友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「事件」をなぜ報道するのだろう

2019年09月10日 17時31分13秒 | Weblog

 今日も蒸し暑い。こんな日はエアコンをと思うけれど、カミさんは「窓を開けておけば、いい風が入ってくるわよ」と言う。人の感覚はなかなか同じにはならない。カミさんは気温と湿度が表示される時計を見て、「湿度が高いから、除湿する」とエアコンを操作する。部屋の温度計が34度あっても湿度が70%を超えていないと、「大丈夫よ」と数字を絶対的に信じている。

 人の感覚は分からない。京アニメ放火事件で35人が亡くなったが、その犠牲者の実名を公表するか否かが問題になった。新聞やテレビで「事件」が報道される時、いつ、どこで、誰がは当然のことだったので、むしろなぜ公表しないのか不思議だった。事件によっては、被害者の名前を伏せる場合もある。強姦事件などは被害者の名前を公表することはない。

 加害者が少年の場合も、A(14)という表記になる。京アニメの被害者は成人であったが、全員の名前が公表されたのは事件からずいぶん経てからだった。京アニメ社から警察に、葬儀が終わるまでは控えて欲しいと要請があったという。会社が警察や報道関係にそのような要請をしたのは、犠牲者の家族からの要望だった。

 家族はなぜ名前の公表を拒んだのだろう。故人がどういう人だったのかを、報道関係者は知らせたい。子どもの頃から絵を描くのが好きだったとか、どんな絵を描いていたとか、どうしてアニメの世界に入ったとか、その人を語る材料が欲しいから取材する。家族にとっては、うっとおしいかも知れないが、故人を知ってもらうのは「故人の生きてきた証」と私は思うが、なぜ公表を嫌がったのだろう。

 そもそも新聞やテレビが、「事件」を報道するのはなぜなのだろう。再発を防ぐためには原因や動機などの分析も必要だろう。場所や名前が無ければ、本当にあった「事件」なのかも怪しい。ネットの「事件」のように、デッチ上げなのかも知れない。事実であるためには、名前や場所の公表は必要だろうが、被害者の家族が拒むのであれば仕方ない気がする。

 日本は実名報道が基本だが、名前を出さない国もある。面白半分にあるいは興味本位に、「事件」を取り上げるのだけは止めて欲しい。悪いことばかりでなく、心温まるような報道が増えてくれればいいと思う。報道がそうなるためには、人々の感覚がそうならないとダメだろう。

 

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