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【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

生野銀山

2025-04-29 | デジカメ紀行

生野銀山開坑は大同2年(807年)。天文11年(1542年)に本格的な採掘が始まりました。織田、豊臣、徳川それぞれの直轄事業として銀山開発が盛んに行われ、江戸時代には、最高位の銀山に対する名称「御所務山」が与えられ、これを祝して山車を引き回しました。山神祭の伝統行事として行われていた「御見石」引きは、これにちなんだものでした。
明治元年(1868年)には、貨幣制度の改革にともなう材料確保の必要から、政府直轄となり、朝倉盛明やフランス人技術者セアン・フランソワ・コワニエらによって、フランス式レンガ積建物や鉱山関連物資の輸送用道路「生野銀山寮馬車道」(生野―飾磨間)が建設され、鉱山を近代化・機械化しました。明治22年(1889年)から宮内省に所属。御料局生野支所と名称が変更されました。明治29年(1896年)、政府から三菱合資会社に払い下げられ、はじめて民間事業として操業します。

昭和48年(1973年)に閉山。

旧坑道を利用した坑内展示施設や資料館生野鉱物館(生野銀山文化ミュージアム)などが建てられています。

4月17日訪れました。

 

 

門の手前に

 

 

 

 

=門柱=

 

   

 

=代官所門=

 

 

=ヒカゲツツジ=

 

 

 

関東以西の本州、四国及び九州に分布する日本固有のツツジ。低山の山間にある岩場や水辺に自生し、数あるツツジ類の中でも唯一黄色い花を咲かせます。

開花は4~5月。花は直径3~5センチほどで淡い黄色。日陰では蛍光色のようにも見え、自生地では水辺の景を照らすことから「サワテラシ」との別名を持つ。花冠は五つに裂け、雄しべは10本あり、花糸には柔らかな毛が密生する。 

 

桜も見頃です。

 

   

 

 

「生野銀山」駐車場入口手前に保存展示されてる「明神電車(一円電車)」

「明神電車」は、「明延鉱山」の鉱石を「神子畑選鉱所」へ運ぶためにつくられた鉱山列車。

全長約6キロメートルのほとんどがトンネル区間で、鉱石運搬の他に人員輸送もされ、運賃は1円(当初は無料)で運行されていたので、「一円電車」と呼ばれていたそうです。

 

こんな花達も・・・

 

 

 

 

=「一獲千金」的=

 

 

 

=山神宮分社=

 

観光坑道へ向かいます。

 

 

テレビ番組、若一調査隊のロケ。

 

=鉱山資料館=

江戸時代の銀山の様子を詳細に描いた絵巻物、坑内模型などの資料を展示しています。

 

 

未公開坑道まで含めると、総延長350Km、地下880mの深さまで達しています。これは、東海道新幹線新大阪駅から静岡駅近くまでの距離に匹敵します。年間通じ13度。

採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいます。

 

=金香瀬坑(かながせこう)の入り口=

 

「案内図」

 

 

旧坑道は、作業者ひとりがやっと通れるほどのもので、ノミ跡も生々しい掘り跡を紹介し、江戸時代の坑内作業を電動人形で再現しています。

 

=江戸時代の堀穴=

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

=熟成庫=

 

 

 

 

ボタンを押すと発破の音が再現されます。

 

 

 

   

 

  

 

=太閤水=

豊臣秀吉が坑内に入ったとき、この水で、茶を点てて飲んだと言われています。

 

 

=坑内作業者がその命を託し地中深く降りていったエレベーター立坑=

 

=巨大な捲揚ドラムのある捲揚室=

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

=坑道の出口になっている滝間歩坑(たきまぶこう)=

 

 

 

 

坑道外コースは、 坑道入り口の左横にある石段を登っていきます。

 

途中に・・・

 

「南無阿弥陀佛」とか佛像が彫られているとか・・・。

 

=滝不動=

 

この滝を見守る社。鉱山の作業の安全と、繁栄を祈ったようです。

 

門が見えてきました。

 

=生野代官金香瀬番所=

この先は生野銀山の初期にあたり、江戸時代に大きな鉱脈が見つかった場所だそう。

 

説明文は公式サイト、パンフレットより


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2025年桜🌸

2025-04-18 | 花だより

2025年3月~4月に訪れました

京都植物園「3月31日」

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

 

京都植物園「4月10日」

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

半木の道(なからぎのみち)「4月10日」

「半木の道」は、京都府立植物園西側の賀茂川東側堤防の散歩道。約0.8キロにわたり、ヤエベニシダレザクラが「桜のトンネル」のように咲きます。

 

 

 

 

 

 

前川堤「4月10日」

京都久御山東一口(ひがしいもあらい)にある、前川堤の両岸に約300本を数える桜が植えられています。

平成7年に「京都の自然200選」(歴史的自然環境部門)に選定。
桜並木は、優れた自然環境を保全しようと、地元の前川桜並木愛護会によって手入れされています。

 

 

 

 

 

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)「4月11日」

今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都、藤原京(694~710)の中心にあった宮殿・藤原宮のあったところです。
南北中央に朱雀大路を配し、南北の大路と東西の大路を碁盤の目のように組み合わせて左右対称とする「条坊制」を、日本で初めて採用した唐風都城です。
持統・文武・元明天皇の3代にわたり16年間続きました。 昭和27年には平城宮跡とともに歴史・学術的に価値のある遺跡として「特別史跡」に、昭和43年9月には「歴史的風土特別保存地区」に指定されています。

菜の花と桜の共演が見られました。

 

 

 

 

 

 

 

京都府緑化センター「4月14日」

福知山市夜久野町にあるセンターの敷地内には73品種、132本の桜があり、府内の森林や林業に関する試験及び研究課題に取り組み、その成果を普及指導担当が連携して普及に努められています。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

   

 

  

 

      

 

説明文は公式サイトより


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馬見丘陵公園チューリップ

2025-04-13 | 花だより

馬見丘陵公園

馬見丘陵は、香芝市・広陵町・河合町など23町に跨る標高70m程度の東西約3km、南北約7kmに及ぶ低い丘陵地で、この丘陵は馬見古墳群のエリアと一致し、古墳の集積地となっています。

昭和40年代後半より丘陵西部では真美ヶ丘や西大和ニュータウンなどの大規模宅地開発が始まりましたが、丘陵東部に位置する馬見丘陵公園は、これらの開発から自然や古墳群を保全するため、「歴史と自然に囲まれた憩いの空間」を目指して、昭和598月に都市公園(広域公園)として都市計画決定し、同年度より公園事業に着手しました。

 

 

広陵町と河合町にまたがる県営馬見丘陵公園ではおよそ100品種、35万株ほどの色とりどりのチューリップが植えられていて広い公園のあちらこちらで楽しむことが出来ます。

 

 

4月12日訪れました。

チューリップ、ネモフィラ、パンジー、キンセンカ等が植えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜との共演も見られますが、桜は残念ながら・・・。

時折の桜吹雪の中のチューリップも素敵です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明文は公式サイトより

 


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四月カレンダー

2025-04-07 | 絵手紙

新年度のスタートでもある4月。そんな4月の馴染み深い和風月名は「卯月」。

「卯月」の語源には、いくつかの説があります。

卯の花が咲く月という意味の“卯の花月”が縮まったという説。
この月に稲の種を植えることから“植え月”となり、これが略されたという説。

卯月の“う”は、“初(うい)”や“産(うぶ)”などにつながる音だという説もあるそうです。

 

=4月の異称=

「卯の花月」(うのはなづき)

「卯の花」は「空木(うつぎ)」の異名です。5~6月頃に、真っ白な小さい花を枝いっぱいに咲かせます。
古くから、初夏の代表的な花として、和歌にも数多く詠まれてきました。
旧暦では4月から夏。昔の人は、空木が咲くことで、夏の到来を知ったようです。

「夏初月」(なつはづき)

「夏初月」は、文字通り、夏の初めの月という意味で、「夏端月」とも書きます。
「孟」は初めという意味があるので、「孟夏(もうか)」。

「初夏」「新夏(しんか)」「早夏(そうか)」「首夏(しゅか)」も、4月の異称です。

「鳥待月」(とりまちづき)

旧暦4月頃、日本に渡ってくる鳥の代表は、「時鳥(ほととぎす)」。
万葉集をはじめ、最も多く和歌に詠まれた鳥で、当時の人々は時鳥の初音(はつね)を心待ちにしていました。
「鳥待月」の「鳥」も、時鳥をさしているのでしょう。
渡ってきた当初は、まだ声をひそめた鳴き方で「忍び音(ね)」とも呼ばれます。

「麦秋」(ばくしゅう)

「秋」という言葉や漢字には、実りや、収穫時期という意味もあります。
麦が小麦色に熟して刈り入れ時を迎えるのは、初夏。そこから、この時期を「麦秋」「麦の秋」などと呼びました。
旧暦の時代はちょうど4月に重なるので、4月の異称としても使われた言葉です。

「乏月」(ぼうげつ)

「乏月」の「乏」は、欠乏の乏です。この時期、穀物が底をつき、食料がとぼしくなることから、「乏月」とも呼ばれました。江戸時代の文献に出てくる異称です。

 

「木の葉採月」(このはとりづき)

養蚕がさかんだった昔、各地に桑畑がありました。桑の葉の新芽が出る頃、蚕が孵化します。
蚕のえさは、桑の葉。その桑の葉を採る月が、旧暦4月頃だったのです。そこから、「木の葉採月」という異名もつきました。
食欲旺盛な蚕に食べさせるため、大変忙しい日が続いたそうです。

説明文はウェザーニュースより

 

四月カレンダー

 


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