友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「敬老の日」がやってきた

2019年09月16日 17時23分37秒 | Weblog

 青く澄み切った空だった。ところが午後からは北西の風が強くなり、全室の窓を開けておいたから部屋中の物が飛んでしまい、慌てて北と西の窓を閉じて回った。まるで台風のような激しさだが、被害が大きかった千葉県は大丈夫なのだろうか。

 今日は「敬老の日」というので、マンションの自治会から「集い」の案内をもらったが、出席は断った。私が自治会長を務めていた10年ほど前は、「集い」の案内は65歳以上だったが、対象者が増える一方で、70歳になり75歳になった。昔は「皆さん、ご苦労様でした」という気持ちだったのに、対象者となってみると何ともこそばゆい。

 マンションの高齢者の中には連れ合いを亡くし、ひとり暮らしの人も多くなっているから、こういう機会に「集い」に顔を出し、皆さんと話す機会があった方がいい。「一日中、仏壇とテレビしか話していない」と言う方もいる。昔、役員会で、「これからは、集会所の一角を喫茶室にして、年寄りが気楽に集まれる場所にしよう」という提案があった。その時は笑い話で終わってしまったが、実際にそういう時が来ている。

 私の祖父は70代で亡くなったが、祖母は私が小学生の時に亡くなった。映画が好きでよく連れて行ってもらった。小学校の何年の時だったか覚えていないが、街で一番の老舗の和菓子屋で、名物の最中を2つ買って二人に渡したことがある。祖父は威張っているだけの人のように思っていたが、渡した時は嬉しそうだった。

 農業で生活してきたアジアの人々は人手を大切にしてきたし、経験のある年寄りを大事にしてきた。長い間ご苦労様という気持ちが、「子どもの日」「成人の日」と同様に「としよりの日」を生んだのだろう。私が最中を買ったのは、多分、先生か父母から、「としよりの日」が生まれる話を聞いたからだろう。1951年(昭和26年)くらいから、「としよりの日」を制定しようとしていたようだから。

 自分が75歳となり、「敬老の集い」の対象者となると、「まだ若いのに」という気持ちが先に立つ。気持ちだけは18歳の時と変わらないのに、肉体は確かに衰えた。もう、いい加減に終わりたいと思っているから、「無責任な老人」とコメントが来たのだろう。

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