジション・トークだが、彼にも強烈な個性を感じさせないのは、あちらの国では社会の分断が激しく、なかなか政治家の本懐を語るのは難しい政治状況のせいでもあろう。

 そんな中で、こういう外交もあるのかと思わせたのが、天皇・皇后両陛下のインドネシア訪問だった。

 6月29日の日経新聞によると、かつて上皇さまは1962年の皇太子時代に初代大統領スカルノとの会見のため訪れたボゴールの大統領宮殿で、池の見事なコイに感銘を受けられ、スカルノ氏からコイを贈られたそうだ。そして上皇さまが天皇即位後の1991年に同国を再訪したときには、自らの発案で国産とインドネシア産のコイを掛け合わせて生まれたヒレナガニシキゴイ50匹を贈られたそうだ。それから再び30年が経ち、ジョコ大統領は天皇・皇后両陛下を招待した大統領宮殿内の水槽で泳ぐ高級魚「スーパーレッドアロワナ」を紹介し、プレゼントする意向を伝えたそうだ。今、体長60センチのアロワナの日本への輸送手続きを巡って両政府間で調整が続いているというが、事務方は大変だなあと、また、30年後に掛け合わせの魚を返礼で贈るのは大変だなあと、気遣うのは小心者の庶民の余計なお世話だろう。

 もとより皇室外交は政治とは距離を置く。そして30年もの歳月を一区切りにして、その間、政治情勢は変転することがあっても、国と国との間の息の長い友好を続ける。今回、両陛下がとりわけ若い人たちとの交流を深められたのは、30年後には彼らが次の友好を担ってくれることを期待してのことだろう。細い絆ではあるが、強くて長い絆である。欧州の王室や、以前にも触れたアラブの王室との外交を持ち出すまでもなく、政治から一歩離れた皇室外交を持ち得るのは、日本の誇りであり強みであろう。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72313760Z20C23A6EA1000/

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G7雑感 グローバルサウスの存在感

2023-05-31 01:59:48 | 時事放談

 G7を巡る狂騒曲を続ける。一見、その存在感が高まっていることを称揚するかのような、あるいは少なくともニュートラルな意味合いに見えるブログ・タイトルだが、正直なところ、グローバルサウスに対して、歴史的には大いに同情するが、最近はその増長振りがやや気になるところでもある。正確に言うと、存在感が、ひいては発言力が高まっていることを感じ、自己主張を強めようとするのであれば、それに応じた国際社会の責任も引き受けるべきところだ。その点では、中国と言う悪しき先例がある(もっとも最近は、アメリカが後退する“隙間”を狙って外交努力を誇示しつつあるが)。

 グローバルサウスが、ロシアとウクライナとの戦争からも、また、アメリカと中国との対立からも、距離を置きたがり、巻き込まれないように慎重に行動するのはよく分かるが、結局、いずれからも利益を得ているから、あるいは得たいからという現実的で短絡的な(と敢えて言わせて貰う)対応を示しているだけのことで、それは何も今に始まったことではない。ツキュディデスの罠を流行らせたハーバード大学のグラハム・アリソン教授がインタビューしたシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏も同様のことを語っていた(『リー・クアンユー、世界を語る』(サンマーク出版 2013年)。

 相対的に中小国が多いグローバルサウスにとって、それがまだ発展途上の彼らが厳しい国際社会を生き抜く知恵であることは理解する。国際政治においてリアリズムが大事であることは、E.H.カーが既に、国際政治学の原典とも言うべき『危機の二十年』(原書”The Twenty Years' Crisis, 1919-1939”は1939年)で指摘していた。だからと言って所詮ユートピアニズムは偽善だとも言い切れなくて、現実と理想(や理念)とのバランスの問題だろう。前回ブログでは、アメリカが中国に引っ張られて、理念を置き去りにするような行動に走り、今、グローバルサウスの台頭でも、理念がよく見えない。理念がなんだか不憫な扱いをされる時代である。

 ロシアとウクライナとの戦争に関して、グローバルサウスは、ロシアの行動を非難することには辛うじて賛同し、戦争が早く終わって欲しいと望みつつ、制裁、すなわち力による現状変更という国連憲章違反の行為が高くつくことを思い知らしめる行動には乗って来ない。第三次世界大戦を回避し、秩序を維持しようと返り血を浴びながらも健気に努力する西側の行為(などと、かなり西側寄りの発言であるが 笑)には背を向ける。果ては、食糧危機は西側の制裁のせいだとロシアが声高に宣伝するのを信じる国すらある。同様に、アメリカと中国との対立ではどっちもどっちなのか、中国に非はないのか、という理念の問題について、問い掛けたい。

 アメリカの苦悩は、実はグローバルサウスには分からないだろう。何故なら、グローバルサウスは中国が欲しがるような技術を持たないし、アメリカほどのインテリジェンスもないからだ。アメリカは、自由と民主主義を尊ぶオープンな社会で、科学・技術が発展していればこそ、中国をはじめ多くの国々から多くの人々が学ぶために集まり、共創し、アメリカの科学・技術の発展を助けるとともに、それぞれの出身国の経済発展にも貢献する。中でも中国は、そのオープンな環境に乗じて、技術を学ぶだけでなく、金に飽かせて技術を買い漁り、正当に入手できない場合は窃盗し(先のグラハム・アリソン教授は、中国の場合はR&D&Tとなる、すなわちR&DにとどまらずT=Theftまでやると言われた)、自国の軍(正確には共産党の軍)の近代化に余念がない。それが、人口数千万程度の開発独裁国ならまだしも、国家資本主義という異質の体制で、既に世界第二の経済大国に登り詰め、なお国家がその全精力を傾けて国の経済と軍事の発展を主導する国なのだから、覇権が脅かされる(とアメリカを揶揄しつつも)アメリカにとってはたまったものではない。

 ついでに言うなら、中国が欲しがる技術をまだ辛うじて持っている日本も、アメリカの苦悩は十分には分からないだろう。何故なら、アメリカほどのインテリジェンスがないから、技術が盗まれているかどうかすら分からないだろうからだ。日本の経済人の多くがお人好しでお気楽でいられるのは、そのせいではないかと思う。

 中国やロシアは、多極化した世界を望むことで一致する。欧米的な自由・民主主義が全てではなく、中国やロシアのような権威主義も、さらにグローバルサウスのような発展途上の世界も、存在感を主張し、その限りでは理解できなくはない“美しい世界”だが、そのときの秩序はどうなるのだろうか。共有できる理念はあるのだろうか。中国やロシア(だけでなく、イランや北朝鮮などの)サイバー攻撃をはじめとする無法は許されるものではない。以前であれば、産業スパイ事件は新聞の一面を飾る事件たり得たが、サイバーを介した産業スパイは日常茶飯事になってしまった感がある。言葉は悪いが、北朝鮮は犯罪国家であり、中国は共産党が人民を搾取する泥棒国家という形容が成り立ち得る。そんな世界で、大規模言語モデルが急速に発展し、AIのリスクが俄かに語られるようになったのにはワケがある、というべきだろう。今朝の日経記事(英エコノミスト紙の翻訳記事)は、人種差別や子供を対象にした性犯罪、爆弾の作り方に関する情報の提供などの危険が考えられると言い、強大化するAIモデルが、偽情報や選挙操作、テロ行為、雇用の喪失などの危険をもたらす可能性がある、という。最近は雇用の喪失が多く語られるが、私はどちらかと言うとそこは楽観的で、それ以外の政治・社会的リスクが恐ろしい。

 なお、そのグローバルサウスの一つとして招聘された韓国が、G7入りに意欲を示し、日本の支持を期待しているとの記事が目に留まって、目を疑った。ドイツの首相が30年振りに、また欧州委員長も、G7後に韓国を訪問した。NATO以外の国で、韓国ほどの経済力があって、今なお法的には戦争中で、ウクライナに武器・弾薬の支援を出来る国は、世界広しと言えどそうあるものではない。この期にNATOや欧州の関係者が韓国に秋波を送るのはもっともだと思うが、当の韓国はそう思わず、勘違いしている可能性がある。保守政権で日本の悪口をあちらこちらの国々で触れ回る「告げ口外交」を恥じることなく、その後の左派政権では反日活動に勤しむ市民団体に数千億円の補助金を出して、反日を大いに煽って戦後最悪の日韓関係に立ち至らせた国である。グローバル・イシューを語るに足るパートナーだと、自ら自負されているのだろうか(もっともG8発言のヌシは韓国の駐日大使で、ほんの都内での講演での軽口だったのかも知れないが)・・・

 日米欧の民主主義陣営にしても、中露の権威主義陣営にしても、グローバルサウスを取り込むことに躍起になっているが、いずれもグローバルサウスには振り回されそうな予感がする。これも(中国やロシアと同様)、歴史の復讐であろうか・・・

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