「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

沖縄らしさに会える世界遺産

2008年01月26日 | 沖縄の旅案内
沖縄の世界遺産史跡の一つ、玉陵(たまうどぅん)に行った。
奇数月の第三日曜に行くと無料で解説を聞けるというのが嬉しい。

玉陵は、多くの人が訪れる首里城のすぐ近くにあり、
琉球王朝の歴代の王家の墓陵ながら、
大きな石造りのお墓があるだけ(?)の史跡なので、
訪れる人もそんなに多くはなく、どちらかというと地味な印象である。

しかし、今日の解説を聞いて、
思った以上に興味深いことが分かった。
即ち、この史跡が世界遺産と指定された所以は、
1.建造物に琉球石灰岩を用いた、沖縄の石造りの文化がよく分かる
2.先祖を大切にしてきた沖縄らしさがよく分かる
ということ。

玉陵は、遺体を風葬し一時安置する中室、
その後暫くして骨王と王妃の骨が入れられる東室、
それ以外の王族が入れられる西室の3つの部分に分かれている。

どれも琉球石灰岩の大きな岩盤をくり貫いて創られ、
前面は切り出した大きな石灰岩にふさがれている他、
石造りのシーサーや破風に飾られている。
石造りのどっしりとした建物の前に佇むと、沖縄の石工文化に圧倒される。

また、中室は、そこに置いた遺体が朽ち果てた頃に遺族が洗骨し、
骨を棺に納めてそれぞれ東西の部屋に入れるという儀式が行われていたことを示している。
これは、肉体は自然に還るものという死生観や、
洗骨という儀式を通して亡くなった先祖と再び触れ合うことを重んじる
沖縄の祖先崇拝の文化を示しているようだ。

地味な石造りの史跡があるだけの玉陵。
じっと佇むと、重量感のある石に潜む様々な沖縄文化が見えてきます。

今年の初詣

2008年01月18日 | 沖縄の旅案内
今日で年賀ハガキの販売もお終い。
いよいよお正月気分がなくなる。
そこで、ちょっと年始を振り返って、2008年の初詣の話。

ちょっと今年の年明けを振り返ってみることにした。
元旦は寒空の下、首里城の新春の宴を見ながら近くの寺社を散歩することにした。

まずは、いつも乗る100円バスで首里駅まで行き、15分ほど住宅街を歩いて
弁が岳へ。ここは中南部の最高点で、首里城から東に弁が岳、
さらに東に久高島を望むため、琉球王朝時代は
首里城の東の聖地として崇められたらしい。

「沖縄神社」、と仰々しい幟があるものの、立派な建物もなく、
よく見られる御獄の祠に、英祖王、察度王、舜天王、尚思紹、尚圓と書いた5本の石柱が収められているだけ。
東の方角には拝所があり、典型的な自然崇拝の場であることが伺える。
小高い山の上に立つと、東に久高島、斎場御嶽、勝連半島、西に首里城やケラマ諸島が見渡せる絶景。

一息ついて寒い風の中首里城へ。
お正月スペシャルとして行われている琉球古典芸能を見る。
秋に続いて2回目だし、
「かぎやで風節」 「上り口説」など、サンシンで練習している曲もでるので、
親しみが湧いてくる。こんなに古典芸能に気軽に接することが出来るのはやはり沖縄ならでわだなあ。

さらに歩いて、古典音楽「上り口説」にも唄われる首里観音堂へ。
年越しからいくつか寺社に行っているが、やはり家の近くにある、
由緒正しい名刹ということで、ここで破魔矢やお守りを買うことにする。

「旅の出発や観音堂・・・」と唄にあるくらいなので、
旅好きの私としてはもちろん「旅行安全」のお守りを買い求める。

いいソーガチ(正月)でーびる。

マラソンデビュー!

2008年01月17日 | 沖縄の旅案内
と言っても、10Km弱。見事完歩しました。

冬の間マラソンが毎週のように行われる沖縄ならではのイベントに挑戦しようと、1/13、美ら海水族館のある、海洋博公園で行われたトリムマラソンに参加しました!タイムの早さではなく、申告タイムと実際のタイムとの誤差の少なさを競うものです。

一ヶ月前に膝を強打して歩けなくなるは、年明けに風邪を引いて寝込むはで、どうなるかと思ったけど、とりあえず申告したタイムは大幅に超えても、10Kmコースを制限時間の2時間以内に完歩することを目指し、無理を押して出場。

スタート後、無理しないで早足で歩いていたが、急に脇腹が痛くなり、
始まって2分でリタイアかと思って真っ青になる。大丈夫、もうすぐ落ち着くと自分に言い聞かせ、多くの人に抜かれながらもマイペースで歩き続けたら、なんとか収まってきた。

その後、昔ながらのフクギ並木が美しい備瀬のフクギ並木集落を抜け、
伊江島を望む海岸を早足で歩き続ける。この調子ならなんとか折り返し地点までは順調に行けそうだ。

思ったより好タイムで折り返し。これなら時間内に完歩できるかな。
周りのランナーを気にしないで済む広いところで何度か走ってみたが、
やはり走るのは右ひざに痛みが走るので、早足を続ける。

晴れてきて、蒼い海に打ち寄せる波を見ながら走るのは気持ちよい。
緑がまぶしい海洋博公園を抜け、瀬底島と水納島を望む海辺でゴールへ向けてUターン。

最後は余力があったので、少しでも申告タイムに近づけるため、
震える足を酷使して走り、見事ゴール。

練習も何もせず不安だったけど、久々に達成感のあるゴール。
マラソン大会に出たのは初めてだったけど、沿道の人の温かい声援もあり、とても気持ちよく走ることが出来ました。

徳之島、美しい海を堪能

2008年01月11日 | 沖縄の旅案内
徳之島の2日目は、島で一番古く40年前から民宿をやっているというときわやへ。

ときわやから車で一周に乗り出す。まずは、太平洋戦争中に魚雷攻撃を受けて4000人弱が犠牲になった富山丸の慰霊碑が建つなごみの岬へ。しばし海を見てのんびり。リーフの内側の透明なきらめきと、リーフに砕ける白い波、その向こうの蒼い海が美しい。60年前の悲惨な事件があったとは想像し難い。そういえば、この徳之島には、やはり近くで撃沈された戦艦大和の慰霊碑、飛び立った飛行場跡地に建つ特攻隊の平和記念碑など、意外と戦争関連の史跡が多い。沖縄ばかりではないんだな・・・。

その後、喜念浜では、闘牛帰りの牛がのっしのっしと歩きながら、勢い余って周りの木々に激突しているのを間近に見た。黒い巨大が木に突進していくのを間近で見るのは・・・怖かったというか、驚いたというか。。。さすが闘牛の島。

さらに、瀬田浜海浜公園、戦艦大和の慰霊碑が建つ犬田布岬でも海を眺める。どこもリーフが広がり、蒼い海がきれい。沖縄より開発されていない分、自然が残っていてキレイかも。。。

最後は、人を襲う野犬を海の断崖に投げ込んで成敗したという犬の門蓋で夕日を見る。これも水平線に落ちる光まで見れて感動。徳之島、いい風景だらけで堪能です。

徳之島 一日目 早速Good!

2008年01月10日 | 沖縄の旅案内
徳之島の第一泊目は、豪華イセエビ鍋を目当てに金見荘へ。
噂の「漁なぐさみ鍋」は、イセエビのダシとソテツ味噌の風味が抜群で、予想以上にGood。また、イセエビの刺身も最高!
自然の恵みを食べて自然の中で生きているからこの島は長寿が多いんだよ、という民宿のおじさんの言葉に納得。
私も長生きしてこんな美味しいものを長く食べ続けたい・・・。

次の日は朝から散歩。民宿は海の目の前。一歩外にでると浜、という立地で、起きぬけでも上がったばかりの太陽を拝めた。水面に反射する黄金色の光にしばし時間を忘れて立ち尽くす。。。

朝食後、金見崎周辺を散策。展望台からは、せり出した半島の両脇にリーフが広がる海、海の彼方にカケロマ島や奄美大島を望む絶景。その後、ソテツトンネルをのんびり歩き、集落をぶらぶらしながら、出会った地元のオジサン、オバサンと気軽に言葉を交わす。こんな人の温かさが、南の島のいいところだよなあ。


沖永良部から徳之島へ

2008年01月09日 | 沖縄の旅案内
沖永良部島では、宿に紹介してもらい、黒糖を昔ながらの製法で作っている農家を訪れて見学させてもらった。

昔の沖縄映画で出てくる、よく牛が引いて歯車をまわし、サトウキビを絞るやつ。
あれが、現役で活躍中であった。しかも、農家のお父さんの手作り。

商売じゃなくて、自家用や地域の人にやるのには、これくらいがちょうどいいのよ~とおばあが言う。効率よりも適正規模の経済を目指す、「ほどほどの」よさがある気がする。温かいおじい、おばあの笑顔にいい気分になり、子牛も見せてもらった。

その後は、琉球王朝統治時代の島の主、世之主を祀る神社や、日本一のがじゅまる(がじゅまるといえば沖縄、とも思ったが、沖縄は戦争で焼けてしまった?)、東シナ海の荒波が押し寄せて琉球石灰岩の奇岩が景勝を作るフーチャを見て周る。
どこまでものどかで落ち着いた(地味な)島の印象。

そして、大型定期船がつく和泊港ではなく、知名港を出航し、徳之島でもメインの亀徳港ではない平土野港につく、通称「裏航路」、と呼ばれる奄美海運の船で徳之島へ。思ったより船は豪華、快適(100人以上乗れる船に3人しか乗客はいなかったが)だったが、到着地の平土野港は予想以上に寂しかった。

沖永良部へ

2008年01月06日 | 沖縄の旅案内
せっかく沖縄に居るので、船で比較的手軽に行ける所に行こうと思いたち、
正月休みを利用して奄美諸島に旅をした。

那覇からも船は出るけど、運賃を考慮して、本部まで車で走り、本部から奄美諸島経由鹿児島行きのマルエーフェリーに乗る。沖縄~奄美~鹿児島航路は、2つの会社が交互に一日おきに船を出しているので、実質毎日一本あることになる。

思ったより立派な客船ターミナルのある本部港より、これも想像以上に大きな「フェリーなみのうえ」に乗り込み、沖永良部島和泊港までは5時間の船旅。

到着後は、細長いエラブ島を船が来たのとは逆方向に南下して、知名町にある立派な国民宿舎「フローラルホテル」へ。
高級感はないが、レンタカーの手配、クレジットカード取扱、観光地紹介など、基本的な機能はしっかりこなしてくれる。宿で借りたレンタカーを走らせて、海辺をドライブしつつ、全国でも有数の規模を誇る鍾乳洞・昇竜洞へ。鍾乳石が立派なのはもちろんだが、殆ど人と会わずにのんびり探索できたのが良かった。

近くの山で鈴なりになっているみかんを受付でポケットいっぱいにもらい、島で一番高い大山展望台へ。夕陽の中、島の殆どが見渡せるので、思ったよりも島が小さく思える。断崖の田皆岬を眺めて、帰途につく。

途中、通りがかりの集落にある神社がライトアップされいい雰囲気だったので、何度目かの初詣。「お神酒をご自由にどうぞ」と書いてある壺から、ありがたく頂戴し体を清める。黒糖焼酎、久々に飲むとやはりオイシイ。

沖縄の新聞にびっくり!

2008年01月02日 | 沖縄の旅案内
沖縄では、本土と異なる風習があって驚くことが多いが、
正月の新聞でこんなにびっくりするとは思わなかった。

まずは、大晦日の夜。出かけようと思って外にでると、
玄関の外のトッテに、ビニル袋に入れて何かかかっている。
よく見ると新聞。
朝来たのに?・・・と思ってみると、
なんと元旦の新聞が既に配達されている!

元旦の新聞って、分厚くって何から読もうか楽しみに朝開くものなのに・・・。きっと元旦の朝、配達員がのんびりしたくて大晦日のうちに配ったのかな?

しかし、地元の人に訊いてみると、沖縄では当たり前のようだ。
元旦は、若水とりとか、行事がいろいろあるからかしら・・・。

しかし、年末ジャンボの当選番号も、新聞じゃ分からないじゃないかー。大晦日の夜に重大事件でもあったら号外でも出すんだろうか?


それはさておき、元旦に新聞を開くと、これまた特徴的なのがいくつか。まず、下段に各市長村の長が顔写真入で挨拶し、自治体としての意気込みを載せている。まさかこれは自治体が広告費を払ってやっているんじゃないだろうな。。。税金の無駄遣いと指摘されそう。

また、北部地区賀詞交換、などと一面全て使って、地域の企業や自治会などの要人が名前を出している。こんなのみんな一つ一つ見るのかな?これも効果の程はよく分からない。

さらにおもしろいことに、「中部・近畿地方の郷土の皆様より」、と題して、大阪や中京圏の沖縄県人会や沖縄料理店、沖縄出身者が本土で営む会社やお店の名前もづらづらと載っている。ここまで来ると、「郷里のことをいつも思ってやっているので、ぜひ利用してください」という感じなんだろうな~。

新聞だけでここまでいろんなことを気づけるとは思いませんでした。

沖縄の年越し!

2008年01月01日 | 沖縄の旅案内
沖縄の年越しそばは、やはり沖縄そばが主流。
けれど、我が家では、昼に沖縄そば。夜に日本そばの二本立て。

そばを食って、夜10時頃、糸満の平和祈念堂へ出発。
太平洋戦争の慰霊像があるここでは、摩文仁・火と鐘のまつりが行われる。これは、約400本の松明を参加者が手に持ち、平和への賛歌を謳い、平和を祈りながら新年を迎える、というもの。平和祈念堂へは初めて行ったが、寒い中みんなで火をたいて温かい気分になった。

カウントダウンをしていよいよ2008年。
念願の沖縄迎えた年越し。
いろんな人のお陰でここに居ることがなぜか心に浮かんできた。

その後、寒い中を15分ほど歩いて糸満観光農園のピースフルイルミネーションへ。到着すると丁度花火の時間。
こじんまりながらもなかなか見ごたえがある。
イルミネーションをさらっと見て帰る。
南国に雪が降るをテーマにしているのかな?
寒い中で見た南国のイルミネーションはなんか不思議な感じ。

帰りがけに、眠い目をこすりながら、与那原の共済寺で除夜の鐘を撞く。0時をとっくに過ぎているが、電話で聞いたら、年が明けて何時になっても、人が暮れが撞かせてくれるらしい。沖縄らしい適当さ?か親切さ?が微笑ましい。

沖縄にしては厳寒の夜、除夜の鐘を撞いて初詣を済ませ、
おみくじを引き(去年と同じ末吉!)、年越し気分になった。
2008年も素晴らしい年になりますように!