「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

ココファーム

2006年02月28日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
毎年恒例の栃木食い倒れツアー(いちご・そば)の途中、
足利の里山風景の中にある「ココ・ファーム」に立ち寄った。

これは、知的ハンディを持つ方々の自立訓練施設として創られた
「こころみ学園」の農場がワイナリーを営んでいるもの。
山の斜面に広がる葡萄畑の見学やテイスティング、お洒落なカフェでランチが
いただけるなど、立ち寄りスポットとしての人気も高いようだ。
ワインの品質も折り紙つきで、沖縄サミットの乾杯にも選ばれたという。

ここは、社会で居場所を見つけにくいと感じていた
知的障碍の方々に実直な農夫として活躍する場を創りだした上に、
地域に人を呼び込み、商品を販売するビジネスとしても軌道に乗っているようで、
まさに社会起業という言葉が当てはまるのではないか。

園長直々に日々農園を案内するなど、
オープンに見学者を受け入れているのも良い。
社会に開かれたスロービジネス、社会起業を考える上で、
一度じっくりと訪れてみたい

上勝町を訪れた②

2006年02月21日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
電話も冷蔵庫もガスもない生活をするオサムさんを訪ねる。
ネパール帰りの中村さんは、薪で沸かしたお茶を囲炉裏端で
すすり、香辛料を石で挽いてカレーを作り、版画をして一日を過ごす。
禁欲的な自給自足の隠居生活をしている訳ではなく、
ひたすらそれらの時間を楽しむために、
シンプルに暮らしている。たまに訪問者がいれば、
もちろんアポ無しだが、ゆっくりと一緒にお茶をたのしむ。

カネのために働くのが忙しく、家事などは少しでも
手早く終えようとする私達の暮らしとは対極の、
生活そのものに時間を掛け、たのしむ毎日。
そんなオサムさんの暮らしには、
我々が日々接する時間やお金の価値では計れない、
のんびりと濃密で、心穏やかな時間が流れていた。

こだわりを持って棚田を守るおじさん、
郷土料理を丁寧に説明してくれたおばさん、
地域の自然を活かして人との交流に前向きに取り組む人々等、
とにかく町の人一人一人が活き活きとしているというのが
上勝の一番の印象。

皆、身近なところで自分のできることをたのしみながら
やっているうえ、オープンに人と想いをシェアしようと
してくれる。その姿勢がとても刺激的。

一見何もない、辺鄙な町を訪れたら、
身近な自然の中で日々の暮らしを「ゆっくり」と
たのしんでいる人々に出会い、
もう一つの豊かさへのヒントと元気をもらった気がした。

上勝町を訪れた①

2006年02月21日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
環境への取り組みや、お年寄りが和食のつまものを出荷する
「彩り事業」で有名な徳島県上勝町を訪れた。

今や、ゴミの34分別や元気なお年寄り達の取り組みを視察に全国から視察が訪れ、
また若者が短期間町の農家等を訪れてお手伝いをするワーキングホリデイ制度は
空きを待つ人がいるほどの人気らしい。

川魚の甘露煮、棚田米ときびのおむすび、手作りこんにゃくなど
地のモノを活かした郷土料理で腹ごしらえしたあとは、
34種類の分別を行っているゴミステーションを見学。
山奥に民家が点在するこの街では、ゴミ収集車を走らせても効率が悪いので、
一箇所の集積場に人々が分別したゴミを持ち込む。
こうなると、人々としてもなるべくゴミを減らそうとする。
(殆どの家庭にコンポストがあり、生ゴミは家庭で処理されるらしい。)

ゴミステーションには、なぜここまで細かく分別するか、
また捨てたものがどのようにリサイクルされるか納得できるよう、
分かりやすく示されているほか、
分別の仕方を教えてくれる管理の方も常駐している。

もちろん、「なぜこんなに手間をかけないといけないのか」と反発する向きや、
ルールを守らない人もいる中で、いかに人々の意識を盛り上げていくか、
さまざまな工夫を凝らしているようだ。

次に、葉っぱを組織的に料亭へ出荷する「彩り事業」の方々のお話を伺う。
平均68歳、約170人のお年寄りが、山へ入ったり、畑で木育てたりして、
青もみじ、ふきのとう、梅の小枝など、和食のつまものとして添えられる、
季節の風物詩を出荷している。おかげで、お年寄りは元気になる、
山や畑が整備される、所得が高まるなどいいことづくめだという。

何よりも印象的だったのは、取り組む人たちが、
「身近な自然や季節に敏感になったし、仲間とワイワイやりながら、
 季節感を先取りして人々に提供できるのが楽しい。」
と本当にいきいきと話してくれたこと。
こんな笑顔を見ると、こちらもワクワクしてくる。

琉球弧 民謡酒場めぐり 

2006年02月17日 | 沖縄の旅案内
石垣島/美崎町の民謡酒場へ繰り出した。
まずは「安里屋」。観光客向けのオキナワンポップスもやるし、
「唐船どーい」でのカチャーシーももちろんあるが、
ハイライトは民謡歌手の安里勇がじっくりと聞かせる。
とくに夏に歌謡大会も開かれるほど故郷の歌として親しまれている
「とぅばらーま」にはうっとりと聞き惚れた。

次の日は島の人に勧められて「島育ち」へ。
ここは、正統派安里屋のように民謡を聞き惚れるというよりは、
芸能大会的な「ノリ」を楽しむ感じ。
チョンチョンキジムナーをバックに変装大会が楽しめます。
お客さんとして来ていた「山田さん」ご一行が、とてもノリがよく、
見ているこちらも楽しめました。一緒に踊らされたけどね。

奄美・名瀬で訪れた「かずみ」は、島唄を歌いたくて
料理屋を開いたという女将が料理を作りながら唄を聞かせてくれる、
地元民ご用達の小料理屋。
こじんまりとした店内では、常連さんが代わる代わる三味線を弾き、
それに合わせて女将が(時には厨房で料理しながら!)美声を聞かせる。

奄美の民謡は沖縄と同じような三味線を使うが、
弦をはじくのに竹串のようなピックを使うので、一つ一つの音が鋭く聞こえる。
旋律は、のんびりと明るい気分を誘う沖縄調に比べて哀調を帯びており、
本土の三味線民謡に似たものを感じる。
また、唄は男性と女性の掛け合いを基本とする。
どれも、唄に込められた想いをしっとりと聞かせる感じ。
それでも最後は、沖縄のカチャーシーにあたる「六調」をみんなで踊る。

美味しい料理屋と気さくな地元の方々とのお話を楽しみ、
しっとりと奄美の雰囲気に浸れた時間だった。

自然と人の恵みに触れた奄美 その2

2006年02月15日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
名瀬の朝は、カラフルな魚のセリを見に朝市へ。
真剣な眼差しでセリをしているのに、こじんまりとした雰囲気がなんだかおかしい。

金作原の亜熱帯原生林ツアーやマングローブ地帯をカヌーで探検した翌日は、大和村にある野生生物保護センターへ。
アマミノクロウサギ、ルリカケスをはじめとする
彼の地の貴重な生き物や自然の展示が充実している。

その後、しばらくは西海岸を南下。
ダイナミックな海岸線と蒼い海、深い碧が楽しめるが、
人家はポツリとあるばかり。
入り組んだ海岸線と山並みに囲まれた集落(シマ)が点在し、シマごとに独自の文化があるといわれるのも納得。
100Kmほど走ったが、日曜だったこともあり
食事できるようなところは途中一軒もなし。

宇検村の開運酒造では、村との第三セクター工場で黒糖を
造り、それを原料に隣の近代的な工場で焼酎を蒸留している。
ここの焼酎「れんと」は、貯蔵タンクにスピーカーをあて、
クラッシック音楽を聞かせることで粒子を細かくし、
まろやかな味わいに仕立てている。
近代的な工場の中を休日なのに丁寧に案内してくれたうえ、
サトウキビの絞り汁を飲ませてくれたり、
お土産に黒糖を持たせてくれたおじさん&おにいさんに感謝。

大島海峡を挟んで加計呂麻島に面する港町、古仁屋はこじんまりとした感じ。フラッと入った民宿も食堂もアットホームな雰囲気で和めるし、魚をはじめとする料理がうまい!

連絡船で渡った加計呂麻島は、複雑な海岸線に縁取られれた長閑な島。サンゴ砂のスリ浜を朝から独占し、ひたすら綺麗な海を見てのんびり。明日のこの時間は、東京でラッシュアワーにもまれているなんて・・・信じたくない。

帰途は古仁屋から国道58号線を北上。
泥染公園で大島紬を染める工程を教えてもらったり、
名瀬市内の紬問屋で丁寧な紬柄の説明を伺ったりと、
人の温かさと自然の恵みを活かした島文化の奥深さが
印象に残る4日間だった。

奄美大島へ

2006年02月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
元ちとせと琉球文化が好きな私は、以前から奄美に行きたいと思っていた。
昨年の与論島に続き、ようやく念願の奄美大島上陸。


早速レンタカーで空港近くの土盛海岸へ。曇り空でも水が透けて見えるきれいな海と
採り放題(!?)のアーサ(→アオサノリ)に感激。
そしてまずは、腹ごしらえとして名物の鶏飯を食いに元祖「みなとや」 へ。
鶏の出汁が利いたスープでお茶漬けのようにすするのはなかなか美味。

その後、奄美パークで、文化や習俗のリアルな展示を見て遊んだ後、奄美大島酒造の浜千鳥館で
黒糖焼酎の見学とたっぷりの試飲をする。気持ちよくなったところで、
満開を過ぎてもなお見ごたえのある緋寒桜を見に本茶峠へ。

名護市内では、リーズナブルな値段と充実したサービスで有名な「たつみ や旅館」へチェックインした後、居酒屋を二軒はしご。
「かずみ」ではママさんが料理しながら自慢ののどを披露してくれたり、
隣の席の地元の方がまろやかな焼酎をご馳走してくれたりと存分に楽しめた。

石垣金星さん ミニライブ

2006年02月09日 | 沖縄の旅案内
西表島の石垣金星さんのミニライブ・イベントに行った。

ガイアシンフォニー5番の美しい映像を久々に見た後、
西表島の自然や節祭りのスライドを見ながら、
新宿の真ん中で、金星さんのサンシンの音に聞きほれる。
3日前までいた八重山ののんびりした空気に戻りそう・・・。

金星さんは、西表の神が宿る浜、月が浜で
リゾートホテルを建てたユニマットに対し、
反対運動を展開し、裁判を起こしている。
私も反対の署名をし、昨年は現場まで見に行った。

いまや完成したそのホテルの前の浜は砂浜の侵食が進み、
モクマオウの木が根こそぎ倒れそうになっている。
海がめもホテルの灯りを避け、産卵しに来なくなった。
固有主のハマグリも絶滅の危機に瀕しているようだ。

多くの反対を尻目に神聖な浜に建てられたリゾートホテルは、
土地の生態系を変えてしまいつつあり、
目玉としていた豊かな自然は自らによって、荒れている。
罰が当たったかのように。

金星さんは語る。
「ユニマットが憎い訳ではない。間違ったことをしているのに
 気づいて欲しい。この闘いは、島らしくゆっくりとした時間
 が掛かるかもしれないが、必ず勝つ。
東京の人にもこの問題を知って欲しい。」

ライブの後、金星さんと言葉を交わした。
「自然や文化を大切にすることに、地元の人も外の人も気づけるような、
そんなエコツーリズムを益々広めていければいいですね」と。

今や西表エコツーリズム協会顧問の金星さんも,
温かく微笑み返してくれた。

日本最南端、波照間は寒かった

2006年02月07日 | 沖縄の旅案内
今年のバースデー割引は、日本の有人島最南端、波照間島へ。
ついに、納沙布岬、宗谷岬、与那国島西崎につづき、
踏破可能な東西南北の端を制覇!と、意気込んで行った波照間島は・・・寒かった。

沖縄の2月は北風が強いとはいえ、今年の冬は特に寒いようだ。
私が自転車で島を周った日も、曇り空の下、強い風と時折小雨が降りつける天気。
フリース2枚着て、手袋つけて自転車漕いでも寒かった。

でも、寒い曇り空も、ウージ倒し(さとうきび刈り)には悪くないようで、
「作業がつらいのに、これで暑かったら百姓は地獄さー」と言っていた。
キビ刈り真っ最中の島を巡っていると、初めて機械で刈っているのに遭遇。
物珍しくて眺めていると、島のにーにーが、「好きなだけ持って行ってかじっていいよ」
とキビを2,3本手渡してくれた。かじってみると、キビの繊維の中にジンワリと豊潤な甘さがにじみ出る。
「この島はキビ以外何にもできないよー。他に何も要らんけどなー。」という一言が島への思い入れを感じさせる。

干潮時に姿を見せたアーサに覆われたひろーい岩場も、
西浜ビーチも、ボリューム満点の「パナヌファ」のらふてぃ定食も印象的。
島であちこち見かけたかわいらしい山羊の親子もね。

また青い夏空の下に来てみたい。
いや、いつかきっと来る。

沖縄のサンゴ保全についての講演を聴いた

2006年02月03日 | 沖縄の旅案内
赤土流出、オニヒトデの大量発生、海水温上昇による白化で
美ら海のサンゴが危機的な状況になっているというのはよく知られた話。

ムムッと思ったたのは、
・勃興しつつあるエコツアーによるネガティブインパクトが危惧されている
・さまざまな立場の違いや自然資源への関心の薄さから、
 地元ではサンゴなどの環境保全に向けた機運が弱い
というお話。

子供の環境教育や観光客の体験でサンゴの一部人工移植、
ダイバーと海人の協調など、一部で保全に向けた動きも見られるが、
「地元の人にもっと地域の自然に目を向けて欲しい。
東京の人には、沖縄のサンゴの問題も知ってほしいけれど、自分の身近なところに目を向けて、
(同じ根っこにある)生態系を守るために自分なら何ができるか、という輪を身近なところから広げて欲しい」
という話が印象的。

八重山商工に感激

2006年02月01日 | 沖縄の旅案内
離島から実力で勝ち取った初の甲子園出場決定ということで、
石垣島では昨日、花火や泡盛の振る舞いなど、
島を挙げての祝福ムードだったらしい。

会社の昼休み、このニュースを琉球新報のHPで見た私は、
つい涙腺があつくなった。八重山商工の活躍に感激したというより、
悲願達成をわが子のように喜ぶ石垣島のおばあや、
島を挙げて商工球児の活躍を応援する石垣の人々の様子に感激したのだ。

一つの出来事を我がことのように老若男女が喜び、
街をあげて祝福するというのは、自分の周りの日常生活からは
想像できない。

離島と大都会というさまざまな違いはあるにせよ、
共同体に暮らす一人の人として考えた場合、
どちらが幸せだろうか。

近代都市に暮らす人間がどこかに置き忘れてきた人のつながりを思い起こした、
というのは大げさだろうか。。。