「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

渡久地の浜

2008年04月30日 | 沖縄の旅案内
読谷村と嘉手納町の間を流れる比謝川の河口近く、読谷村側のビーチが渡久地の浜。1945年4月1日に米軍が上陸した地点の南端に当たり、河口近くの公園には、そのときの様子を表した碑が立っている。そういう意味では、沖縄戦と戦後の沖縄はこの地点から始まったといえる。

今の渡久地の浜は、整備された公園になっており、バーベキュー場があったり、自然の岩があるのどかな海岸。

4月の終わりの休日には、往時の様子が想像つかないほどのどかな時間が流れ、親子連れやカップルが日向ぼっこしたり、水遊びしていた。平和な春の休日。

合掌。

比謝川で泳ぐこいのぼり

2008年04月27日 | 沖縄の旅案内
読谷村と嘉手納町の間を流れる比謝川は、小さいながらも沖縄本島最大の流域面積を誇る川。その比謝川河口近くで、こいのぼり祭りがあるというので行ってみた。

農連市場近くや安謝川では、普通のこいのぼりより小さい、大根くらいの大きさのこいのぼりが泳いでいたが、こちらは大きな川だからか?、サイズも本土並み。風にあおられて元気よく泳いでいた。

比謝川の河口は、自然が残る渓谷状になっており、特に読谷村側はいい雰囲気。対する嘉手納町側は、河口から連なる海岸が護岸工事されていて、海面に広がる天然のサンゴと、岸壁を固めるテトラポットが違和感。。。ここでシュノーケルするアメリカーはなんとも思わないのかな?

多良間で塩をつまみにオトーリ

2008年04月26日 | 沖縄の旅案内
多良間島に昨年から移り住んで昔ながらの天日干しで塩を作り続ける長岡さんの製塩所を見学させてもらった。濃縮した海水をビニルハウス内で天日で乾燥させて作る塩は、余計なものを一切加えず自然の力で作るため、体にもいいらしく、元お医者様である長岡さんは、塩の活用法も含めていろいろと研究しているらしい。そういえば、晩のオトーリで、泡盛にカレー粉がブレンドされた塩を入れて飲んでいた人もいたっけ。。。

しかし、濃縮した海水を乾燥させるビニルハウスの中は、灼熱地獄。真夏の昼間は60度にもなるらしい。訪れたのは4月上旬だが、25度を超える夏日となったために、ビニルハウスの中もサウナ状態。入るとすぐに汗が出てきて、息苦しくなった。

さて、宮古といえば、オトーリである。要は酒の回しのみ。ただし、やみくもに飲むのではなく、最初に親が口上を述べてグラスについだ泡盛の水割りを空け、座についで回す。回された人はそれを黙っていただき、全員が飲むと親が礼を述べてもういっぱい飲む。しばらく歓談したところで、「そろそろ行こうか・・・」という感じで、隣の人が親になって同じことが始まる・・・という感じ。

初オトーリの結果、久しぶりに気持ちよく酔っ払って・・・意識が飛びました。島の静かな夜を味わおうと思ったら・・・気づいたら未明でした^^;。
やはりオトーリ、恐るべし。

多良間の墓にびっくり

2008年04月24日 | 沖縄の旅案内
多良間島では、島のメインの港となる前泊港の近くの森に、墓が点在している。墓といえば、琉球王府の高官、平敷屋朝敏の墓が多良間にあると聞いて驚いた。連れて行ってもらうと、森の合間に大きな石造りの墓が並んでいる。沖縄のほかの墓と同じように一族が入れるほど大きいのは同じだが、地面に掘り込み敷きというのは始めて見た。そして、聞くところによると今でも火葬しないとのこと・・・。すっごくびっくりした。

幻の大陸、上陸

2008年04月20日 | 沖縄の旅案内
宮古島の北の海上に、一年に一度、旧暦3月3日の干潮の時だけ現れ、「幻の大陸」と呼ばれる八重干瀬(やびじ)に行った。

旧暦3月3日近くの3日間、宮古島のフェリーターミナルから、普段はお隣の伊良部島を結ぶフェリーが大型観光フェリーとなり、数百名の観光客を乗せて八重干瀬に向かう。

フェリーは、観光ツアーを迎え入れる派手な横断幕がかかり、出発前からお祭りムード。この時期にあわせて本土からくる団体客が大勢いるようで、足の踏み場がないくらいの混雑。船内では、出航から八重干瀬までの1時間半ほどの間に民謡ショーが行われ、次から次へと三線や太鼓の生演奏に乗って踊りや歌が飛び出す。さながら、海上の民謡酒場のよう。

気分も盛り上がったところで八重干瀬に到着。船の先端から足場をつくり、サンゴ礁を傷つけないように降りる。昔は、地元の人が、潮が引いて打ち上げられた魚や貝を大挙してとりにきたようだが、大勢の人が来るようになり、資源の保護やサンゴ礁が踏みつけられることが問題になった。そのため。ボランティアガイドが10数人ついて、「カラフルなサンゴは生きているので踏まないで」とか、「、「オニヒトデを見たら危ないから触らないで」と注意を促している。ここでも、自然環境の保全と利用のバランスに悩む沖縄の観光の姿が垣間見える。

さて、待望の幻の大陸に降り立つと、ホントにそこかしこにテーブルサンゴやアオヒトデ、ルリスズメダイなどをみることができる。サンゴを食い荒らすオニヒトデも間近に見える。成長の早いユビエダサンゴは、オニヒトデが適度にいてかじってくれるほうが、生態系のバランスがいいらしい。

沖縄に住んでいる僕たちでも、これほど見事なサンゴの群落は、海に潜らないと見えないだろう。それが歩いて見れるとは・・・。県外から来た大勢のおばチャン連中は、サンゴや青い海自体見慣れていないので、結構な大騒ぎ。まあ、無理もないよね。結局、透き通った海と、海水面すれすれのサンゴを1時間ほど堪能し、船に戻る。

船に戻ると、刺身と泡盛が振舞われ、これまた盛大な民謡大会。もちろん、最後は、沖縄本島のカチャーシーに当たる宮古のクイチャーを踊りまくり、ドンちゃん騒ぎのうちに港へ戻る。

船2時間の往復と民謡ショー、刺身と泡盛で8000円は、沖縄の物価からすれば高いけど、一年に一度きりのものと思えば、まあいい経験でした。

激走 伊江島ハーフマラソン②

2008年04月17日 | 沖縄の旅案内
なんとか中間地点を過ぎて、その後は快調に走ること1、2キロ。伊是名島がよく見える海岸近くで走りながら写真を撮っていたら、後ろから快調に走ってきたいかにもベテランそうなオジサンに「ビデオ録っているの?」と話しかけられる。しばらく併走しつつ、息を切らしながら雑談を交わす。聞けば、沖縄県内のマラソンレースには殆ど出て、もちろんフルマラソンも何度も走っているとのこと。

どこまで併走できるかなと思いながら暫くは併走していたが、走りながら写真撮ったり、給水所でのんびり水を飲んでいるうちに、いつの間にか見えなくなった。ちょっと速く走って、止まって、というのを繰り返すより、ゆっくりなペースでも着実に走り続けたほうが結果的には速いというのを実感。

15km付近で第4給水所に到達。ゴールが見えてきたか。今までの給水所では、冷水と黒糖、塩と水を含ませたスポンジが供給されるくらいだったが、ここは、レモンスライスや梅干、ワラビ餅やバナナ1/3カットが置いてあり、うれし~と思いながら、もぐもぐほうばる。好タイムなんて目指してないので、立ち止まって栄養補給。

ホッとするのも束の間、走り始めた目の前で、足がつって搬送される人に出会う。「慣れていそうな人に見えたのに・・・うちらも気をつけないとね」、という隣の人の声に、「そうだ、急に来るかも」、とちょっと怖くなる。この不安は、この後ずっと抜けなかった。

17Km付近で、これまでの距離数表示から、「あと5Km」という表示に変わる。もう少しだ、と思う反面、古傷の右ひざが痛くなってきた。左に見える蒼い海や、右に見えるタッチューの風景に助けられながら、何とか走り続ける。

あと3Km地点を通過。だんだんと足が上がらなくなってくる。時計を見ると、制限時間内には何とか間に合いそうだ。しかし、ずっと歩き続けるのは格好悪いから、できるだけ走ろうと思うが、思うようにスピードが上がらない。

あと2Km。集落近くの直線道路。歩きたいのはやまやまだが、給水所などでは地元の人が応援してくれるので、何とか無理して走る。500m走ると、あと500mは歩いているような感じ。

何とか、あと1Kmの看板を通過。最後はラストスパート、と思ったが、何とか小走りする程度が精一杯。あと500m、ゴール直前の上り坂でやはりスピードダウン。それでも、とぼとぼ歩く人を何人か追い越して、ようやくゴール地点の公園に飛び込む。

やった~!何とかゴール。。。もう、足がパンパン。ビール飲むよりもまずは腰を下ろす。しばし呆然。
イテテ・・・と暫く足をさすり、待望の祝杯にありつけたのは、ゴールから30分後だった。何はともあれ、乾杯。

激走、伊江島一周ハーフマラソン①

2008年04月16日 | 沖縄の旅案内
伊江島一周マラソン大会。以前にも訪れた伊江島だが、普段入れない西側の米軍演習場まで一周できるというので、多少不安はあったが、ハーフマラソンに申し込んだ。

島に着いてスタート会場のミースィ公園に入ると、幟が立ち並び、屋台と花が所狭しと並ぶなど、お祭り気分を盛り上げる。

ハーフの部のスタートになり、スタート地点に行く。2回目だからか、前回の海洋博記念講公園マラソンに比べて参加者が少ないせいか、思ったほど緊張しない。21Kmを2時間50分の制限時間内に完走できるだろうか・・・まあ、なんくるないさーという気持ち。

スタート直後、集団の中ほどでまずまずのスタート。でも、1Km過ぎた時点で思ったよりキツイ。なぜだ?体調も万全なはずなのに。時計を見ると1Kmを5分ペース。これは予想より速い。しかも、さっきまで曇っていたのに、日が差してきた。4月の15時過ぎの日差しは結構キツイ。しかもコース的に、内陸部を走るため、涼しい海風が感じられず、暑い。

我慢を続けて何とか3Km通過。思ったよりきつくて多少歩きながら呼吸を整えたりしたが、ようやく待望の米軍基地内に入る。

米軍基地内は、鉄条網で囲まれており、入ってすぐに伊江島灯台が左手に見えたほかは、何もない草原が続く。まあ、落下傘降下練習や米軍機の離着陸訓練が行われる場所だからかな。とにかく、米軍基地内という言葉とは裏腹にのどかな風景が続く中、上り坂を時折歩きながら進む。

海の向こうに伊是名島も見えてきたころ、金網を再び通り抜けて、米軍演習場から脱出。すぐに、「特攻部隊出撃の地」の碑が立つ壕を右手に見る。

やがて、伊江島のシンボル、タッチュー(城山)がタバコ畑の向こうに見える畑の中の道に出る。体調も落ち着き、快調になってきた。周りののどかな風景を写真に収めながら、順調に走る。

多良間島の八月踊り

2008年04月14日 | 沖縄の旅案内
昔石垣島を見渡したという八重山遠見台からは水納島を望み、多良間が改めて平坦な島であることを確認、その後有名な多良間の八月踊りの会場へ。

仲筋集落の八月踊りが行われる土原御嶽(ンタバルウム)では、大きな木がうっそうと茂り、いかにも由緒ある雰囲気。国指定の無形重要文化財、八月踊りでは、初日に島のもうひとつの集落である塩川の人を招いてここで、踊りが奉納され、翌日には塩川にあるピィトゥマタウガムで、仲筋の人を招いて行われるとのこと。

それぞれのウガムには、舞台と村の役人が座る正面客席、自分たちの集落の人が座る席と、招くもう一方の集落の人が座る席が用意され、粛々と行われる様子が伺われる。

のんびりとした風景の多良間だが、このお祭りのときは賑やかになるんだろうな、でも舞台ではピンと張り詰めた雰囲気があるんだろうな、 という奥ゆかしさを感じた。

多良間へ

2008年04月11日 | 沖縄の旅案内
宮古島と石垣島の間にある多良間島。人口1300名ほどの小さな島。今まで二回ほど渡ろうとしても、天候が悪くて船が出なかった。今回、宮古に行くついでに、ようやく行くことができた。

宮古から、伊良部への架橋工事が進む脇を通り過ぎ、船に乗ること2時間。150人乗りなのに7人しか乗っていない船は、青い海に平らな島に到着。港の周りには、車が2,3台と乗船券売り場らしい粗末な小屋だけで人気もない。見るからに静かな島に到着。

島の垣花さんに案内していただき、民俗資料館や島を16世紀に治めた土原豊見親の石墳(ンタバルトヨミヤノミヤーカ)、御嶽(ウガン=拝所)を回る。島の自然や伝統的な史跡が残る静かな島がすぐに好きになった。

宮古島の民謡居酒屋

2008年04月09日 | 沖縄の旅案内
一年ぶりに宮古を訪れた。宮古といえば、民謡居酒屋に手軽にいけるイメージがある。

民謡居酒屋は沖縄どこにでもあるが、那覇ではショー的な色彩が強く、ライブチャージが500~1000円かかったり、石垣ではスナックのような店構えで食べ物飲み物込みで3000円くらいかかるのに比べ、宮古では通常の居酒屋料金+200円くらいで楽しめる。

登場するアーティストは、素人集団からセミプロまでと様々だが、客席との距離も近いので、客人が勝手にステージにあがって、ミュージシャンのバックで三羽や太鼓を叩いていたりする。

今回行った「ぶんみゃあ」は、人気の店らしく、8時半頃に入ると結構入っている。

地元の人たち、中でも既にかなり酔っ払っている人も多い。そういえば、入った日は、沖縄尚学高校が甲子園で優勝した日。みんな昼から飲んでいたに違いない。

だからかもしれないけど、ライブの前半から、地元のおじさんたちを中心に踊りまくっている。「市長」と呼ばれるおじさんも、何度もうちらに近寄って一緒に踊ろうと誘うので、私たちもキレのある三線の早引きに乗ってカチャーシーで応戦。

結局、次の日の新聞に写った顔写真を見て、その酔っ払いおじさんは、宮古島市長であったことが判明。とても垣根が低い、宮古の民謡居酒屋で、なかなか楽しめました。