「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

首里観音堂

2007年11月27日 | 沖縄の旅案内
地元学、というよりも周りのあるもの探し第一弾。
民謡「上り口説」も謳われている首里観音堂に行ってみた。
何時もバス停を通過するので存在は知っていたが、行ったことはなかった。

薩摩に人質に取られていた琉球王朝の子息が無事に帰還することを願い、その願いが成就した暁に当時の国王が建立したという観音堂は、首里城の正門から坂を下る途中の見晴らしのよい高台に作られた。最近改築された境内からは、今でも慶良間諸島や蒼い海を望める。

土曜の昼間でも家族連れなどいくつかの参拝客があったことを見ると、
民謡に歌われた当時と同様、多くの人々に参拝された寺社であったと思われる。
家から近いし、琉球王朝や首里の香りを味わいに、初詣はここに来ようかな。

南部戦跡

2007年11月18日 | 沖縄の旅案内
シマおこし研修会というのに参加して、
沖縄本島南部の、これからの平和戦跡めぐり観光を考える機会があった。

沖縄本島南部は、蒼い海を背景にのどかなサトウキビ畑がひろがるが、
その下や道端には多くのガマが(壕)があり、悲惨な歴史が横たわっている。

ガマでの戦争体験について、地元の平和ガイドの人に話を伺った。
当時食べた貝殻が中に残っている壕もある。
集団自決に関する教科書検定問題のため、、人々の関心が高まっている時期でもあるからか、平和ガイドに取り組む方々は、戦争体験を体験者から聞き出し、記録し、後世に語り伝えるべく一生懸命取り組んでいる。

「おじいおばあの戦争体験世代は、凄惨な思いをした戦争体験を語りたがらない」
「特に、集団自決があった壕で生き残った人たちは、
 痛々しい話につながる戦時体験談については硬く口を閉ざしていて、
 ここで語らないと戦争体験世代が亡くなって闇に埋もれる、
となった最近になってようやく口を開く人が現れた」
とのこと。活字で読んだ事ではあるが、やはり口伝えに訊くと衝撃が大きい。

その一方で、日本軍に壕を追い出されたことや、軍と住民との間で軋轢があったことは多くの人が語っているようだ。

悲惨な戦争の後の平和世を享受する世代として、目をそむけてはいけない事だと思う。沖縄にいる間に、じっくりと向き合ってみたいテーマである。

近くの海で

2007年11月15日 | 沖縄の旅案内
自宅のある那覇の隣町、豊見城の海に行った。

近年急速に開発が進む臨海地区。
アウトレットモールの近くの埋立地に、
人工海浜公園がある。

秋晴れの日の昼間、夏の賑やかさが遠ざかり、青い海と白い砂が静かに佇むビーチでは、近くのレンタカー屋から借りた車で来たらしい観光客と釣り人が、のんびりと海に向き合っていた。

遠くには、渡嘉敷島が望め、那覇空港に着陸する飛行機が頻繁に頭上を掠めていくものの、視界の大部分は、海の青さと空の青さ、白い砂浜。

これぞ「沖縄」という風景。海や夏にこだわるつもりはないけど、
やはり晴れた日の沖縄の蒼い海は美しい。

思わず海に足をつけたり、砂浜に寝転んでボーっとしたり。。。
たまには、というか週一くらいで、自然の中でこのように心を解き放つ時間が欲しい。都会で生活していたらなおさらだろうな。