「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

北いわてスローツアー ②

2006年09月23日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
「バッタリー」とは、この地域に伝わる、
水力を利用した製粉などのための道具のこと。

以前は農協に勤め、農業の近代化を指導してきた木藤古さんは、事情により山奥の実家へ帰り、近隣の在来種である短角牛の肉を出荷していた。それを目聡くみつけた「大地を守る会」が木藤古さんを訪れたのは21年前。

木藤古さんは、こんな田舎で都会からの消費者をどう迎えてよいのか戸惑った。しかしお父さんは、「山には山の暮らしがある」と泰然としてたらしい。

そこで、手作りのバッタリーを見てもらったところ、
自然と共にあり、全てを自然から手作りするそのような生活が消費者には大受けだった。

それをきっかけに、木藤古さんは、
「昔からある、自然と共にある暮らし、
 手作りで自然から物を作る暮らしを体験し、
 現在の生活を見直して欲しい」
とバッタリー村を創ったという。

今では碑が立っている。
「バッタリーが人を呼び、囲炉裏から村おこしの火が燃えた」

バッタリー村憲章ではこう謳われている。
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「この村は、与えられた自然立地を生かし、
 この地に住むことに誇りを持ち、
 一人一藝何かを作り、
 都会の後を追う求めず、
 独自の生活文化を伝統の中から創造し、
 集落の共同と和の精神で生活を高めようとする村である」

キャッチフレーズ:『自然を愛し、自然とともに生きる』
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環境問題もNGOも殆どの人が知らない20年前に、
そんな崇高な理念を掲げたとは思えないほど、
木藤古さんはどこまでも、温かく、茶目っ気があり、
そして今でも高い理想を掲げ、
着実に自分がができることをやっている。

そんな木藤古さんの温かくもアツイ人柄があってこそ、
この山奥の小さな小さな村が、長い間、
多くの人を迎え入れているのだ。

北いわて スローツアー①

2006年09月20日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
森と風のがっこうの「北いわてスローツアー」に参加した。

昨年も参加↓したところ、
地元の人たちとのふれあいや、自然の中でののんびりとした時間、豊かな郷土の自然の恵みを存分に味わえたので、今年も行ってみた。

(昨年の様子はこちらで↓)
http://blog.goo.ne.jp/misho260_1973/e/360acb82ba4b475703904c14674440e7
http://blog.goo.ne.jp/misho260_1973/e/c4d48f9131574fd91895da6774fe1d69

久々に会った森と風のがっこうの皆さんはもちろん、初めて訪れたバッタリー村(水力を活かした水車のような手作り動力器具である「バッタ」をはじめとして、生活道具の多くを手作りし、昔ながらの暮らし方が体験できる場所)の木藤古さんご夫妻も、とても温かく迎えてくれ、昔からなじみの親戚の家を訪れたような雰囲気で、三日間楽しめた。

バッタリー村については改めてじっくりと日記に書きたいが、奇しくも一週間前に私が訪れたインドのラダック地方同様、「懐かしい未来へ」という副題がついた今回のスローツアーで実感したのは、
【地域風土とのつながり、人とのつながり】。

具体的に言えば、
●自然とのつながりや伝統の中で積み重ねられてきた、
 少しでも豊かに、楽しく、快適に暮らそうという
 生活の知恵や暮らし方の工夫が「文化」となっていること
●それらを「遺したい」、「多くの人に知って欲しい」、
 「毎日の暮らしの中に持ち帰り、普段の生活を見直す
  きっかけにして欲しい」という熱い想いを持って
  行動している人がいること
●自然の中で、楽しく、のびのびと、そういう人たちや文化と
 交わることで、多くの人たちがリフレッシュしたり、
 元気になったり、普段の生活やこれまでの人生を見直す
 ことができるだろうということ

もちろん、こんな理屈なんかぬきで楽しんでいたが、
きっと後で「こんな意義があったんだ!」と思うんじゃないかな。

ラダックへの旅⑥

2006年09月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
悲しいことに、ラダックを去る時間はまもなくやってきた。せっかく美しい農村に来て、体調も天気も回復し、これからという時なのに、仕事の関係で早く帰らないといけないなんて。。。朝、暗いうちに起こされ、ひっそりと出発。朝4時なのに、農家の人は、パンとチャイ、カッテージチーズとツアンパをお湯で溶いた簡単な朝食を用意してくれる。

 うつむき加減で朝食をいただいていたら、農家のおじさんが優しい笑顔で、
「こんな短時間でラダックがわかるのかい?」と言ってくれる。

「いや、足りない。もっともっと、ここにいたい。」心の中で叫ぶ。
「なら、なんで僕は日本に帰るんだろう。こんなにここが居心地がよいのに・・・」 その疑問を僕は抱えたまま、暗い夜道を空港まで向かう。登りかけてきた冬の1等星シリウスも目立たないほど、全天の星が美しい。

 砂の大地を走る車の中から、朝空けに照らされつつある空を見ながら想う。
「結局、僕は、日本のカイシャというシステムにどっぷりハマッて生きていて、抜け出せない。だからここまできても、自分の意思に反して帰らざるを得ない。自分たちの道は自分たちで切り拓くというラダックの人に比べたら、巨大なシステムに流されている自分は何をやっているんだろう・・・」

 この想いは、光る雪山を望むレーの空港で飛行機を待つ間も、そして喧騒のデリーの町の中でも、僕を悩ませることになる。

ラダックへの旅⑤

2006年09月14日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
ホームステイ先の農村へ向かう。途中、農村のおばさんたちが道端でランチをしていたので、「Julay!」といいながら近づいていったら、カッテージチーズとチャパティのランチを少しおすそ分けしてくれた。そのチーズが旨い!

ここで、イグの村でステイする一行とお別れ。仕事の関係で、次の日に一足先にラダックを去る私には、ここでお別れの人も。砂の大地の上で、ハグしてお別れ。抜けるような青空の下、一抹の寂しさがよぎる。

我々は、インダス川沿いの道をさらに東へ。村はずれのチェックポイントを過ぎる際、警察にとめられてこれから先に進むのに許可証を急遽求められる。国境周辺地域の厳しさを肌で実感。

さらにしばらく走ったところで、山の懐に抱かれるように緑が広がるシャラの村へ到着。緑に点在する家々は美しく季節の花で彩られ、これからの農村滞在がすばらしいものになることを予感させる。

まずは明るい光が入る客間へ通され、のどかな農村風景を楽しむ。自家製のケーキとお茶でもてなしてくれたあと、おいしいマトンカレーの昼食。その後、晴天とのどかな風景にひかれて集落を散歩。たわわに実った杏の木をくぐり、麦畑の合間を縫って流れる清流のせせらぎを越えて進むと、おばさんたちが麦干しに精を出している。

そこで一緒になってお手伝い。何気なく麦をあっちからこっちへ移動させているようで、実際にやってみると、ちゃんと全体が乾くように工夫して積んでいたり、くずわらをトンボでかき集めてぐるぐると干草ロールのようにして運んだりと、伝統の中で受け継がれた細かい生活の知恵が光る。労働の合間に畑でいただく、冷えたチャンやチャイの味はサイコー。

その後、また散歩してほかの知り合いの農家を訪問。グルグル茶を実際に作るところを見せてもらう。チベット特有のバター茶は、しょっぱくて脂っこいので、我々には少ししか飲めないが、チベットではこれを一日中何倍も飲むらしい。客人には、カップを常になみなみと満たすよう、飲んだそばからわんこそばのように継ぎ足してくれる。少ししか飲めないので、「ディグレ(もう十分です)」と言って手で茶器を塞ぐのだが、なんとなく好意に応えられなくて残念。

日没が近づき、暗くなる前にあわてて戻る。途中、村の子供たちに出くわす。家事の手伝いをしている子もいれば、妹の子守をしながら仲間と遊んでいる子もいるが、皆純粋で素直な目をしている。「40年前の日本のようだよ」とは同行した60近いおじさまの弁。

夜は、チャンとウイスキーを村のおじさんと飲んでいい気分になる。いい気分になって屋根に上ると、満天の星。天の川も白く見える。夏の大三角形の一等星も目立たないほど、多くの星が光り輝く。ただ言葉もなく、上を向いてずっと眺めていたい気分。

ラダックへの旅④

2006年09月13日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
次の日、ようやく朝から晴れ間を見る。体調も回復してきたので朝からインダス川沿いの教育施設の周りを散歩。5:30に起きて牛の世話をしている学生が乳絞りをしている。ヒマラヤから昇る朝日が、インダスの深い谷と周辺の岩山を徐々に照らし、光と影のコントラストは徐々に一面の光に染まっていく。

朝食後、日本から持参した折り紙や独楽、剣玉などの遊びを教えながら学生達と交流。彼らはどこまでも人懐こく、素直で、英語で「I miss youは日本語でなんて言うの?」と私に聞き、「寂しい」と教えると、その覚えたばかりの日本語で他の日本人に想いを伝えている。そのように、素直な気持ちを心のままに出すのが気恥ずかしく感じたり、自ら心理的な壁を造るようになってしまったのはいつからなんだろう?青空の下、名残惜しい別れのときがやってくる。

その後、雪をかぶった山々や眼下に光るインダス川を見ながら、砂漠のような大地を車で移動。まるで映画のワンシーンのよう。

レーの近郊、インド軍が建てた女性のエンパワーメントセンターを見学する。ここの建物は、地元の素材を生かして蓄熱性に富むエコハウスとして作られており、氷点下25度に下がる真冬でも中では暖房が不要とのこと。施設自体は、村の女性が織物や編み物の技術を身につけるための訓練施設で、病院を軍が作るなど、このように軍が民衆のために施設を用意するのは、行政が弱い僻地ではよくあるらしい。

近くの集合住宅では、インド系の顔をした子供たちが遊んでいる。すぐ傍で笑って見つめている男性はチベット系だが、彫が深くてネイティブ・アメリカンのよう。まさに人種の坩堝、という感じでエスニック気分満載。

ラダックへの旅③

2006年09月11日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
夕方、西洋からそのまま教科書を輸入しただけの英語教育など、地域の実態にそぐわない画一的な教育システムの弊害を克服するために地元の若者達によって設立された教育組織、SECMOLを訪ねる。インダス川沿いの荒涼とした地に、そこだけ緑の若木に囲まれたキャンパスは、曇り空の下では寒々しく見える。

夕食後は、自己紹介と交流会。即興の一芸を披露することになり、日本人ツアー一行は「ふるさと」を合唱したが、「では次はソロで」、となると、インドの若者達は自立心が強いのか積極的。仲間から指名されると、照れながらも、決して嫌がらずに歌や踊りを披露する。我々に同行したインド人達もこれは同じ。日本人のように、恥ずかしがって拒んだり、誰かと一緒じゃないと・・・という尻込みをする人がいないのには恐れ入った。

次の日は、朝からSECMOLの概要説明と、ソーラーエネルギーや蓄熱性を活かしたエコ・キャンパスを見学。ところが、寒さと油や香辛料まみれの食物に胃が疲れたのか、はたまた高山病か、寒気がして気分が悪い。せっかく天気がよくなってきたのに、と思いながらベッドで休養。窓越しに雪をかぶったヒマラヤと蒼い空を見ながら眠り込む。

午後の「持続可能な開発と環境」についての学生達とのディスカッションにはなんとか参加。日本の現状やゴミ問題についての意見、解決策を求める学生からの質問などはどれも素朴だが真摯で、開発やグローバリゼーションに直面し、見聞したそれらの問題点を回避しつつ、どのように望ましい未来を自分達で切り拓くか、という熱い姿勢が伝わってくる。教育施設を自ら創ってしまう点も含め、「自分達の未来は自分達の手で切り拓く」という、一見当たり前のようなラダックの青年達の姿勢がとても新鮮に感じられるのはなぜだろう。砂漠のような大地の上に広がる、明るい月と満点の星を見ながら考えた。

ラダックへの旅②

2006年09月11日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
早朝、5:30起きで寺院めぐりへ出発。蒼い空と強い日差しを期待したが、冷たい雨に降られ寒い。レーから20Km程離れたティクセ・ゴンパは断崖絶壁の上にあり、インダス川沿いの村の緑と背後に広がる荒涼とした大地の眺めが素晴らしい。堂内では、5歳くらいの男の子の僧から中年の僧までが読経中。

寒い堂内で見学していると、僧の食事(ツァンパという麦の粉にお湯を溶いたもの)の時間に合わせて、子僧が我々にもチャイを振舞ってくれる。さらに、10Km程離れたへミス・ゴンパでは、7月に大きな祭りがあるらしく、荘厳な雰囲気。

その後、NGOの代表でもあり、今回のツアーのリーダーであるスカルマさんのご実家で昼食。日の光が大きく採り入れられた明るい広間には厚いカーペットが敷かれており、腰掛けて壁にもたれると久々にホッと落ち着く。大麦のどぶろく「チャン」もいただく。キビ酒のようなほのかな酸味と濁り酒のようなほのかな甘さがある。ツァンパを入れて飲むこともあるらしい。

昼食後は、文化とコミュニティーの維持と発展を目的に結成された女性達のNGO「Women's Alliance of Ladakh(WAL)」を訪問。「懐かしい未来へ」で、開発に直面するラダックの問題を知らしめたヘレナ・ノーバーグホッジのVTRを見に、毎日数十人の西洋人観光客が訪れているらしい。

ツーリスト・インフォメーションに、環境や地域に配慮した観光を呼びかけるチラシをおいてあるからのようだが、我々のように「持続可能な開発」について考えに来たという観光客などは多くは無いはずなのに、こんなに人が来ていることには驚いた。これによって少しでも持続可能性に目を向ける旅行者が増えれば、と思う。

WALの女性達は、観光客に地元素材の料理を出すレストランを営んだり、地域でゴミとなるビニル袋の使用をやめるよう州を巻き込んで活動したりしている。保守的な農村部には珍しく、そのような女性達の活発な活動に、ご主人達も協力的なようである。

インド・ラダックへの旅

2006年09月09日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
北インド・ラダック地方との文化交流・開発支援を行うNGO・Julay Ladakhのスタディ・ツアーに参加した。近代化と持続的な暮らしの両立をテーマにした「懐かしい未来」でも取り上げられている、素朴なチベット文化圏に行くのが楽しみ。

8/31、待望のインド入り。デリーの空港から一歩出た途端、土埃と喧騒の街がアジアに来たことを知らせる。街中の車は殆どエアコンなしだが、ホテルの部屋のエアコンは凄い音を立てて部屋をキンキンに冷やしている。寝る時は弱めに、なんていう調整は望むべくも無かった。

翌朝、早朝の飛行機で5000m級のヒマラヤの山を越えてラダック地方の中心都市、レーへ。冷涼な気候とエキゾチックなチベット文化を求めて、多くの西洋人が訪れる観光地となっており、「東洋のスイス」とも呼ばれているらしい。澄んだ空気の中、ホテルから王宮とヒマラヤ山脈を望む。

毎年9月上旬に行われるラダック・フェスティバルを見学。様々な民族衣装を着た人々による歌や踊りのパレードが見られる。午後は高山病対策のため、ホテルで休養。でも、レーの街が見たくて夕方から散策。カシミール地方からの果物が並ぶ野菜市場や小商店のオヤジと片言のラダック語で会話を楽しむ。

夕方も町の広場で祭りを見学。短時間だろうと薄着で行ったら、暫くして雨に降られ、体を冷やすことになった。高山病の気もあったのか、夕食はとる気にならずホテルへ退却。急な階段を3階まで上ると、空気が薄いせいもありクラクラ。。。