【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

四天王寺、聖徳太子千四百年ご遠忌

2016-05-07 | デジカメ紀行
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
総面積3万3千坪(約11万㎡)甲子園球場の三倍。

南大門




南大門から中門(仁王門)を

中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士(仁王像)をまつっていることから
「仁王門」 と呼ばれています。

金剛力士像
(吽形)密迹金剛力士 (阿形)那羅延金剛力士
 
大仏師松久朋琳・宗琳両師の作です。


伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。
明治以後の四天王寺は、明治維新の神仏分離令により、それまで四天王寺に所属していた神社が離されましたが、人々からは庶民信仰の寺、お太子さまの寺として深い信仰を受け、諸行事は従来どおり行われました。

後方(幕が掛かっている)のは工事中の五重塔です。
五重塔の前にまわると、上を見上げてくださいと・・・。

相輪
 

聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を
「六道利救の塔」といいます。
塔の入口は南北にあり、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像を
お祀りしています。
全長12.3メートル。五重塔全体の1/3もあるそうです。


聖徳太子の千四百年ご遠忌(おんき)!
命日の〇〇回忌と同じ意味で、仏教の宗派で、開祖や中興の祖といった偉い祖師様の年忌法要の場合に使用されます。
本山寺院では大きな行事を催したり、建物の修繕を行います。

中心伽藍回廊


左に折れると・・・。

金堂

聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。基壇下の青竜池より、白石玉出の清水が湧いており、この水を亀井堂に引いていると云われます。

後方は、講堂です。
経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしています。
現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められています。


太子会(於 境内一円)
聖徳太子の月命日22日も 「太子会(たいしえ)」 としての縁日がありました。

聖徳太子絵伝 特別御開扉(於 絵堂)
絵堂内には7面で構成する「聖徳太子絵伝」(杉本健吉氏作)を奉納。
特別御開扉は2022年に迎える年忌法要「聖徳太子御聖忌(ごせいき)1400年」に向けた取り組みの一環です。

特別開扉の絵堂へ。
こちらの門から入ります。

聖霊院虎の門




「虎の門」のトラは悪いものが入ってこないように番をしており、「猫の門」のネコは聖霊院にある経堂のお経がネズミにかじられないように見張り番をしているのだそうです。

見えてきたのは、前が太子殿前殿。後方に奥殿。


太子殿




聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)。正式には「聖霊院(しょうりょういん)」といいます。太子信仰の中心となっています。
前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王祀られています。

お堂の前を通り先へ進みます。





奥殿

奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が
祀られています。
奥殿基壇内(地下)には、永代奉安された太子観音像「極楽・水子・施薬・知恵・厄除・子育の六観音」が安置されています。

聖徳太子像と馬

後ろから失礼します。

こちら建物正面。

砂ずりの柳が綺麗です。

絵堂

杉本健吉画伯により「聖徳太子御絵伝障壁画」が奉納され、昭和58年に完成しました。絵堂は、 聖徳太子の一生の事蹟が描かれた絵伝を
礼拝の対象として安置する建物で、
絵伝は主として太子の奇跡的な伝説を中心に制作されたものです。
昔の人は絵解(絵の解説を物語風に節をつけて語る)を聞いて
聖徳太子の生涯を知ったと言われます。


聖徳太子を多くの方に知っていただく為のプロジェクト!
絵堂の特別ご開扉 ~ 飛鳥から未来へ ~を開催
「僧侶による絵解き」


イメージです(パンフレットより)


説明は、たとえば・・・。

聖徳太子4歳の頃「自ら父の笞を受ける」

皇子たちが喧嘩して騒いでいると、太子の父君が静かにさせようと笞を持って部屋にやってくるという話があります。
太子の兄弟たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出しましたが太子は
一人座って、自らお叱りを受けることを申し出ます。

聖徳太子41歳の頃「伎楽の伝来」

百済国から楽人らがやってきて、伎楽を日本に伝えました。
ここでは太子はお仕えの秦川勝の子供や孫たちを集めて、
踊りを習わせたりしているシーンです。

等、60分ぐらいの絵解きでした。

記念に頂いたポストカードです。

「11才 諸童子と遊戯す」


「木造南無仏太子立像」(南北朝時代の太子二歳像です)


聖徳太子の世界に浸った後、絵堂を出て聖霊院の塀に沿って行くと、ありました。
猫の門




続いて舞楽大法要へ

聖霊会舞楽大法要(於 六時堂 石舞台)
四隅に「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」が飾られ、法要と舞楽を一緒に行う「聖霊会」。
聖霊会は、聖徳太子の命日、旧暦の2月22日に聖徳太子の御霊をなぐさめるために行われる舞楽大法要です。
「おしょうらい」と呼ばれ、古来千年の伝統と格式を誇り、浪速の古典芸能を今に伝える貴重な行事です。
明治以降は、毎年4月22日の午後半日の間、境内六時堂とその前の亀の池上の石舞台(重要文化財)を中心として、厳粛な法要と華麗な舞楽の渾然一体となった一大絵巻が繰り広げられます。
この大法要は舞楽四箇法要といい、舞台上で舞楽が交互に行われます。
昭和52年、国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。

六時礼讃堂

境内中央に位置する雄大なお堂で、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。薬師如来・四天王等をお祀り、
回向(供養)、納骨等を行う中心道場です。重要文化財 。

胡蝶(こちょう)の舞
舞楽の大半は古代大陸から伝来したものですが、平安時代から、
我が国でも何曲か作曲されたなかの一曲。
延喜6年、宇多上皇が童相撲をご覧になった時に作られたという、童舞。









舞楽演奏






衆僧による法要








地九(ちきゅう)
高麗双調曲(こまそうじょうきょく)。
面を付けた4人の舞人によって舞われます。
昭和15年の五重寶塔落慶大法要に舞われて以降廃絶していましたが、今回の聖霊会で75年ぶりに復曲再演されました。









亀の池

天王寺の亀?。


境内をまわります。

大黒堂

本尊は一体の像に大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ
「三面大黒天」です。
この仏様は、子孫繁栄・福徳智慧・商売繁盛などにご利益があるとされ、昔から庶民の信仰が盛んでした。

地蔵山

釈尊入滅より弥勒仏出現に至る無仏の世(56億7000万年前の間)に、神力・慈悲・智慧・弁才の力を以って人々を救済するといわれる
地蔵菩薩をお祀りしています。
当堂は明治時代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まり。
本尊「立江地蔵尊」は古来眼病に霊験ありとあつく信仰されています。

英霊堂

明治39年に建立されたときには大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きい大梵鐘が釣られていました。鐘は第二次大戦で供出され、その縁により戦没英霊を奉祀する英霊堂と改名され現在に至ります。
世界の平和を祈り、戦争や災害犠牲者供養の為の法要が行われます。

太鼓楼

北鐘堂と相対峙して、伽藍の両耳をなしています。刻を知らせる太鼓を鳴らすお堂でしたが、再建の際に新たに北鐘堂と同じ黄鐘調の鐘を設け、大晦日には、除夜の鐘・招福の鐘が撞かれます。
本尊は虚空蔵菩薩。

北鐘堂

正式には、黄鐘楼(おうしょうろう)といいます。
北の引導鐘・鐘つき堂とも呼ばれます。
このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、
先祖供養のための鐘の音が絶ないそうです。

南鐘堂(鯨鐘堂)



きれい!。

番匠堂

聖徳太子は、百済より番匠と称される数多の名工を招請され、
高度な建築技術を導入されました。
このご事蹟をお慕いし、大工・建築技術の向上、工事の無事安全を願う建築に携わる人たちの間でお祀りされるようになりました。
曲尺を手に持った曲尺太子が祀られています。

石碑

鋸・錐・鉋など大工道具をデザインした文字で彫られています。

普賢菩薩




梶の葉



四天王寺所蔵の国宝・扇面法華経冊子の中に梶の葉を描いた場面があり、梶の葉に和歌を書いた平安時代の七夕の習慣を
描いているそうです。
梶は当時の紙の原料でもあったようです。

さくらんぼができていました。


説明は、四天王寺公式ホームページ、パンフレットを参考にしました。
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