【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

京都府立植物園、ヒオウギ、スエコザサ

2023-08-02 | 花だより
京都府立植物園は、京都市街北部の平坦地に位置し、東は比叡山、東山連峰を望み、西に加茂の清流、北は北山の峰々を背景とした景勝の地にあります。
大正6年(1917)に着工し、同13年(1924)1月1日に「大典記念京都植物園」として開園しました。
第2次大戦中は園内に菜園が設けられ食糧増産の場になり、戦後は、昭和21年(1946)から12年間連合軍に接収され、多くの樹木が伐採されるなど苦難の時代が続きましたが、昭和36年(1961)4月、憩いの場、教養の場としてその姿を一新し、再び公開しました。

祇園祭巡行前日の7月16日訪れました。

「ヒオウギ(檜扇、日扇)」



アヤメ科の多年草植物。大きな葉が重なり合い、長く扇状に広がり檜扇に似ていることに由来しています。
中国・朝鮮半島や本州中部以西・四国・九州などの山野・海岸などに自生。午前中に咲き、夕方にしぼむ一日花です。

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来(やくしにょらい)の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。

「祭花(まつりばな)」として、植物のヒオウギを屋敷の床の間や玄関などに活けたり、家の軒先などに飾ったりする習慣があります。祇園祭の宵山期間中などに家宝の屏風などと一緒に活けられたりします。ヒオウギは古くから厄除けの植物とされ、祇園祭に欠かせないものとされてきました。檜(ヒノキ)の薄板でできた檜扇は平安時代前期の807年(大同2年)の歴史書「古語拾遺」の中で、厄災が村を襲った際、檜の薄板でできた檜扇で扇ぐとたちまち村が元通りに戻ったという話が記されています。
田畑でイナゴが発生した際、「烏扇(からすおうぎ・檜扇)を以(も)ちて之を扇(あお)ぐべし」と記されています。

秋に熟すと裂け、種子は約4ミリで、黒く艶があり、射干玉(ぬばたま・ぬぼたま・むばたま)とも言われています。

ぬばたまの夜のふけゆけば 久木生ふる清き川原に 千鳥しば鳴く
(夜が更けるにつれて、久木が生える清らかな河原で千鳥がしきりに鳴いているよ)
万葉集 巻6 925番歌(作者・山部赤人)


この「ぬばたま」をイメージして作られた、京都市の和菓子店「亀屋良長」の「烏羽玉」。1803年創業以来作り続けられているそうで、京都人には馴染みの深い和菓子です。


=竹笹園へ=





「スエコザサ」

アズマザサの変種で、宮城県と岩手県南部に自生。日本の植物学の父といわれる牧野富太郎博士が昭和2年に宮城県仙台市で発見し、亡き夫人の名にちなんで名付けたことで知られています。
スエコザサの葉は長さ10センチ程度の長楕円形。表面に白くて長い毛が並び、葉の縦半分が裏側に反り返って皺になっています。
触ってみると、笹のイメージと違って柔らかいです。

NHK連続テレビ小説『らんまん』。主人公のモデルとなった植物学者、牧野富太郎博士は約1500以上の植物を発見し、学名を付けるなど「日本の植物学の父」と言われています。
博士の研究生活を長年支えた妻・壽衛(すえ)さんへの感謝の気持ちを込めて「スエコザサ」と名付けました。

東京都台東区谷中の天王寺にある牧野夫人の墓碑には、牧野博士自作の句が刻まれているそうです。
「家守りし 妻の恵みや 我が学び 世の中の あらん限りや すゑ子笹」



園内で出会った花達。

「梅花藻(バイカモ)」
  

キンポウゲ科の淡水植物。
梅の花に似た、白い小さい花を5月中旬~9月下旬まで咲かせ、7月下旬~8月下旬にかけて見頃を迎えます。
この水草は、水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育場所が限られています。
滋賀県醒井宿の清流、地蔵川が有名。



  

  


  


  


  

    
  
  




カリンの木にフウラン。




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