【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

京の冬の旅~阿弥陀寺・妙顕寺・報恩時~

2014-02-08 | デジカメ紀行

京の冬の旅
非公開文化財特別公開 ~秘められた京の美をたずねて~


普段は見学できない庭園、建築、襖絵、仏像・・・が、期間限定(1月10日~3月18日)で特別公開されます。
まずは、1月23日、阿弥陀寺、妙顕寺、報恩寺の三ケ寺へ行ってきました。

京阪電車出町柳駅から歩くことに。
河合橋、出町橋と渡り、寺町へ向かいます。

写真は さぎ、トンビ、

トンビ ほんとうに「ピーヒョロロ・・・」って鳴くんですね。上空を旋回していました。
チョット一休み?。

鳥達 鳥、鳥、鳥・・・。写真小さいですが、綺麗に並んでいます。

鳥達 出町橋からです。

阿弥陀寺(あみだじ)は、京都市上京区にある浄土宗の寺院です。山号は蓮台山。院号は総見院。
本尊は阿弥陀如来。
「花曼荼羅に彩られた織田信長の眠る寺」
織田信長や正親天皇(おおぎまち)の帰依を受けた清玉上人(せいぎょく)の開山で、織田信長公本廟所。
本能寺の変の際、上人は本能寺に駆け付け信長の遺骸を寺に運び、本能寺・二条城で討死した織田家中百余名と共に供養・埋葬されたそう。
織田信長(天徳院)・信忠(景徳院)父子墓と、森成利(蘭丸)等の墓があります。
本堂天井は、上田幸子氏筆「彩華来迎花浄土の図」です。

三門 

門の前に「織田信長公本廟」の碑があります。

本堂   

本尊の阿弥陀如来の傍に織田信長、信忠父子の木像が安置されています。

庫裏


境内


鐘楼


芭蕉翁歌碑

「春立つや 新年古き 米五升」

南天

おたふく南天

鎮守社


阿弥陀堂を後にし、上京区寺之内にある「妙顕寺」へ。
日蓮宗、勅願寺、大本山。
境内は約一万坪、堂宇だけでも六千坪あり、周囲に塔頭が九ヶ寺あります。
「尾形光琳ゆかりの寺 三つの庭園美」

妙顕寺説明


梵鐘&ソメイヨシノ

梵鐘は京都府指定有形文化財。
ソメイヨシノは「区民の誇りの木」だそうです。

三門


三菩薩堂

宗祖、朗師、像師が奉られているそうです。

鬼子母神堂(尊神堂)

鬼子母神が奉られています。
鬼子母神とは安産や子供の守護神、さらには最悪を除き福をもたらす神として、あがめられています。
また天皇自ら参拝されたお堂でもあり、天拝鬼子母神堂とも言われているそうです。

大玄関&庫裏

こちらから中へ・・・。

大本堂

信徒の家紋をあしらった総けやき造りの天井が見られます。

三っの異なる庭を見ることが出来ます。
・光琳曲水の庭

書院の前、信徒であった尾形光琳の屏風絵を元に作られたと言う「光琳曲水の庭」です。
樹齢400年の赤松、梅、白砂、コケ等が見られます。

・坪庭

五角形の庭、苔地に孟宗竹です。
 
・龍華飛翔の庭

客殿前にある枯山水の庭です。
貴人を迎える勅使門に面した「四海唱導の庭」。
白砂、カエデ、サクラ等が植えられています。

イブキ&灯篭&本堂

灯篭は「妙顕寺型灯篭」と言うそうです。
イブキは「区民の誇りの木」。

椿


妙顕寺を後にして、同じく寺之内にある、すぐ近くの報恩寺へ。
浄土宗、堯天山(ぎょうてんざん) 佛牙院(ぶつがいん) 鳴虎(なきとら)報恩寺。

「鳴虎」を伝える黒田長政ゆかりの寺。
戦国武将・黒田長政の宿舎となった報恩寺。
客殿には、快慶作と伝わる御本尊・阿弥陀三尊像や、大河ドラマの主人公・黒田官兵衛と息子の長政の位牌が安置されています。
長政が息を引き取ったといわれる「最期の部屋」、豊臣秀吉ゆかりの「鳴虎図」(複製)、秀吉と織田信長の肖像画などを見ることができます。
「鳴虎図」とは
中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描く猛虎の絵を、豊臣秀吉の望みで、聚楽第の床へ飾ったところ、夜中に虎の鳴き声が聞こえ、秀吉は一晩中安眠できず、すぐに寺へ戻されたことから鳴虎として有名になりました。
虎が谷川の水を飲んでいる後ろに松が描かれ、二羽のカササギがとまっています。中国の山岳地帯のようです。
毛が一本一本細かく描かれていて立体的に見え、左からと、右から見るのと違った姿(長さが違って)に見えます。

本堂と庫裏は1788年(天明8年)の天明の大火で類焼し、それ以後再建されていないそうです。

三門&橋

門前の石橋には慶長7年(1602)架橋の刻銘があり、今は埋められた小川(こがわ)の名残をとどめています。
橋は重要文化財。
 
報恩寺


庭園1,2,3





白砂、枯山水庭園です。

境内1,2

竹細工が置かれていたりちょっとした演出が・・・。


ユズリハ(楪、交譲木または譲葉)ユズリハ科

梵鐘

重要文化財。高さ123.5センチ、口径73センチ、素文の銅鐘です。
「撞かずの鐘」と言われています。

京都新聞、ふるさと昔語りによると (記事の一部を紹介します)
織屋の町、西陣の一角に浄土宗の報恩寺がある。昔、つらい奉公や夜なべの仕事に励んだ織女(おへこ)たちは、報恩寺の朝夕の鐘で、仕事の始めや終わりの時間を知った。今は、除夜以外は突かれることのない「つかずの鐘」から、悲しい音色と逸話が響いてくる。江戸時代、寺の近くに古い織屋があった。店には十五歳の丁稚(でっち)と十三歳の織女が働いていたが、二人はなぜか仲が悪く、顔を合わすとけんかするなどいがみあっていた。ある時、二人は報恩寺の夕方の鐘の数をめぐって口論になった。織女は「九つ」、丁稚は「八つ」と主張する。そして間違った方が何でもすると約束した。
年上で悪知恵のはたらく丁稚がこっそり店を抜けて寺男に問うと、正解は織女のいうように「九つ」。そこで丁稚は「今日だけは数を八つにしてほしい」と頼み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けた。
その日の夕方、鐘の数を数えていたところ、九つ目が鳴らない。丁稚から、さんざん悪口を浴びせられた織女は悔しさのあまり、鐘楼に帯をかけ首をつってしまう。以来、恨めしげな表情の織女の霊が現れるようになり、以来、寺も鐘を撞くのをやめ、代々「つかずの鐘」として伝わってきたという。

足利執権、畠山持国が陣鐘に用いた鐘で、全面に梵字の銘が刻印されている銘鐘で、平安時代後期の作。
今は除夜のみ、一般の人でも「108」までなら先着順で撞く事ができるそうです。

稲荷大明神

正一位 いなり大明神が祀られています。

お茶室、お茶



近くの「俵屋吉富、京菓子資料館」で休憩、ホット一息です。

この時期は花が少なく、さみしいです。春への準備中ですね。

「京都冬の旅」、お寺へ行く時、厚手の靴下は必須アイテムです。
冬ならではの景色もいいもんですが、とにかく「さ・む・い」(笑)。

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