「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

宮本常一

2007年06月19日 | Slow Life
人に勧められて、日本各地を旅して民俗学をまとめた宮本常一の本を読んでいる。

文中に出てくる、彼が郷里を出るときに無学の父親から言われたことばが面白い。

・汽車に乗ったら窓から世の中を見ろ。田畑に何が植えられているか、
 家や人々の服装はどうかと。それでその土地の様子が分かる。
・新しい場所では高いところへ登り、目立つものを見ろ。道にも迷わなくなる。
・金があったら各地の名物を食べておくと、その土地の暮らしの高さが分かる。
・時間のゆとりができたらできるだけ歩け。いろいろなことを教えられる。
・金は儲けるより使うのが難しい。
・勉強をさせてやれないので、何も注文はしないが、体は大事にせよ。
 30歳までは勘当したつもりでいるが、30過ぎたら親のあることを思い出せ。
・人の見残したものを見るようにせよ。その中に大事なものがあるはずだ。
 焦ることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
などなど。

後に民俗学の実践家として柳田国男からも認められる彼の基礎が
ここにあったのかと思うと同時に、現代でも通用する言葉であると思う。

また、彼は、各地を旅したとき、
「調査とは言っても、この土地のことについては無知なので教えてくれ」
と言って教えを乞い、その話が納得できるものなら、他へも行って披露した。
「それが旅をするものの役目だ」と言う。
そのため、人々も彼に、いろんな知識を授けたり、
多くの人々を紹介してくれたという。

旅を続けるものとして、心に留めておきたい言葉である。

映画「ひめゆり」

2007年06月17日 | 沖縄の旅案内
沖縄戦で動員され、200名以上の学生が無くなった
「ひめゆり学徒隊」の生存者が
自らの体験を語るドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観た。

戦後、彼女達に看病された傷病兵らの話をまとめられる形で
「ひめゆり学徒隊」の話が出版され、
その活動と悲惨な最期は世の中に知られることとなったが、
当の本人達は
「悲惨な過去のことに触れたくない」、
「自分だけ生き残ったことを重く感じる」
として、ずっと口を開かなかったらしい。

当時15-19歳だった彼女達も80歳前後となり、
少しでも悲惨な戦争の真実を語り継がないといけないと、
それが散っていった仲間達の遺志を継ぐことにもなる、
という想いから、徐々に重い口を開いてくれるようになったようだ。

映画では、22人の方が、自らの壮絶な戦場での体験を、
淡々と、時には涙交じりで話してくれる。
バックに映る沖縄の美しい海とは対照的に、
中には聞いているだけでいたたまれないような気持ちになる
むごい様子も語られる。
だが、彼女達は60年前、わずか10代後半で
そのような状況に毎日身をさらしてきたのだ。

そしてそれは、60年後の現在、昨日のことのように細部まで
くっきりと描写して語られる。
軍国教育思想や戦争がいかにひどいものかということは、
話の中で出てくるが、彼女達は恨み節をいうでもなく、
淡々と、凛とした表情で話してくれる。
よほどインパクトの強く、また思い出して語ることに勇気のいる
ことなのだろう。

沖縄が好きと言って訪れる身として、
そして未だに基地問題という形で沖縄に皺寄せを押し付けている
本土の人間として、無知・無関心ではいられない。

重い映画であるが、一人でも多くの人に見て欲しいと思う。

白神山地エコツアー②

2007年06月15日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
前日のチャレンジングな山登り(藪こぎ)を
ビールと山菜・イカなどの郷土料理で慰めた次の日は、
朝から快晴の登山日和。

おにぎりを持って6時に白神自然学校を出発。
世界遺産の核心地域に迫る天狗岳(954m)に登る。
登り始めると、昨日まで姿を隠していた岩木山も見えてキモチイイ。

ちゃんと登山道がついた3時間弱の登り、高低差200m強といっても、
結構キツイ斜面や足を滑らせそうな岩場もある。
頂上が近づく頃には皆口数も減り、
グロッキーして座り込む人も出る。

ようやく頂上に出ると、日本海と秋田県の男鹿半島、
白神山地の最高峰、向白神岳を望み、達成感もあって気分爽快。

下りでは曇り空から雨も降り出し、
疲れて足が重く、気が滅入りがちになったが、
現役のマタギのオジサンと話ができたのは良かった。

山に何日もこもって熊を撃つ、マタギのオジサンは、
今では毛皮も肉も、代用品がいっぱいあるので、
30年ほど前までは結構な稼ぎになったようだが、
今は年金を補う小遣い程度、と言っていた。

それでも、熊を仕留めると喜んで遥か向こうの谷まで
担ぎに行くと嬉しそうに話してくれたり、
昔はこれくらいカネになったよ、と言ってこっそり
指を広げて見せてくれたり、なかなか訊けないその筋の話は、
疲れた足取りを軽くしてくれるほど面白い。

一度、「アイヌの人のように、熊を仕留めるとお礼の儀式をするそうですね」
と水を向けると、そのときは神妙な顔になって、こういった。
「どんなヤツでも、『立派な毛皮だな。ありがたく頂くよ』と褒めてやるんだ」
 自然に感謝しないとね。」

別れ際、貴重な話を聞かせてくれたことのお礼を述べると、
「自然は人間がいなくても生きていけるけど、
 人間は自然がいないと生きていけないからな」
とテレながらもマジメな顔で言ってくれた。

ピース。

白神山地

2007年06月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
去年の秋田県側の白神山地散策に続き、
今年は青森県側の白神山地エコツアーに参加。

まずは、青森から海沿いの町・鯵ヶ沢を経由して
白神自然学校一ツ森校へ。

こちらも、農山村によくありがちな、廃校となった
小学校の校舎を利用して、
地域のNPOがエコツアーの拠点として運営しているもの。

廃校は、去年の秋田側のエコツアーのほか、
岩手の森と風のがっこう、大鹿村のエコツーリズムの宿、「延齢草」など、何度も訪れている。
それだけ、地域の人々の想いが重なっている場所なのだろう。

一服して、近くの山に分け入る。
登山道らしき道も無いブナ林の中の藪をずんずん突き進む。
結構急なアップダウンを片道2時間くらい、結構歩く。

展望が開けるわけでもないし、
特別な名所があるわけでもなく、
人気の無い大自然を満喫、という感じ。

「エコツアーなんだから観光客が簡単にくるようなところではない、
 なかなかこれない大自然の中を歩こう」というのがコンセプトらしいが、
一緒に参加した72歳のおじいさんは、口も利けないくらい参っていた。

先頭がズンズン進むので、迷子にならないよう私が立ち止まって
遅れがちなおじいさんの補助役という感じに自然になった。
こっちも進むばかりでなく、周りの風景をのんびり感じたいしね。

そうしたら、おじいさんに命の恩人のようにえらく感謝された。
これが一番のいい思い出。

青い森の旅

2007年06月12日 | 小さな旅
白神山地に行こうと東北新幹線で一路青森へ。
せっかく遠くまで来たので白神の前にもう1泊、ということで、
八戸でレンタカーを借り、八甲田を経由して浅虫温泉へ。

八戸の駅前では、新幹線の駅前には似つかわしくない、
素朴な食堂(一皿ずつ好きなおかずを選ぶカフェテリア方式。しかも
おかずが60円~250円程度で格安)でランチ。2人合計900円なり。

インターネットで見つけた、半日3500円というこれも格安のレンタカーで
八甲田へ向かう。途中から雷雨が降るあいにくの天気で、
湿原めぐりも岩木山の眺望も残念だったが、
東京から1ヶ月遅れの新緑を味わえた。
ヤシオツツジの群落や八甲田の足湯、
名物ショウガ味噌おでんもつまみ食い体験。

青森から20分ほどの浅虫温泉では、キレイな夕陽を海岸で眺めることができた。
そして夕食は豪華。ウニ、ホタテ、カニ、ホヤ、鮭ハラスなど、
海の幸がふんだん。美味しくいただきました。

そして夕食後は、近くのホテルで行われた津軽三味線の生演奏。
サンシンとは比べ物にならないほど大きい三味線を、
しゃもじのようなバチで力強くたたき、音階もかなり広い。
そして早弾き。これはえらく難しそう。

それに比べれば沖縄のサンシンはシンプルなんだなー
(僕は一向に上手くならないけど)
と思いながら聞き入りました。

ガンジーの思想 再考

2007年06月04日 | Slow Life
『ガンジー・自立の思想』(地湧社)の訳者・片山佳代子さんの
話を聞きに行ったときの感想を前日に引き続き。

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さらに、ガンジーは次のように言っている。

「人々が各自の仕事に従事してくれれば、困難なことの大半は解決できる。
 自分の仕事に没頭していれば、怒りも収まってくる」

「意識を変えるにはまず行動から」

「非暴力はまず家庭から。日常の行動の中で非暴力の強さを静かに、
 断固として示す。そうすれば、周囲に影響を与えずには置かない。
 日常生活から訓練を積み、無力感を克服する」

「始めた人が一人いれば、それで最終的にシステムを破壊するのに十分です」


話を聞いて私が感じたのは、
●自らの暴力性(エゴ・欲望)を見据えつつ、
 社会をオルタナティブなものに変える行動をいかにとっていくか
●急には変えられなくても、少しづつ自分ができることを日々積み重ねていく
●同じ想いの人と連帯する
●それにより、今のシステムに甘んじず、
 自分の望むライフスタイルや社会のあり方を少しづつ実現していくこと
●今のままに満足せず、異なる意見に身をさらし対話していく事も行動
ということ。改めて、これらが大切なんだなと実感。

ガンジーの思想、スロービジネスを実践するものとして、
オルタナティブな社会を望むものとして、
学ぶべきことがまだまだありそうです。

ガンジーの思想 再考①

2007年06月03日 | Slow Life
ガンジー・自立の思想』(地湧社)の訳者・片山佳代子さんの
話を聞きに行ったことがある。

(彼女の話の詳しくは、こちらでも紹介されています
 http://mavi-ch.com/xseed/katayama.htm)

ガンジーといえば、非暴力不服従運動が有名だが、
当初人々にこれを説いても、毎日の生活に窮する民衆には広まらなかった。

そこで、ガンジーは、我慢を強いるのではなく、具体的な術として、
人を幸福にする建設的仕事を人々に行き渡らせる必要があるとして、
農村でチャルカ(糸車)をまわし糸を紡ぐことを唱えた。

即ち、手仕事によって自ら生活に必要なものを作り出せば、
欲望や金に踊らされる必要が無くなり、
社会の不安要因である欲望・エゴを愛で置き換えることができる、
それが平和で持続可能な社会を気づく礎であると考えた。

このように、一人一人が生きがいとしての自給的仕事、
生きていることが実感できる仕事をする社会を実現しようとしたことは、
まさに私達が考えている「スロービジネス」に通じるではないか!