賀名生(あのう)
奈良県五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都となった地域の一つです。
賀名生梅林は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る県下有数の梅林として知られています。2月下旬から3月下旬、雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが、山々を伝うように漂ってきます。
700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、既にこの地の梅が香り高く咲き誇っていたようです。
明治10年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正12年東宮殿下の御成婚を記念して5千本の苗が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。
3月11日訪れました。
JR五条駅から、バスで賀名生和田北口へ。
途中に無人販売所があり、梅干し、梅シロップ、干し柿、蕗の薹等の農産物も買うことができ、景色を眺めながら、休憩も出来ます。
奈良県五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都となった地域の一つです。
賀名生梅林は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る県下有数の梅林として知られています。2月下旬から3月下旬、雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが、山々を伝うように漂ってきます。
700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、既にこの地の梅が香り高く咲き誇っていたようです。
明治10年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正12年東宮殿下の御成婚を記念して5千本の苗が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。
3月11日訪れました。
JR五条駅から、バスで賀名生和田北口へ。
案内図
案内図をもとに散策します。
案内図をもとに散策します。
一目万本付近
見返り千本付近
東雲千本付近
奥の千本付近
手前は、柿の木でしょうか・・・。
口の千本辺り
東雲千本付近
奥の千本付近
手前は、柿の木でしょうか・・・。
口の千本辺り
途中に無人販売所があり、梅干し、梅シロップ、干し柿、蕗の薹等の農産物も買うことができ、景色を眺めながら、休憩も出来ます。
説明文は公式サイトを参考にしました。