「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

六ヶ所村その後

2007年03月31日 | STOP 六ヶ所
次の日は、午前中カフェ作りを手伝ったあと、
たまたま近隣に講演に来ていた田中優さんと一緒に、核燃施設やPRセンター
使用済み燃料が陸揚げされるむつ小川原港などを見学。

PRセンターは、
「そもそも放射能は自然にもあるんだから心配不要だが、
 厳重に管理してるから安全だし、エネルギーのためには仕方のないこと」
ということを、たっぷりとお金をかけて展示している。

核燃を運営する日本原燃が、地域にカネを出して立派な温泉や会議場を作ったり、
新聞や折込誌には、毎日のように核燃施設の安全性と地域への貢献をうたう記事が掲載されて
いたりするのを見ると、
「ここまでやらないと受け容れられないのか」と思ってしまう。明らかに不自然。

PRセンターで、高レベル廃棄物の「一時保管」施設を遠望しながら、
「最終処分場が見つからなかったらどうなるんですか?
 補助金と引き換えに六ヶ所に置きっぱなしにされるのでは?」
と質問したら、地元出身の案内のお姉さんが、
「私達は何も言えないんですけど・・・」と答えに窮して。

皮肉にも、原子力発電に使うウランを濃縮したり、
その使用済み燃料を再処理したりする施設から見渡せる地域に、
ずらりと40基程の風力発電機がならび、
日本でも有数の風力発電地帯となっていた。

これからチューリップ祭りやアースデイ六ヶ所が近づき、
普段より大勢の人が六ヶ所村を様々な形で訪れるだろう。

あまり大勢の人が訪れて、
地元の人々の暮らしに土足で踏み込んだり、
花とハーブの里」の迷惑になってはいけないと思いつつも、
また私も何らかの形で六ヶ所村を訪れて、
人と地域とのつながりや自然の恵みについて、
いろいろと感じてみたいと思う。

六ヶ所村 再訪

2007年03月28日 | STOP 六ヶ所
半年ぶりに六ヶ所村を訪れた。
昨年の秋は、六ヶ所村ラプソディーの「花とハーブの里」に チューリップの球根植えの手伝いに行ったはずなのに、 大雨の大混乱で核燃料サイクル施設さえ見れなかったので、その雪辱を果たしに来た。

冬の六ヶ所は雪に覆われているイメージだったが、 暖冬の今年は雪が殆ど残っておらず、 雪がわずかに残る畑にも、 ふきのとうやチューリップが芽を出していた。

「花とハーブの里」では相変わらず菊川さんが穏やかな笑顔で迎えてくれる。十数年に及び、国の原子力政策と対峙してきたとは思えないほどだ。

半年前に大勢の援農隊が集まった牛小舎は、その昔は団結小屋として反対運動の基地だったが、今では2階をウーファーの宿舎に残し、1階部分は二人の若者、エレキとテンダーがカフェへと手作りで改築中。私達も、材木を運んで天井を張ったり、薪を作ったりとお手伝い。5月中旬のチューリップ祭りには間に合わないようだが、7月頃には素敵なカフェが出来上がりそうだ。

これもいろんな人との縁で六ヶ所村に住み込むこととなったエレキとテンダーは、核燃の問題とそれだけでない六ヶ所村を多くの人に知って欲しい、そして、核燃受け容れの是非を巡って失われたコミュニティの結びつきを取り戻すきっかけとなってほしい、と精力的に動きながら、夏至の「アースデイ六ヶ所」を企画している。

その日の夜は、いろんな思いをもって各地から集まってきたメンバーで、六ヶ所村と各地で使える地域通貨の構想や、 様々な地場産業の有機的結びつきによる「核燃に頼らない村づくり」など、夢溢れる話に花が咲いた。

六ヶ所村ラプソディー その後

2007年03月18日 | STOP 六ヶ所
昨年8月に観て感想を書いた
キュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー
の上映会と鎌仲監督の講演会が近所であったんで行って来た。

映画を観て思い立ち、昨年の10月にチョッとだけ現地を訪れたので、現地に対するいろんな思いもあって、食い入るように見入った。

映画の後の講演会で、鎌仲監督は、
「取材でイラクを訪れた時、
 劣化ウラン弾の被害かと思われる白血病患者が
 経済制裁で薬が手に入らず死んでいくのを眼前にした。
 このような『被爆』は、ヒロシマ、ナガサキだけではなく、
 大量の核のゴミを出している、
 電気を使う我々の生活にも関係している。
 私達の便利な生活が、そのゴミを押し付けて
 イラクの子供達を死に追いやっている」
という思いを抱き、被爆をテーマに『ヒバクシャ』、
『六ヶ所村ラプソディー』と映画を作ってきたらしい。
 
スロービジネススクールのMLでは、
「風評被害におびえる青森の生産者を知っているので、
 大々的に六ヶ所村の事実を人に知らせる運動には
 賛成できない」という議論も最近出ていた。

これについては、
「生産者も消費者も、スーパーなどに、
 青森産の野菜や海産物に、汚染レベルを数値化して
 開示するよう働きかけよう。安全、と言っているレベルを
 数値化するので、原燃や県も反対できないはず。
 消費者が流通相手に働きかけるのが一番効く」
と言っていた。

「結果が出るかどうか、で動くかどうか決めるのではなく、
 大事だ、と想えば動く。必死でもがけば、
 誰か手伝ってくれるかもしれないし、
 何か変わるかもしれない。
 動かなければ何も変わらない。」
という一言が印象的。
当たり前のことを目の前に突きつけられた気がした。

ヒバクシャ

2006年11月27日 | STOP 六ヶ所
ヒバクシャ~世界の終わりに~」を見た。

イラクでの劣化ウラン弾や、広島・長崎での原爆により被爆し、今も苦しむ人たちを描いたドキュメンタリー映画だ。

世界のどこかで、過去に起こったことでは済まされない。
今も世界の片隅で、そしてこの日本で、苦しんでいる人がいる。

アメリカのワシントン州にある、長崎原爆を作った核施設では、周辺住民に癌の発症や奇形児の出産が相次いでいるが、政府は施設は安全だとし、住民の健康障害と施設の関連性を否定する。

その地で作られたリンゴやジャガイモは、そのまま、もしくはマクドナルドのアップルパイやフライドポテトとなって、日本に来ているかもしれない。それでも、そこの農民は、「この地で生きていくしかない」という。

チェルノブイリの事故から10年ほど経って、日本の東北4県では乳癌の発症が異常に高まったそうだ。10年といえば、放射能が体内に入って発症するまでの時間と重なる。

そして、我々の暮らしを灯す電気を作った原発のゴミは、 六ヶ所村の核燃施設でまた放射能を放出している。。。

これでも現在の我々と「ヒバクシャ」は関係ないと言えるだろうか。

六ヶ所村へ行った

2006年10月09日 | STOP 六ヶ所
青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場をめぐるドキュメンタリー
六ヶ所村ラプソディー」を見て現地へ行ってみたいと思い、
今回「花とハーブの里」の球根植えイベントに参加した。

「花とハーブの里」は、核燃に頼らない街づくりをしようと、
チューリップ祭りや球根と花の販売などをしているところ。
その運営は、10年以上前から、核燃施設に反対する多くのボランティアの方によって支えられている。

今回は土日月の3連休を利用した援農イベントだったが、仕事でどうしても休みが取れず、金曜日に行って参加者受け入れ等の準備を手伝い、土曜日は核燃施設などを見学する予定だった。

が、季節はずれの大雨。
金曜日は、牛小舎管理人の方とお話しつつ、参加者を迎え入れる牛小舎を整理整頓。現地の人の核燃施設や反対運動に関わる人のさまざまな思いや経緯などを伺う。六ヶ所村ラプソディーを見て、
「水俣や二風谷ダムと同じように、金で土地を買って地方に厄介なものを押し付ける、一度国策としたら状況が変わってもなかなか後戻りしない、という状況が六ヶ所でも起こっている」と映画を見て思ったのは、どうやら私だけではないらしい。

翌日は、午後から10数人の参加者が到着、のはずが、大雨で野辺地までの列車が動かない。バタバタしながら手分けをして、野辺地、八戸へと送迎の車を出す。
私も、片道1時間以上ドライブして八戸へ。ものすごい大雨で、広大に広がるはずの台地や小川原湖も霞んでしか見えない。

結局、夜になっても電車は動かず、到着予定者がそろったのは、もう一度八戸へと往復した後の夜10時過ぎ。ようやく夕方買い出しに行ったビールを飲んで一息。ふう。。。

次の日は、仕事で朝7時の新幹線でに発つ必要があったため、
結局六ヶ所村に行きながら、核燃施設を見学することも、援農をすることもほとんどできなかった。

見れたところと言えば、六ヶ所村の温泉と、八戸に行く途中に見た広大な緑の大地くらい。だから写真も何も撮れていない。いそがしい時間を縫っていろいろと手配し六ヶ所村を訪れたのに、かなり不本意ではあった。

でも、「花とハーブの里」や反原発に関わる様々な人
(とても温かい気持ちにさせてくれる人が多かった)の一端が垣間見れて、
「もっとこのような動きに関心を持っていたい」、「また訪れたい」と思えたことが不幸中の幸いかな。合掌。

六ヶ所村ラプソディー

2006年08月26日 | STOP 六ヶ所
青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の周りで生きる人々を
描いたドキュメンタリー「六ヶ所村ラプソディー」を見た。

これまで、「開発のため」、「国策だから」という理由で、
多くの場所で、伝統的な生活や自然が破壊され、反対運動は
カネで押さえ込まれて来た。
三里塚水俣六ヶ所二風谷など。
白神山地辺野古も危機にさらされた。

一度開発の波ができ、政治や資本主義の渦に巻き込まれると、
あとで間違いに気づいても後戻りできない。
行政・政治家は、過去の決定を否定したくないし、
投下資本を回収したい企業は利益計画を達成することが
至上命題になるから。。。

この映画では、核燃に反対する農家、
仕事が無いから仕方ないと再処理工場で働く労働者、
工場稼動をビジネスチャンスと捉える地元業者など、
様々な立場が描かれている。

仕事が無い、カネにならないから仕方ないという理由で、
開発側に土地を売り渡したり、
原発の仕事を選ぶ地元の人たちを、
原発から生み出される電気を使いながら、
その危険性から遠い所に暮らしている我々は非難できない。

一方で、反対しない人も、
「できれば無い方がよいけど仕方ない」
という人が大多数であるし、今も少数ながら、
「今更反対してどうなる」という周りの声にも負けず、
「核燃に頼らない生活を」と頑張っている人達がいる。

後世に同じことを繰り返さないためにも、
開発の負の側面や、苦しみながらも信念を貫いている
人たちのことを広く伝え、おかしいと思うことには
今からでも「NO」ということが、
現代に生きて開発の恩恵を受けている私達の責任だと感じた。

農業の問題を農村に押し付け、
水の問題をダムのある山間地に押し付け、
基地や安保の問題を沖縄に押し付けてき我々は、
それらに無関心でいられないはず。

「今更私一人が反対しても仕方無い」
「不安だけど国の施策だから」、
と諦めてはいては、戦争や、水俣の二の舞だ。

無力感に負けず一人一人が反対の声を上げ、
連帯して行動を起こさないと、何も変わらない。

ストップ・六ヶ所

2006年06月13日 | STOP 六ヶ所
坂本龍一さんの呼びかけに始まり、辻信一さん、田中優さん、星川淳さん、SUGIZOなどが集まって、六ヶ所村の核燃料再処理工場の稼動停止を訴える「ストップ ロッカショ」のイベントに行った。会場は立ち見の人も大勢でるほどの盛況振り。私みたいな、会社帰りのサラリーマンもこういうところに多く顔を出すと良いのだが。。。

イベントでは、著名人を初めとして幾人かが、脱原発のための様々なメッセージを述べる。
・その施設が原発1年分の放射能汚染物質を1日排出してしまうこと
・放射能に汚染された東北地方の農&海産物を摂取した場合の体内被曝の危険性
・そのような危険性を自分なりのやり方で周りに伝えていこうという提案
・電力そして原子力に頼らず、自然エネルギーを普及させることの重要性など。。。
http://www.stop-rokkasho.org/

今日印象に残ったメッセージ。
 ・原発に頼らなくてもいい生活を心がけ、自分にできる行動をする。
 ・知ってしまった以上責任がある。未来世代や他の仲間と共に生きるために、気付かないフリをしない。
 ・今日この場に集まったという偶然に意味を与えよう。
 ・自分の未来は自分で決める。