「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

ラダックへの旅⑥

2006年09月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
悲しいことに、ラダックを去る時間はまもなくやってきた。せっかく美しい農村に来て、体調も天気も回復し、これからという時なのに、仕事の関係で早く帰らないといけないなんて。。。朝、暗いうちに起こされ、ひっそりと出発。朝4時なのに、農家の人は、パンとチャイ、カッテージチーズとツアンパをお湯で溶いた簡単な朝食を用意してくれる。

 うつむき加減で朝食をいただいていたら、農家のおじさんが優しい笑顔で、
「こんな短時間でラダックがわかるのかい?」と言ってくれる。

「いや、足りない。もっともっと、ここにいたい。」心の中で叫ぶ。
「なら、なんで僕は日本に帰るんだろう。こんなにここが居心地がよいのに・・・」 その疑問を僕は抱えたまま、暗い夜道を空港まで向かう。登りかけてきた冬の1等星シリウスも目立たないほど、全天の星が美しい。

 砂の大地を走る車の中から、朝空けに照らされつつある空を見ながら想う。
「結局、僕は、日本のカイシャというシステムにどっぷりハマッて生きていて、抜け出せない。だからここまできても、自分の意思に反して帰らざるを得ない。自分たちの道は自分たちで切り拓くというラダックの人に比べたら、巨大なシステムに流されている自分は何をやっているんだろう・・・」

 この想いは、光る雪山を望むレーの空港で飛行機を待つ間も、そして喧騒のデリーの町の中でも、僕を悩ませることになる。

ラダックへの旅⑤

2006年09月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
ホームステイ先の農村へ向かう。途中、農村のおばさんたちが道端でランチをしていたので、「Julay!」といいながら近づいていったら、カッテージチーズとチャパティのランチを少しおすそ分けしてくれた。そのチーズが旨い!

ここで、イグの村でステイする一行とお別れ。仕事の関係で、次の日に一足先にラダックを去る私には、ここでお別れの人も。砂の大地の上で、ハグしてお別れ。抜けるような青空の下、一抹の寂しさがよぎる。

我々は、インダス川沿いの道をさらに東へ。村はずれのチェックポイントを過ぎる際、警察にとめられてこれから先に進むのに許可証を急遽求められる。国境周辺地域の厳しさを肌で実感。

さらにしばらく走ったところで、山の懐に抱かれるように緑が広がるシャラの村へ到着。緑に点在する家々は美しく季節の花で彩られ、これからの農村滞在がすばらしいものになることを予感させる。

まずは明るい光が入る客間へ通され、のどかな農村風景を楽しむ。自家製のケーキとお茶でもてなしてくれたあと、おいしいマトンカレーの昼食。その後、晴天とのどかな風景にひかれて集落を散歩。たわわに実った杏の木をくぐり、麦畑の合間を縫って流れる清流のせせらぎを越えて進むと、おばさんたちが麦干しに精を出している。

そこで一緒になってお手伝い。何気なく麦をあっちからこっちへ移動させているようで、実際にやってみると、ちゃんと全体が乾くように工夫して積んでいたり、くずわらをトンボでかき集めてぐるぐると干草ロールのようにして運んだりと、伝統の中で受け継がれた細かい生活の知恵が光る。労働の合間に畑でいただく、冷えたチャンやチャイの味はサイコー。

その後、また散歩してほかの知り合いの農家を訪問。グルグル茶を実際に作るところを見せてもらう。チベット特有のバター茶は、しょっぱくて脂っこいので、我々には少ししか飲めないが、チベットではこれを一日中何倍も飲むらしい。客人には、カップを常になみなみと満たすよう、飲んだそばからわんこそばのように継ぎ足してくれる。少ししか飲めないので、「ディグレ(もう十分です)」と言って手で茶器を塞ぐのだが、なんとなく好意に応えられなくて残念。

日没が近づき、暗くなる前にあわてて戻る。途中、村の子供たちに出くわす。家事の手伝いをしている子もいれば、妹の子守をしながら仲間と遊んでいる子もいるが、皆純粋で素直な目をしている。「40年前の日本のようだよ」とは同行した60近いおじさまの弁。

夜は、チャンとウイスキーを村のおじさんと飲んでいい気分になる。いい気分になって屋根に上ると、満天の星。天の川も白く見える。夏の大三角形の一等星も目立たないほど、多くの星が光り輝く。ただ言葉もなく、上を向いてずっと眺めていたい気分。