「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

川崎で生ゴミから野菜を

2006年08月27日 | 農のある暮らし
ちょっとしたご縁で近所の農家に行き、
生ゴミからの堆肥の作り方とその堆肥を活用した野菜作りが
見学できるとのことで、出かけてきた。

登戸に住んでいる割に、川崎市のバスに乗るのも初めて。
梨作りが盛んなのは知っていたが、住宅街の真ん中に
こんな野菜とハーブの農園があるとはびっくり。

小泉さんは、住宅街の真ん中で野菜とハーブを作っている。
ハーブの加工や、インターネットを使った情報発信、
市の生ゴミ活用などにも取り組んでいるようで、
都市の農家らしく、いろいろと工夫されているようだ。
http://www.hkmint.net/Koizuminouen.htm

畑には、ミニ冬瓜、落花生、小松菜、バジルなどが並び、
住宅街の真ん中のオアシスのような雰囲気を作り出している。

生ゴミ堆肥などに取り組む市民の方々も、
それぞれ熱意を持って真剣に取り組んでいるようで
普段夜遅くしか家に帰らず、あまり普通の市民生活を営んでいるとは
言い難い私としては、皆さんの熱意に敬服。

六ヶ所村ラプソディー

2006年08月26日 | STOP 六ヶ所
青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の周りで生きる人々を
描いたドキュメンタリー「六ヶ所村ラプソディー」を見た。

これまで、「開発のため」、「国策だから」という理由で、
多くの場所で、伝統的な生活や自然が破壊され、反対運動は
カネで押さえ込まれて来た。
三里塚水俣六ヶ所二風谷など。
白神山地辺野古も危機にさらされた。

一度開発の波ができ、政治や資本主義の渦に巻き込まれると、
あとで間違いに気づいても後戻りできない。
行政・政治家は、過去の決定を否定したくないし、
投下資本を回収したい企業は利益計画を達成することが
至上命題になるから。。。

この映画では、核燃に反対する農家、
仕事が無いから仕方ないと再処理工場で働く労働者、
工場稼動をビジネスチャンスと捉える地元業者など、
様々な立場が描かれている。

仕事が無い、カネにならないから仕方ないという理由で、
開発側に土地を売り渡したり、
原発の仕事を選ぶ地元の人たちを、
原発から生み出される電気を使いながら、
その危険性から遠い所に暮らしている我々は非難できない。

一方で、反対しない人も、
「できれば無い方がよいけど仕方ない」
という人が大多数であるし、今も少数ながら、
「今更反対してどうなる」という周りの声にも負けず、
「核燃に頼らない生活を」と頑張っている人達がいる。

後世に同じことを繰り返さないためにも、
開発の負の側面や、苦しみながらも信念を貫いている
人たちのことを広く伝え、おかしいと思うことには
今からでも「NO」ということが、
現代に生きて開発の恩恵を受けている私達の責任だと感じた。

農業の問題を農村に押し付け、
水の問題をダムのある山間地に押し付け、
基地や安保の問題を沖縄に押し付けてき我々は、
それらに無関心でいられないはず。

「今更私一人が反対しても仕方無い」
「不安だけど国の施策だから」、
と諦めてはいては、戦争や、水俣の二の舞だ。

無力感に負けず一人一人が反対の声を上げ、
連帯して行動を起こさないと、何も変わらない。

沖縄・久高島

2006年08月26日 | 沖縄の旅案内
神の島として名高い久高島を訪れた。

前回は秋の静かな時期。
今回は夏休みだが、島に留学に来ている子供(250人の島に子供が50人・・・ほとんど留学)
が里帰りしているとのことで、ひっそりとしている。

夕方島に着いたが、港から程近い、人気のないビーチに
ちょっと足をつけたらとても気持ち良く、結局16時半から海水浴。
港のすぐ近くなのに、とても透明度が高い。
砂浜から7、8m離れただけで、カラフルな熱帯魚と一緒に泳げる。
やっぱり夏の沖縄はこれがサイコー!

その後薄暗くなった島を散歩していると、
涼しくなってぼちぼち動き始めたオジイやオバアと何気なく世間話。
もらったグアバをかじりながら、
本島越しに沈む夕陽に照らされた空を眺めてのんびり。
ヒグラシの鳴き声は聞こえないが、夕暮れの海と空の間にある静かな夏の夕暮れ。

島に3軒しかない食堂で夕食を食べ、3~4軒しかない島の共同売店で
冷えたオリオンビールを買って買えると、涼んでいた民宿のオバアと
のんびりとお話。約30年前、水道・電気・電話が海中ケーブルで引かれるまでは、
この島はランプで夜を過ごし、水を汲みに毎日島の西側の井戸に行っていたとのこと。今は昔。。。

次の朝は、朝日を見に散歩。穀物が入った壷が流れ着き、そこから沖縄で農業が始まったといわれる海岸で厳かな日の出。その後、爽やかな朝の光の中で、島バナナとサーターアンダーギーで朝食。

民宿に戻って、オバアが「コーヒー出しましょうか」というので、「いただきます」というと、パンとゴーヤーサラダもつけてくれた。。。ご好意に甘えて2度目の朝食もおいしくいただく。

島をチャリで縦断し、昼前の船で戻る前に、もう一度港近くのビーチへ。
潮が引いていたこともあり、昨日熱帯魚と一緒に泳いだあたりまで岩礁を歩き、
海に飛び込むと、そこはもう水族館状態。。。

ひたすら夏を満喫し、オリオンビールが旨い久高島の夏だった。



沖縄南部・ビーチとカフェめぐり

2006年08月24日 | 沖縄の旅案内
久々に夏の沖縄。これはもうビーチに行くしかない。
早速南部の新原ビーチへ。

那覇から路線バスも出ているメジャーなビーチだが、
湘南みたいに立錐の余地も無いなどということは全く無く、
オジイに連れられた子供達が遊んだり、どこかのんびりしている。

ゆらゆらと温かい海水に揺られて水の中をのんびり観察。
浅瀬の海藻に光が揺らめくのが美しい。

海水浴を堪能したら、沖縄開闢の伝説が残る神の島・久高島を望む
高台のカフェ・海日和へ。
火照った体に、冷えたオリオンビールと吹き抜ける風が最高!

季節の野菜を中心とした料理も工夫されていて美味しく、
とても居心地がよい。

海を眺めながら、至福の午後のひと時。

全島エイサー祭り

2006年08月23日 | 沖縄の旅案内
コザの全島エイサー祭りに行った。

噂どおりの大混雑かと思って会場に着くと、
広い運動場にまばらな人影。
町の運動会のようなのどかな風景が広がり、
「間違えて違うイベントに来たのかな?」と思うほど。

15時のオープン当初はそんな感じだったが、
各地域ごとに踊りのスタイルや衣装もさまざま、
ちょっと退屈なものもあれば、
華麗な舞に夢中になって見とれるほどのものもあって、
時間が経つに連れて、盛り上がってくる。

16時には隣でオリオン・ビアフェストも開幕し、
夕方になって熱さが和らいでくるに従い、
段々と人が集まってくる。
やはり、沖縄の人は、暑い日差しの中では行動しないらしい。(笑)

数百人の観客と何十という屋台が集まっているが、
それでも、広大な会場には、のんびりと家族で
ビールを片手に応援するほほえましい光景が見られ、
東京の花火大会などに比べればなんと和やかなことか。

19時頃になるとナイター照明も灯り、
いつのまにか会場も人ごみで埋め尽くされる。
名高い地域の青年団が、一糸乱れぬ手さばきと、
勇壮な撥さばきで熱く舞う姿に、
何千人もの観客が食い入るように見つめる。

間近で見る迫力と会場の熱い雰囲気。
新宿エイサー祭りなんて比べ物にならない。

「いーやーさーさー」「はーいーや!」という掛け声と、
「唐船どーい」の曲に載って力を振り絞って勇壮に舞う光景が
いつまでも脳裏に残る、熱い夜だった。また行くぞー!

ゆきの小舎

2006年08月15日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
八幡平の秋田県側のひなびた温泉地の外れに、
自然農による自給的な暮らしをしながら営む民宿「ゆきの小舎」がある。

若い時に東京から田舎暮らしがしたくてこの地に移り住み、
小さな民宿を女手一つで創めたゆきさんと、
パートナーのいくおさんが、温かく旅人を迎えてくれる。

その日の宿泊者が私一人だったこともあり、
夕食をともにしながら丁寧に私の話に耳を傾けてくれる。
とても温かく接してくださるので、会って間もないのに、
まるで旧知の友人と話をするように、
環境問題から常日頃自分が考えている想いや将来の夢まで、
何でも話ができてしまう。

きっと多くの旅人が、このお二人の温かさに惹かれて、
繰り返しこの辺鄙な山の民宿を訪ねるのだろう。

もちろん、山小屋を開いてから、苦労はいろいろとあっただろう。
開発のために元の小屋を立ち退かされて今の場所に再建したり、
ようやく自然農が軌道に乗り、土ができてきた頃に、
自然災害復旧のためにトラックやブルドーザーが畑の土を踏み固めてしまったり。

何よりも、ゆきさんご自身は、重病を患った末、
自然の治癒力を最大限に引き出す東洋医学的療法で回復し、
以後自然農や玄米食を常としているらしい。

様々な苦労をともに乗り越えられてきたお二人だが、
「できる範囲で、いろいろとやってみるのが楽しいの」と
穏やかに語ってくださる。

二人で支えあい、出会った人の縁を大切にしながら、
自分達の道を少しづつ着実に歩んできたお二人。

とても微笑ましく、「こんなお二人のように暮らしたい」と思わせる、
心和む一夜であった。

星野道夫展「星のような物語」

2006年08月14日 | Slow Life
銀座・松屋で行われている星野道夫さんの写真展に行った。

見覚えのある動物達の優しい表情を捉えた写真、
一瞬の自然の表情を捉えた写真など、
どれもじっと見入ってしまうものばかり。

会場に詰め掛けた多くの人が、
遠くを見つめるような表情で写真の世界に引き込まれている。
自然を愛情に溢れた眼差しで捉えた、
彼の写真や言葉に惹かれる人が多いことが伺える。

今回改めて思ったのは、
星野道夫さんは、木、岩、風などの
万物に宿る自然のメッセージを敏感に受け止めることができ、
それを他の人にも伝えたいと思った人なんだ、ということ。

そのような自然のメッセージを敏感に受け止められたからこそ、
人間を含む自然の一瞬の表情を的確に捉え、
写真や言葉を通して伝えることができるのだろう。

そして、太古の昔から自然とその中に生きるものたちの中で
受け継がれてきたそのメッセージは、
自然から離れ、自然を脅かしている我々に何かを訴えている。

「・・・さまざまな人生の岐路に立ったとき、人の言葉ではなく、
 いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることが
 きっとあるような気がする」

そんな彼が、旅の途上で、彼自身愛してやまない熊に襲われ命を落してから10年。
これからも多くの人に心温まるメッセージを伝えていくだろう。

合掌。

白神山地とエコツーリズム

2006年08月11日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
白神で私達をガイドしてくれた方は、
小さい頃から森で暮らしを立てつつ、
森をくまなく歩き回り、そのような経験を活かして、
現在は環境省の世界遺産センターの仕事とガイドの仕事をしている。

自分達でガイドの認定を行い、自主ルールを決めて活動してきたその方は、
「昨日まで山で木を伐り、田で米を作って暮らしてきた村の人間に、
観光による町の振興やエコツーリズムとか言ったって
すぐに何かできる訳ではない。
かといって、田舎の体質上、外からの人間が来てあれこれ言っても
すぐには受け容れられない」と言っていた。

至極もっともだと思う。
環境省がエコツーリズムの旗を振り、モデル地区として選んだからといって、
エコツーリズムの概念を押し付けるべきではなく、
地元の人がこれまでやってきた自然との付き合い方を受け入れ、
それに基づく地域主体の観光のあり方を考えないといけない、と改めて気づいた。
各地域ごと、住人ごとに、それぞれの「エコツーリズム」があるはず。

白神でエコツーリズムを営む別の方はこう言っている。
「自然に寄り添って生きる喜びや自然を損なう悲しみを分かち合うことは、
人を森のように豊かにする、ということを白神から学んだ。
 自然につながる暮らしを取り戻したいという願う方同士が白神でつながる・・・
 どこで暮らしていても、そのつながりを感じながら・・・日々の暮らしの中で、
 それぞれが感じたことやできることを伝え合うことで、
 それぞれの夢が芽吹いていく。」

白神山地②

2006年08月10日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
いよいよ世界遺産地域を望む駒ケ岳登山。
集落から40~50分車で奥へ入り、整備された登山口から出発。

高層湿原の田苗代湿原では、尾瀬と似たような湿原の木道を歩き、気分が爽快。
ツキノワグマが草を掻き分けた跡も見られる。

山には、ブナやダケカンバなど明るい広葉樹が多いためにいろんな動植物が見られる。また、「この実は食べると美味い」「ダケカンバの皮はよく燃えるので焚き付けに使う」などといった、「これが自然のすごいところ」という視点で話してくれるガイドさんの解説を聞くのも興味が尽きない。

ゆっくり2時間ほど上って頂上へ。あいにく白神山地の核心地域は雲がかかって遠望できなかったが、雲霞のようなトンボの大集団が迎えてくれる。

下山後、美しい手付かずのブナ林が気軽に見られる岳岱自然観察教育林へ。
ここは、樹齢400年超のブナを筆頭に、自然の秩序で美しく維持されたブナ林や苔むした倒木など、ひっそりとした森の世界。白神のマザーツリーともいえる400年のブナは、樹勢は衰えているが、他を寄せ付けない独特の世界を感じさせる。

落ち葉の腐葉土で濾過された湧き水は、「白神山水」と銘打った市販の水より数段甘くて美味しい。ヒト、熊など多くの動物が好むブナの実をはじめ、ブナの恩恵を実感する瞬間である。

そんな白神も、温暖化の影響を受け、特にここ10年ほどは加速度的に環境変化が激しいらしく、湿原の乾燥が進んでいるとのこと。

また、一度人間の都合で木を皆伐してしまうと、次の世代の木々が大きくなる前に
笹がはびこってしまい、結果として幼木に日が当たらずに木が育たない。脆い自然に対していかに人為的な影響が破壊的かを如実に知ることができる。

次の日は、近くの場所でブナの苗木を植樹する準備としての下草刈り作業。ブナの素敵な世界に踏み入れさせてもらった分、森林整備のお手伝いを少しだけして、白神を後にした。

白神山地①

2006年08月09日 | エコ/グリーンツーリズム、地域づくり
JUON NETWORKS のイベントで待望の白神山地に行ってきた。
朝東京を出て、はるばる電車とバスを乗り継ぎ、夕方現地の白神ぶなっこ教室 の宿舎に入る。
ここは、廃校になって取り壊される町立小学校の校舎を有志で譲り受け、
自然体験プログラムを企画しており、今回そのお一人の斉藤さんがガイドをしてくださる。

ミズ(地元の山菜)の和え物、だまっこもち(ご飯を固めたもの)の汁、岩魚など、地元の食材が並んだ夕飯をいただきながら、スライドを交えて白神山地の解説を事前に伺う。

白神山地は、1982年に青秋林道を作る計画が持ち上がった際、地元で水が枯れたことから反対が強まり、結果としてブナの保水力や生態系の豊かさが見直され、工事は92年に中止となり、翌年に世界遺産に登録されたとの事。

当時、地元に仕事をもたらす国家的公共工事として計画された青秋林道に異を唱えたのは、秋田県側では一つの町だけだったらしく、その町は県の補助金が停められたり、たいへんだったらしい。世界遺産に登録された途端、他の自治体も「貴重な世界遺産を守ろう」と声を上げるのは、反対した自治体にとっては面白くないだろう。

また、ブナの保水力や豊かな生態系が見直されたり、無駄な林道工事に歯止めをかけようというのも、青秋林道の反対運動がきっかけとなったとのこと。このあたりはこれを機会に文献などを読んで深く調べてみたいと思う。

そのような背景の話を聞き、美しい四季の森林風景のスライドを見たり、厳しい自然を生き抜き、次の世代へ子孫を遺す動植物の仕組みを分かりやすく解説し、 「自然とは、ものすごい生き物達が集まっているところ」と愛着を込めて語る斉藤さんの話を聞くにつけ、白神山地を歩くことへの期待が高まる。