友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

愛知県美術館と名古屋市美術館へ

2019年09月04日 19時19分54秒 | Weblog

 9月に入ったのに、昨日も今日も蒸し暑い日だった。午後から美術館へ行って来た。「あいちトリエンナーレ2019」を開催している愛知県美術館と名古屋市美術館を見ておきたいと思ったからだ。国際現代美術の最先端の作品がいかなるものなのか、自分の目で確かめておきたかった。両美術館とも若い人が多かった。おそらく美術系の大学や専門学校で学んでいる人たちだろう。かなり懇ろに見入っていた。

 現代美術となると、やはり平面だけでは勝負しにくいのか、平面を多様に組み合わせた立体的なものや、遊びを取り入れたようなものなど幅広かった。それでもやはり、映像で表現するものが多かった気がする。確かに手っ取り早く、作者の意図を伝えられるのかも知れないし、何が言いたいのだろうかと考えさせるにもよいのかも知れない。訳の分からない作品たちを見ていくなら、中止となった『表現の不自由展』は違和感もなく受け入れられただろう。

 県美の広い展示室に、寝転んでいたり、背中合わせに座っていたり、考え込むような姿の45体のピエロがいた。この作品は女性たちに人気のようで、隣に寝転んだり座り込んだりして、スマホで写真を撮っている。作者はこの作品に『孤独のボキャブラリー』と命名しているから、静寂でなければならないのかも知れないが、私は思わず、この中に生きたピエロがいて、むっくり起き上がったりしたら最高に面白いのにと思ってしまった。

 芸術監督の津田大介さんが外国特派員協会の場で、「表現の不自由展」が中止となったことで弁明していたが、この人は身を挺してでも「表現の自由」を守るべきだった。「脅迫メール」や「電話抗議」への対策が不十分だったとか、会場の警備体制の強化を上げていたが、そもそもなぜこの企画展を行う必要があるかを語るべきだった。どんなに鋭い論客であっても、肝心な時に逃げ出すようでは思想性まで疑われる。

 友だちが姜尚中さんの『心』を、「読んでしまったからあげる」と言うので、早速私も読んでみた。エッセイではなく小説で、漱石の『こころ』に繋がる青春小説だった。青春時代は生きることの意味や異性を思う気持ちなどで大いに悩む。姜尚中さんも同じ経験をしたのだろう。そこで若者とのメールのやり取りを通して彼に考えさせていくのだが、「わたしは君を励ましながら、逆に、救われたのかもしれない」と言い、「すべてを抱きしめて生きろと」と結んでいる。

 

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