「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

ビール工場見学

2006年10月31日 | 小さな旅
府中にあるサントリー武蔵野ビール工場に見学に行った。

日曜の午後だからか、
我々が行った14:30の回は参加者が25名ほどいて大盛況。

社会科見学は昔から大好きで、ビールや酒、泡盛の工場見学も大好き。
沖縄好きもあり、泡盛工場は、沖縄県内47社のうち20社近く、
オリオンビールと麒麟麦酒の工場見学は3,4回ずつ行っているが、
ここの工場は首都圏にある大手の工場ということで、
楽しませる工夫が何かとされていると感じた。

例えば、最初の原料の紹介では、大麦を見たり触ったりするだけでなく、
炒った麦の粒を実際に噛んでみることができる。
これが香ばしくて、甘くて美味しい!

次に、工場が作られた当時の、30年前から最近まで使われていた
貯蔵タンクの一部を切り取り、
その中を歩いて通れるようにしている。
タンクを通ると、かすかに昔貯蔵されていたビールの香りが・・・。

さらに、最後の試飲では、
まずはプレミアムビールを一杯、次に普通のビールをお代わりでき、
3倍以上お代わりしても何も言われなそう・・・。

案内のお姉さんも気さくで、
「私も家で飲むときは、風呂上りにモルツ、
 食事のときにプレミアムモルツと使い分けてます!」
と試飲の席に来て話しかけるなど、
なかなかエンターテインメント性が感じられた工場見学だった。

人の話に耳を傾ける

2006年10月30日 | Slow Life
今週末は、暫くぶりでゆっくりできた。
そして、久々に会社以外の人に会い、いろんな話を聞くことができた。

まずは、友人の友人の旦那が通っている料理学校の文化祭へ誘われた。
私も名前くらいは知っている有名な料理学校であるが、
数百円でいくつかの料理の試食ができるという今日の機会に、
何十人もが列を作っているは驚き。

校内では、20歳前後の若い料理人の卵達が多く、
講師のシェフに指示されてテキパキと仕事をしている人もいれば、
手持ち無沙汰にしている人もいれば、という感じ。

そういう風景を前に、同行した仲間は料理学校の話や
看護職である彼女達の仕事の話に花を咲かせる。

その後、夜は久々に会う友人達の集いへ。
ここでも、教職についている人、保育士さんなど、
様々な人たちに会って彼らの話を聞く。

3週間ほどずっと会社と家との往復で、
殆ど会社以外の人と話をする暇が無かったからかもしれないが、
自分のよく知らない世界のことに耳を傾けるのがとても新鮮に感じた。

10年以上前、自分は、「人の話を訊かずに自分のことばかり話すな」
と何人かの人に言われたことがある。

今はそんなことはないと思うが、
人の話に耳を傾けることが、自分の世界を広げることにもなるし、
話をした当人も「話ができて満足」、と思えるのなら、
人の話に耳を傾けるのも素敵なことだな、
とミョーなことを改めて感じた。

日本酒の水割り!?

2006年10月17日 | Slow Life
最近、土日もなく、朝から深夜まで毎日15時間くらい会社にいるので、家に居るわずかな時間に気分転換しようと思い、普段読まない雑誌などに目を通す。

そこで発見。「日本酒の水割り」

今でこそ水割りといえば、ウイスキーや焼酎などの蒸留酒だが、江戸時代では、庶民の間では日本酒を水で割って飲むのが一般的だったとか。なかでも、ビールと同様の6度くらいのアルコール度数にして飲んでいたらしい。

この記事を書いたソムリエによれば、
酒と同程度に冷やした水を、酒に2:8の比率で混ぜると、
軟水なら香りと酸味が、硬水なら酒本来の旨みが現れコクが増すとのこと・・・。

私は日本酒あまり飲まないのですが、
やってみた人がいたら感想を教えてください。。。

六ヶ所村へ行った

2006年10月09日 | STOP 六ヶ所
青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場をめぐるドキュメンタリー
六ヶ所村ラプソディー」を見て現地へ行ってみたいと思い、
今回「花とハーブの里」の球根植えイベントに参加した。

「花とハーブの里」は、核燃に頼らない街づくりをしようと、
チューリップ祭りや球根と花の販売などをしているところ。
その運営は、10年以上前から、核燃施設に反対する多くのボランティアの方によって支えられている。

今回は土日月の3連休を利用した援農イベントだったが、仕事でどうしても休みが取れず、金曜日に行って参加者受け入れ等の準備を手伝い、土曜日は核燃施設などを見学する予定だった。

が、季節はずれの大雨。
金曜日は、牛小舎管理人の方とお話しつつ、参加者を迎え入れる牛小舎を整理整頓。現地の人の核燃施設や反対運動に関わる人のさまざまな思いや経緯などを伺う。六ヶ所村ラプソディーを見て、
「水俣や二風谷ダムと同じように、金で土地を買って地方に厄介なものを押し付ける、一度国策としたら状況が変わってもなかなか後戻りしない、という状況が六ヶ所でも起こっている」と映画を見て思ったのは、どうやら私だけではないらしい。

翌日は、午後から10数人の参加者が到着、のはずが、大雨で野辺地までの列車が動かない。バタバタしながら手分けをして、野辺地、八戸へと送迎の車を出す。
私も、片道1時間以上ドライブして八戸へ。ものすごい大雨で、広大に広がるはずの台地や小川原湖も霞んでしか見えない。

結局、夜になっても電車は動かず、到着予定者がそろったのは、もう一度八戸へと往復した後の夜10時過ぎ。ようやく夕方買い出しに行ったビールを飲んで一息。ふう。。。

次の日は、仕事で朝7時の新幹線でに発つ必要があったため、
結局六ヶ所村に行きながら、核燃施設を見学することも、援農をすることもほとんどできなかった。

見れたところと言えば、六ヶ所村の温泉と、八戸に行く途中に見た広大な緑の大地くらい。だから写真も何も撮れていない。いそがしい時間を縫っていろいろと手配し六ヶ所村を訪れたのに、かなり不本意ではあった。

でも、「花とハーブの里」や反原発に関わる様々な人
(とても温かい気持ちにさせてくれる人が多かった)の一端が垣間見れて、
「もっとこのような動きに関心を持っていたい」、「また訪れたい」と思えたことが不幸中の幸いかな。合掌。

バッタリー村

2006年10月02日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
バッタリー村の木藤古さんは、
熱い夢を持ったお茶目なひとだ。
74歳にして、人に訴える熱い夢がたくさんあるので、
バッタリー村には、その木藤古さんの想いを伝える
様々な看板がたっている。

バッタリー村憲章のほかにも、
「・・・今失われてようとしているふるさとのものづくり文化や
 郷土食の見直し運動、都市との交流活動などを通じ、
 山村生活の在り方、人間の生き方そのものも含めた
 幅広い創作、創造活動をすすめていきたい」
と廃屋再生の趣旨が書いてあったり、
「人の心に花一輪」、「ものづくりは心づくり」
などの標語が何気なく飾ってある。

また、木藤古さん自身の言葉のほかにも、
ナナオサカキの詩や、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が
壁に貼ってある。

なかでも、私の目を惹いたのは、
村に来た学生達と森を切り拓いて作った散策路の途中に立つ
宮沢賢治の「農民芸術概論」の一節。

「おれたちは農民である。ずいぶん忙しく仕事も辛い。
 もっと明るく活き活きと生活する道を見付けたい。
 ・・・世界全体が幸せにならないうちは、
 個人の幸福はあり得ない。
 ・・・新たな時代は、世界が一の意識になり
 生物となる方向にある・・・」

いまから80年前にこう述べていた賢治も、その志に感銘し、
自分なりの想いを形にしている木藤古さんも、
いわての人はすごい。