友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「放課後子ども教室」

2019年09月19日 17時28分03秒 | Weblog

 間近に迫った運動会に向けて、鼓笛隊が行進練習を繰り返している。小太鼓の軽快なリズムにトランペットがついていけないのか、最後の方で音が狂うようだ。「はい、もう一度!」と先生の声が次第に大きくなる。演ずる方も大変だが、指導する方もつらい。完璧でなくても適当でいいじゃーないかと思ってしまうようでは教師失格かと自身を失笑する。

 働かなければ生活が維持できないから、共働きの家庭は多くなった。女性の活躍する社会とか、働き方改革とか、働くことで自己実現をとか、いろいろ言われるが、働くことが生き甲斐になっている人はどのくらいいるのだろう。なんとなく働き、なんとなく生きている、そんな人が多いのではないだろうか。

 市では、働く両親を支援する学童クラブを各小学校毎に設けている。それとは別に、「放課後子ども教室」も開設している。こちらは3年生から6年生まで、学校の教室を利用して行っている。共働き家庭に限定せずに受け入れているのは、子どもたちが置かれている環境が決して安全とは言えないし、家庭で勉強出来る環境に無い子もいるためだ。

 そんな子どもたちのために、宿題や勉強などを大人と一緒にやるのが「放課後子ども教室」のようだ。どこからどう伝わったのか、「放課後子ども教室のボランティアをやってくれないか」と言って来た。75歳、もう社会にかかわることはないと思っていたのに、困ったものだ。ハロウィンの手伝いはするつもりでいたが、責任が伴うボランティアを続けることは出来るだろうか。

 高齢になって、ほとんど何も役立つことが無い身だから、頼まれた時くらいは応えるべきだとは思うもうすぐ5時半、「放課後子ども教室」が終了する時間だ。鼓笛隊の練習はすでに終わっていた。

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森田知事の対応の遅れに吠える

2019年09月18日 18時12分34秒 | Weblog

 姉を見舞いに行く道すがら、義弟は時事問題を取り上げては義憤をぶちまける。今日の話題は15号台風で大きな被害が出た千葉県の森田知事の対応についてだった。「全く、東電に責任を押し付けるだけで、何やっているのか。次期の知事選で落選間違いなしですよ」と捲くし立てる。確かに台風の後、大変な被害が分かってきたのに、森田知事はテレビに出ていなかった。

 電気が止まり、ケイタイもつながらない。そうした状態では被害状況の把握は難しかったのかも知れない。それでも、非常時に備えてバッテリ-や無線などはあったはずだ。いや、どこの自治体でも非常時のマニァアルは作られていて、災害対策本部の設置や指示網などを決めている。余りの被害の大きさに仰天してしまい、機能が果たせなかったというなら、それは大問題である。

 「知事は指示系統のトップに立つ人なのに、全く他人事のようなことを言っている。あれではアカン」と怒る。「寝ぼけた顔で視察地に現れ、『県の体制を整えてから来た』と言ってたが、いい訳でしか過ぎない。責任者としての自覚に欠けている」と。フジテレビの『バイキング』でも坂上忍さんが知事の対応を非難していたが、義弟もきっと「そうだ!」と、声を挙げていたことだろう。

 義弟は、「テレビが韓国のことを取り上げ過ぎている」とも言っていた。彼の話しぶりから、テレビをよく見ていることが分かる。新聞と違って、テレビの影響力はずいぶん大きいし、何度も何度もそれぞれのチャンネルで繰り返し報じられれば、「その通り!」と思えてくる。テレビを通して知識が広がるのはいいが、偏っていくこともあるような気がする。

 16日は快晴だったのに、午後からはどんどん風が強くなって、西陽を避けるために設置してあるスクリーンが大きく揺れていた。たたんでおけば風の被害はないが、それでは陽が差し込んで暑い。そのうち風も弱まるだろうなどと思っていたら、スクリーンがバタッと倒れてしまった。判断の甘さが出た。昨日の朝、元に戻すのを諦め、撤去した。その時、詐欺グループから電話が入った。

  

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詐欺グループからの電話

2019年09月17日 18時38分22秒 | Weblog

 とうとう我が家にも電話がかかってきた。「警察署の生活安全課の長友ですが」と断って、私の名前と住所を確認する。「詐欺グループを捕らえたところ、あなたの個人情報が集められていたので、確認のために電話しています」と要件を告げる。「8割の人が銀行などのカードから引き出されています。お持ちのカードはどこの銀行ですか?」と、いくつかの銀行名を挙げる。

 我が家の電話機はかかってきた相手を表示するので、「非通知」と出れば受話器は取らない。警察署だというのに、「表示圏外」と出ていたのでそれを問うと、「特殊なケイタイからかけています」と答える。さらに、「詐欺被害を無くすため、財務省と提携して捜査しています」と前置きして、「カードを調ベている」と言う。

 「あなたのカードからお金が引き出されているかも知れない」と警察官や銀行員を名乗り、カードを受け取りに来る詐欺グループのことをニュースでやっていたが、なるほどこういう手口で来るのかと思った。「ご忠告、ありがとうございます。一度調べておきます」と言って電話を切ったが、相手は「奥さんのカードも調べた方がいいですよ」と言い、「カードを勝手に使われないように、こちらで引き出し出来ないようにしておきます」とまで言う。

 他人のカードを警察が止める?そんなことが出来るの?ますます怪しい。後日、警察官か銀行員を名乗って我が家にやって来るつもりなのだろう。電話の後、念のためにと思い、警察署に問い合わせてみた。「生活安全課に長友さんは見えますか?」と聞くと、「いない」と答える。「この管内で、そうした電話が多数かかっているので注意するように」と言う。

 帰って来たカミさんに詐欺グループから電話があったこと、そして近いうちに警察官か銀行員を名乗る人物が来るかも知れないが、「絶対に玄関ドアを開けないように」と伝える。声だけ聞くと、警察官のように不愛想ではなく、いかにも事件が起きている感じだった。もっと丁寧な口調の銀行員が来れば、信じてしまうかも知れない。

 「敬老の日」の次は、詐欺グループの登場なのか。全く油断のならない日本になったものだ。

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「敬老の日」がやってきた

2019年09月16日 17時23分37秒 | Weblog

 青く澄み切った空だった。ところが午後からは北西の風が強くなり、全室の窓を開けておいたから部屋中の物が飛んでしまい、慌てて北と西の窓を閉じて回った。まるで台風のような激しさだが、被害が大きかった千葉県は大丈夫なのだろうか。

 今日は「敬老の日」というので、マンションの自治会から「集い」の案内をもらったが、出席は断った。私が自治会長を務めていた10年ほど前は、「集い」の案内は65歳以上だったが、対象者が増える一方で、70歳になり75歳になった。昔は「皆さん、ご苦労様でした」という気持ちだったのに、対象者となってみると何ともこそばゆい。

 マンションの高齢者の中には連れ合いを亡くし、ひとり暮らしの人も多くなっているから、こういう機会に「集い」に顔を出し、皆さんと話す機会があった方がいい。「一日中、仏壇とテレビしか話していない」と言う方もいる。昔、役員会で、「これからは、集会所の一角を喫茶室にして、年寄りが気楽に集まれる場所にしよう」という提案があった。その時は笑い話で終わってしまったが、実際にそういう時が来ている。

 私の祖父は70代で亡くなったが、祖母は私が小学生の時に亡くなった。映画が好きでよく連れて行ってもらった。小学校の何年の時だったか覚えていないが、街で一番の老舗の和菓子屋で、名物の最中を2つ買って二人に渡したことがある。祖父は威張っているだけの人のように思っていたが、渡した時は嬉しそうだった。

 農業で生活してきたアジアの人々は人手を大切にしてきたし、経験のある年寄りを大事にしてきた。長い間ご苦労様という気持ちが、「子どもの日」「成人の日」と同様に「としよりの日」を生んだのだろう。私が最中を買ったのは、多分、先生か父母から、「としよりの日」が生まれる話を聞いたからだろう。1951年(昭和26年)くらいから、「としよりの日」を制定しようとしていたようだから。

 自分が75歳となり、「敬老の集い」の対象者となると、「まだ若いのに」という気持ちが先に立つ。気持ちだけは18歳の時と変わらないのに、肉体は確かに衰えた。もう、いい加減に終わりたいと思っているから、「無責任な老人」とコメントが来たのだろう。

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東京五輪マラソン代表選考レース

2019年09月15日 18時06分18秒 | Weblog

 東京オリンピックのマラソン代表選考レースが、2局のテレビ局から実況中継された。NHKが女子を、TBSが男子を担当したが、出発前は2局が合同で中継する珍しい番組だった。男子は8時50分、女子は20分遅れの9時10分のスタートで、同じマラソンコースで行われた。来年のオリンピックに備えた準備であり、試験でもあったのだろう。

 男子は宣言通り設楽選手がすぐに飛び出し、このまま逃げ切るのかと思われたが失速、ゴール前で3人が熾烈な争いをする展開だった。女子も何キロ過ぎからか分からないが(というのも、チャンネルを切り替える人がいて)、トップに立った選手がそのまま大差でゴールし、ゴール寸前まで代表枠の2位を争う展開だった。名古屋大学卒の鈴木亜由子さんが2位になり、何故かホッとしてしまった。

 私は長距離は苦手で、高校の時、学校の周りを走る耐寒訓練は全く良い成績が取れなかった。初めからトップを走ればと言われて実践したがダメで、翌年は力を温存してみる作戦で走ったが後半に力を出すことは出来なかった。以前にも書いたが同学年の女子で、2年連続で優勝した子がいた。

 その子は背が低くて痩せていて、目のきれいな子だった。中学の成績も常にトップで、高校もトップを維持していた。先生たちは東大に行って欲しかったようだが、彼女はお茶の水大へ進んだ。高校の時、道端でばったり出会い、30分ほど立ち話をしたことがあるが、気取らない可愛い子だった。大学を卒業して、どうしているのか、結婚したのか、どこに住んでいるのか、高校の同窓会に出席していないので私は知らない。

 マラソンを見ると彼女のことを思い出す。決して運動に優れていた印象がないのに、耐寒訓練で連続優勝したのだから、何か秘めたものがあったのだろう。話し方も柔らかく、決して人を押しのけるような性格ではなかったのに、どうして長距離ではビックリするような力を発揮できたのだろう。やっぱり、根性が違ったのだろう。

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興味を引いた『サンデー毎日』

2019年09月13日 17時25分41秒 | Weblog

 通っている歯科医院から電話が入った。「申し出のあった週刊誌を取りにみえますか?」と。「ありがとうございます。午後一番で伺います」と答え、受け取って来た。6月の診察の時、待合室で読んでいた『サンデー毎日』は、私の興味を引く記事がたくさんあった。それで近くの書店に行ってみたが、「置いていない」「売り切れてしまっている」と言われ、歯科医院の先生に、「用済みになったら、いただけませんか」と頼んでおいた。

 『週刊ポスト』や『週刊現代』はコンビニでも置かれているのに、『サンデー毎日』は見かけない。私が欲しかった号は、「統計不信 不都合な真実」を皮切りに、「参院選の真の争点は何か」、「党首トンデモ語録」、「中高年恋愛の収支決算」、「対立軸の昭和史」、「保守・リベラル激突思想戦」、「老後のあなたを救う10大資格事典」などの特集があり、いくつかあるコラムも面白いものが多かった。

 連続ものでは「戦後日本への弔鐘 評伝西部邁」が目を引いた。私は西部邁さんの著書を読んだことはないが、東大の学生時代はブンドに所属し、連合赤軍事件の後は保守の論客として名前は知っていた。昨年1月に自殺して話題になっていたが、なぜ死を選んだのかと心に残る人だった。掲載が終了すれば単行本になるはずだから、その時は読んでみたいと思った。

 卒業生から手紙が来て、ペルーのポスターコンペティションで最上位を受賞したし、これを記念して作製したポストカードが同封されていた。「幾つになっても作品を褒められるというのは嬉しいものです」とあって、思わず微笑んでしまった。私が教師として、彼と授業で逢ったのは1度しかない。この学年だけは何故か受け持つことが無かったのに、卒業してから親しくなった。

 15日の「敬老の日」を前に、仙台の5歳になった孫娘からも手紙が来た。孫娘が通う幼稚園が園児の祖父母に、孫が描いた絵を毎年送ってくれる。昨年の絵より大きく少しリアルに描かれていた。「ありがとう、上手に描けたね」と褒めてやらなくてはと思う。明日は久しぶりの誕生日会を我が家で開くので、ブログは休みます。

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新閣僚の顔ぶれ

2019年09月12日 18時11分47秒 | Weblog

 新聞に載った新閣僚の紹介記事を読んでいると、おぼろげながらもその人柄が分かる気がする。安倍首相は私より10歳も若い。78歳の麻生副総理と竹本科学技術大臣以外、みんな私より年下である。いつの間にか時代は先へと進んでいる。年寄りは見守る他ない。

 顔ぶれを見ると、50代が新内閣の中心のようだ。新聞各紙は安倍首相の「改憲へ強い意志」を伝えている。ウォール・ストリート・ジャーナル日本版は、総理を含む19人の閣僚のうちの15人が「日本会議」のメンバーと報じているから、改憲に向けた強固な布陣なのだろう。

 「憲法について論議するのは、国会議員の使命でしょう」「議論すらしない政党を選ぶのか、議論を進める政党を選ぶのか」と、安倍首相は参議院選挙の遊説で演説していた。改憲の中身ではなく、議論するかしないかと迫り、野党を土俵に上げて、「現憲法では国を、国民を、守れないでしょう」と、改憲を納得させる戦術なのだ。

 立憲民主党も綱領で「専守防衛」を掲げているから、自民党と考え方に差がある訳ではない。国民民主党はもっと自民党に近いし、維新は改憲に積極的だ。数の上では改憲に必要な3分の2に達しないが、「憲法を絶対視すべきではない」と当たり前のことを言われ、改憲に賛成する議員が出る可能性はある。

 日本国憲法を読んで、「素晴らしい」と思ったのは私たちの世代だけなのか。実際、世界の各地で紛争が続き、ミサイルの開発競争が報じられれば、「国を守る」ことは必要となるだろう。戦争が無くなれば国を守る必要もなくなる。戦争を根絶するにはどうすればよいかと、なぜ人は考えないのだろう。

 昨夜から急に風が涼しくなった。今晩はエアコンも必要ないだろう。暑かったり寒かったりするからエアコンが必要になるが、そうでなければエアコンは必要ない。それでも、万が一に備えてエアコンを置くように、軍備もそうな風に考えているのだろう。戦争は人が始めることで、自然とは全く違うのに。

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小泉進次郎さんの入閣

2019年09月11日 17時27分34秒 | Weblog

 小泉進次郎さんが入閣した。第4次安倍改造内閣の最大の課題は「憲法改正」にある。私は彼が改正に積極的とは思っていなかったので、入閣はないと思っていた。そして、来年に生まれてくる子どものために「育児休暇を取る」との発言を聞いて、暗に入閣を拒否していると思ってしまった。お父さんも強かな政治家だったが、彼も「ころあい」を見る根っからの政治家のようだ。

 安倍内閣後でもチャンスは巡ってくるだろうが、入閣したことで周囲にはっきりと首相を目指す意思を伝えた。若い彼にはまだ仲間がいないだろうから、強い意志を示すことで徐々に仲間が寄ってくるだろう。どこでどう動くことがプラスになるのか、その判断は難しいが、お父さんによく似た彼はその臭覚を持っているのだろう。

 私の友だちのカミさんが市長選挙に立候補した。以前から、街頭での朝立ちをフェイスブックに載せていたから、選挙を意識していると分かっていたが、出ない方がいいのにとの思いの方が強かったから何も言えなかった。ダンナが市議なのに、カミさんが市長になったら、ダンナは身を引かざるを得ないだろう。まさか夫婦で、市長と議員に分かれて、議場で論戦とは私の古い頭では考えられない。

 議員なら有権者の3%の得票でも当選できる。けれど、首長選となると30%近くあるいはそれ以上に票が集まらなければ当選できない。11の選挙は総力戦なので、街頭でのパフォーマンスだけでは勝てない。現職が相手となると、既存の組織が相手側に付くことになる。市民に関心のあるテーマでもなければ、投票率は低いから挑戦者に勝ち目はない。

 彼の選挙の時、事務所に自民党国会議員の応援の檄が貼られてあったので驚いた。「無党派・市民派」を掲げてきたのにどうしたのだろう。信条が変わることを非難する気はないが、支持してくれている人たちはどう思っているのだろう。市長選挙に立候補したカミさんの立ち位置はどうだったのだろう。

 

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「事件」をなぜ報道するのだろう

2019年09月10日 17時31分13秒 | Weblog

 今日も蒸し暑い。こんな日はエアコンをと思うけれど、カミさんは「窓を開けておけば、いい風が入ってくるわよ」と言う。人の感覚はなかなか同じにはならない。カミさんは気温と湿度が表示される時計を見て、「湿度が高いから、除湿する」とエアコンを操作する。部屋の温度計が34度あっても湿度が70%を超えていないと、「大丈夫よ」と数字を絶対的に信じている。

 人の感覚は分からない。京アニメ放火事件で35人が亡くなったが、その犠牲者の実名を公表するか否かが問題になった。新聞やテレビで「事件」が報道される時、いつ、どこで、誰がは当然のことだったので、むしろなぜ公表しないのか不思議だった。事件によっては、被害者の名前を伏せる場合もある。強姦事件などは被害者の名前を公表することはない。

 加害者が少年の場合も、A(14)という表記になる。京アニメの被害者は成人であったが、全員の名前が公表されたのは事件からずいぶん経てからだった。京アニメ社から警察に、葬儀が終わるまでは控えて欲しいと要請があったという。会社が警察や報道関係にそのような要請をしたのは、犠牲者の家族からの要望だった。

 家族はなぜ名前の公表を拒んだのだろう。故人がどういう人だったのかを、報道関係者は知らせたい。子どもの頃から絵を描くのが好きだったとか、どんな絵を描いていたとか、どうしてアニメの世界に入ったとか、その人を語る材料が欲しいから取材する。家族にとっては、うっとおしいかも知れないが、故人を知ってもらうのは「故人の生きてきた証」と私は思うが、なぜ公表を嫌がったのだろう。

 そもそも新聞やテレビが、「事件」を報道するのはなぜなのだろう。再発を防ぐためには原因や動機などの分析も必要だろう。場所や名前が無ければ、本当にあった「事件」なのかも怪しい。ネットの「事件」のように、デッチ上げなのかも知れない。事実であるためには、名前や場所の公表は必要だろうが、被害者の家族が拒むのであれば仕方ない気がする。

 日本は実名報道が基本だが、名前を出さない国もある。面白半分にあるいは興味本位に、「事件」を取り上げるのだけは止めて欲しい。悪いことばかりでなく、心温まるような報道が増えてくれればいいと思う。報道がそうなるためには、人々の感覚がそうならないとダメだろう。

 

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良くても悪くても

2019年09月09日 17時26分22秒 | Weblog

 台風一過なのに、メチャクチャ暑い。今朝、台風の被害を心配してルーフバルコニーに出てみたが、倒れているものは何も無かった。このところ雨が降らないので、鉢植えの花たちが可哀相に思えて、水やりして回る。天候不順でも雨が降らなければ、やっぱり水不足になるのだ。デイゴは一度葉が黄色くなって落ちたのに、また青葉が出てきて赤い花までも咲かせた。それなのに、サルビアは2度目の花を咲かせた後、葉が丸まって薄汚くなってしまった。

 バラは1鉢、酷暑の前から元気がなかったが、周りのバラが新しい芽を出しているのに、枝が茶色から黒になってきている。ダメかも知れないと思いながら、春までは水やりを続けようと思う。この黄色いバラは春にたくさんの花を咲かせてくれたが、葉の色が少しずつ黒っぽくなってきていたから、病気なのかと心配して観察してきた。このまま回復してくれることはないだろう。同じように育ったのに、運とか不運は何にでもある。

 友だちからもらった姜尚中さんの『心』を読んで、もう一度『悪の力』を読み直した。2013年発行の『心』は小説で、2015年発行の『悪の力』はエッセイ、そして2014年発行の『心の力』はエッセイ風小説であることに気が付いた。学者だから小説など書かないと決めつけ過ぎた。姜尚中さんが高校生の頃にぶつかっていた虚無とか、解決の見出せないモヤモヤしたものを、還暦を迎えてもう一度取り組んだもののようだ。

 あるものをあるがままに受け入れようと姜尚中さんは考えている。そうすることがどうしようもない現実の世界を変える力になるのかも知れない。昨日の台風の襲来で、今朝の関東地方は交通機関が大幅に狂った。それでも人々は黙って並んでタクシーを何時間も待ち続けている。「そんなにまでして会社に行く必要があるんですか」と、『特ダネ』で古市憲寿さんは言うが、その彼も「迷惑をかけられないから」と遅刻せずにスタジオに来ている。

 人間は意外に不真面目になれないのか、不真面目になってしまうことの結果が分かるからなのか、心のどこかで、「こんな思いまでして行かなくてもいいのに」と思いながら、たとえ大幅に遅れても、いやむしろ、それを勲章のように、「大変だったんです」と、くどくどと言い訳してしまう。良くても悪くてもそれが人間のようだ。

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