友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『週刊朝日』に上野千鶴子さんの高校時代の原稿

2019年09月28日 17時25分03秒 | Weblog

 先日、銀行で外回りを担当している若い女性が我が家にやって来た。なかなか頭脳明晰で、計算能力も高い。雑談の中で、「私、子どもの頃ヘンな子だったんです」と言う。「算数をしていても、こういう計算もできるのにと思ったりして。母が心配して、『今は先生の言うとおりに勉強しなさい。高校へ行き、大学へ行く。そのためと割り切りなさい』って言うんで、納得できないままそうしてきたんですが、おかげでこういう仕事をさせてもらっています」と話してくれた。

 今は運動会の時期だから、どこの学校でもそのための練習に明け暮れている。私は「全員、進め」「全員、止まれ」の行進がなぜ必要なのか、子どもの頃から疑問だった。先生たちは何十人もの子どもたちを号令ひとつで動かせて気持ちよいだろうが、何度も何度も意味もなく行進をさせられるのが嫌だった。「手足を揃えて、元気よく」と、今も檄が飛ぶ。

 それでも小・中学校では新しい知識を学ぶことが出来た。だんだん自分が大人になっていくように思えた。父も兄も学んだ伝統校の高校に入学し、いっそう大人になっていくと期待していた。ところが、関心が湧いたのは国語と社会の授業しかなかった。物理の先生は優しい人で、「文系にいくものは、1つ問題が解ければ追試は無いから」と、試験の出題を教えてくれた。

 「普通高校の授業は教育ではない」と私は新聞に投稿し、採用された。『週刊朝日』を見ていたら、上野千鶴子さんが高校生の時に学校新聞に書いた記事が載っていた。彼女も同じように感じていたが、そこで発奮して京大へ進学したから私とは大違いである。あれから60年近くなるのに、日本の高校教育は何も変わっていない気がする。それが社会の価値観を変えているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする