友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

少数政党が乱立

2012年11月20日 19時04分12秒 | Weblog

 私は茨城県に行っていたので出席できなかったけれど、18日に市から委託を受けて、井戸を掘り花壇を造った児童公園で、完成のお披露目が行なわれた。子どもたちは熱心に手押しポンプを動かして、水を汲み上げてはしゃいでいたと言う。時々、「井戸掘りは何が楽しいのですか?」と聞かれることがあるけれど、ポンプを据付け、水が出てきた時は子どものようにうれしくなる。

 写真では花壇に花が植わっていないけれど、18日はパンジーが植え込まれて見事だったそうだ。地域の人々がこの公園を自分たちの庭のように愛して使ってくれたなら、さらにやった甲斐があったと感じることだろう。公園でも道路でも学校でも、地域の施設をもっと住民の人たちが自分たちの財産と思って使い、大切に整備して欲しいと思う。私たちの子どもの頃と比べると、住環境は随分変わってきた。個人の家やその周りだけでなく、地域全体の住環境を財産と考えた方がいい時代になった。

 いろんなことが少しずつ変わる時のようだ。野田首相の決断で国会は解散となり、来月16日の日曜日に衆議院議員選挙の投票が行なわれる。まず過半数を制する政党はいないから、どこかとどこかが連合して内閣を組むことになるだろう。維新の会と太陽の党は、「とにかく小異を捨てて大同団結」して選挙で勝利と言うけれど、内閣を組む時はどうするのだろう。橋下さんは「政治は政策ではありません。組織を使ってどう実現するかです」と街頭演説をしていたけれど、政策の違う政党が何を実現できると言うのだろう。

 それにしてもたくさんの政党が生まれた。今度の衆議院議員選挙に立候補するであろう政党は15あると言う。「少数政党の乱立は有権者を混乱させるばかりだ」と言う評論家もいたけれど、乱立したのはそれだけ、考え方や政策に違いがあるということで、私はむしろ正しい方向に進んでいるように思っている。これまでは当選したいだけで政党に属していた議員がいかに多かったことか。しかし、これからはどのような国をつくっていくのか、議論し公開し有権者が参加する仕組みの政治が必要だろう。

 ベルギーの選挙で過半数を制する政党が生まれなくて、1年以上も連合の話し合いが続いたことがあったそうだ。それで政府がなくても困らないことが明らかになったと言う人もいる。議員が当選することだけに執着するようなら、議会は要らないと言う人もいるだろう。何も決まらない国会が続けば、だからこそ強いリーダーが必要だと言い出す人も必ずいる。それでも私は急ぐことはない、ボチボチやっていけばいいのではないかと思う。

 公園を管理する、花壇を造って管理する、それだけのことでもいざとなるとなかなか決まらない。みんなが満足することはまずないからだ。それでも話し合いを続け、納得できる一致点を見出すまで我慢しなくてはならない。信頼がなければ民主主義は時間がかかる。

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娘を泣かせてしまい‥

2012年11月19日 18時33分52秒 | Weblog

 茨城県の次女夫婦のところへ行って、最後に次女を泣かせてしまった。初めのちょっとしたズレが原因だった。3日目の午後、さていよいよ帰ることになった。鞄が2個、娘の車に置いてある。駅まではよくあっても10分もかからない距離なので、私は車から鞄を受け取り、歩いていくつもりだった。娘は「私も駅まで行く」と言う。行けば往復20分はかかるだろう。ダンナの傍にいればよいのにと思ったので、「それなら、車で送って」と言った。時間が短縮出来ると思ったからだ。娘の方は、遠いところへ来てくれた私たちにお礼のつもりで、一緒に駅まで歩いて行くと言ったのに、全くその思いが変わってしまうことで腑に落ちなかったろう。

 駐車場を出ようとすると、料金が200円と表示された。「こんなことなら、守衛室で判を押して来ればよかった」と娘が言う。「ああ、ごめんね」とその時に、私が言えばそれですむことであった。何しろ私が「車で送って」と言わなければよかったのだから。しかし、余りに何度も「200円も余分なお金がかかった」と繰り返すので、気分が悪かった。なぜ200円くらいのことで、そんなにまで言うのか、その気持ちが情けなかった。「そんなに200円払うことが嫌なら、ボクが払う」「そんなことを言ってるわけじゃーない。どうして『ごめんね』と言えないの」。

 「パパはもっと心の大きい人だったでしょう。いつからそんな狭い人になってしまったの」「いや、昔から何も変わらないよ。あなたこそ、不愉快な言い方をやめたらどう」「みんなパパのような人ばかりじゃないわよ。いろんな人がいることが分からないの」「もういい、あなたに何を言って分からない」「パパこそ、分かろうとしないのよ」。次女が言うように、人にはいろんな人がいる、だからそっくりその言葉を返したい。私と次女は似ているのだろう。相手に求めすぎているのだ。こうあって欲しいと思うから、そうでない面を見るとイライラしてしまう。

 私が「送って」と言ったのだから、私が一言「ごめんね」と言えばすむ。けれどもそれでは「お金がかかってしまった」と言われたことの気分の悪さが伝えられない。たとえ相手のせいで自分が嫌な目にあったとしても、そんなことは心の奥に閉じ込めておくことが大人の生き方だと教えておきたい。私も次女も、他人から見れば優しいと言われているように、自分以外の人のために骨を折ることが好きだ。けれどもそれは「情けは人のためならず」で、私はこんなにもあなたのことを愛しているのだから、あなたも私を愛して欲しいと、強く求めているのだ。

 私も次女も、自分の価値観や美意識を相手に押し付けすぎる。娘が言うように、人は様々で、自分と同じように考えたり感じたりしてくれるものではない。だから、相手を受け入れる度量が欲しい。私は歳を重ね、価値観や美意識が違ってもそれなりに付き合える。だって、自分と同じように考えたり感じたりする人に出会ったことがないのだから。それが家族となるとどうもダメだ。長女は、「パパはこんなものよ」と達観しているのか、私とケンカにならないが、次女は私への期待がまだ残っているようだ。次女が長女のようになるまで、もうしばらく諍いしてみよう。

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堪忍袋の緒が切れる

2012年11月15日 21時58分01秒 | Weblog

 3歳の孫娘は、心配していた髪結いも着物の着付けもすんなりと出来た。神社本殿での神事も、立ったり座ったり礼をしたり、これもきちんと出来た。声を上げたり、走り回ったりする子どもが多いと聞いていたけれど、孫娘はやれば出来るとちょっと誇らしく思った。神社の後、写真館へ行った。ジジババも入った写真と家族4人の写真までは順調に進んだけれど、最後にひとりで撮る段階になって、疲れがピークになったのか、写真館の人がどんなになだめても、両親がどんなに言っても、一向にポーズをとることが出来なくて、みんなを慌てさせた。

 3歳の孫娘にしてみれば、朝早くからいろいろとやってきて、「もういいでしょう」というところだろう。のらりくらりとみんなの気持ちとは別のことをやり、言うことを全く聞かないところは先日までの野田首相のようだった。昨日の党首討論を、私はテレビニュースで見て驚いた。これまでは追及される側にいた野田首相が逆に追及しているではないか。ああ、これはアメリカ大統領選挙を参考にしたなと思った。大統領選挙でのオバマ氏とロムニー氏のテレビ討論では、最初はロムニー氏が優勢だったけれど、最後はオバマ氏が逆転したという。

 討論では、追及される側が弱々しく見える。野田首相も「約束したでしょう」とか「嘘つきでいいんですか」と追及され、「寝言でも解散時期はいいません」とかわしていたけれど、どう見ても分は悪い。野田首相の答弁は言葉がハッキリしていて切れはいいけれど、守りの答弁だからのらりくらりと逃げている感じがしてしまう。ところが昨日の党首討論では、自民党の安倍総裁に条件を突きつけ、「これが守られるなら解散します」と攻勢に出た。おそらく安倍総裁としては自分が追及される側になるとは予想もしていなかったのだろう。

 人は守りに立たされると途端に弱々しくなってしまう。安倍総裁は切れがなくなり、民主党の岡田副首相が「安倍さんは正面から受け止め切れなかった。政治家としての器の大小が出た党首討論だった」と野田首相を称えたが、それは確かだと思った。アメリカのようにテレビ討論が浸透していたなら、間違いなく野田首相がポイントを挙げたことだろう。しかし日本では野田さんが党首討論で1本取ったとしても、安倍さんがやはり脆いなと思われたとしても、次の選挙に大きな影響は出ないだろう。

 これからの日本は論理をきちんと展開できる演説が求められる。言葉できちんと説明できる政治家を選ぶことが有権者の使命である。「近いうちに」から随分時は流れてしまった。解散できる環境が整ったと野田首相は判断したようだけれど、一体何がどう変わったのだろう。自民・民主・公明が連立して政権をとるのか、たくさん生まれた少数政党がキャスティングボートとなるのか、しばらくは混沌とした政治が続くのか、有権者がどう判断するのか興味深い。

 明日から日曜日まで、次女夫婦のいる茨城県へ行くので、ブログは休みます。

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高校時代

2012年11月14日 18時22分07秒 | Weblog

 今日は時間があったので、延び延びになっていたチューリップのための鉢の土の入れ替えをしようと朝から作業を始めた。ところが午前11時を過ぎた頃から北風が強く吹き始めた。しばらく待てばそのうちに治まるだろうと思って中断したが、風は一向に弱まらず、仕方なく今日の作業を中止した。相手が気候ではどうしようもない。同じ人間でも、意志が通じ合うことはなかなか難しい。石原慎太郎さんは、「このままじゃーこの国は沈む。大同団結してこの国を変える」と息巻いているが、「何でもいいからまとまれ。それから考えよう」という発想そのものが恐ろしい。

 トルストイとソフィアのように愛し合っていても理解できない、理解し合っていてもそれぞれが家庭持ちのため結婚できない、人の社会は誠に不条理で複雑である。私の友だちに、友だち以上恋人未満の関係を長く続けてきた男がいる。男友だちが集まった時、「そんな関係は贋物だ、男と女の間はもっと劇場的なものだ」と議論になったことがあった。7人ほどいたけれど、半数がカミさんの他に好きな女性がいた。他人のことを贋物とか間違っているとか、要らぬお世話であろう。これもトルストイの言葉だけれど、「十人十色というように、心の数だけの恋があってもいいじゃーないか」ということだ。

 そういえば、高校時代も「男と女の間に友情は成り立つか」をテーマに真剣に議論していたことがあった。結論は定かではないが、今この歳になってみれば「成り立つ」と思う。でもきっと、高校時代では「成り立たない」ではなかっただろうか。中学のクラス会の時に、高校の文芸部の機関誌が1冊出てきたので差し上げると友だちと約束した。彼は文芸部の部長をしていて、私も頼まれて幾つか書いたが、私が書いた作品はそこにはなかった。私たちが作った新聞は残っていると言うから、文芸部の機関誌も学校の書庫に残っているだろう。

 高校の時の写真を見ると、クラスの印象は極めて薄い。3年の時は初恋の人と同じクラスだったのに、学校では一度も話したことがない。手紙のやり取りもなければ、電話をすることもなかった。「彼女は僕の初恋の人だ」と親しい友だちには伝えたけれど、本人にそう話したこともなく、全く夢想の中の恋だった。高校の3年間は、新聞部と生徒会に入り浸っていて、学校を出ればキリスト教会にいて、クラスの人と話すことは少なかった。それでもどういう訳か、高校時代が最も充実していて、自分の人生の基点になっていると感じる。初恋の気分もその後の失恋の悲しみも体験した。

 明日は3歳の孫娘の七五三の祝いをするそうだ。お茶目だがかなりハッキリしている子なので、これからがますます楽しみである。子どもはみんな天使で天才である。孫娘たちが大きくなる頃は人と人との関係の仕方も変わるのだろうか。余り変わらないのかも知れないが、社会のあり方はもっと良くなっているだろう。そう願いたいと思う。

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映画『終着駅』を観て

2012年11月13日 19時04分12秒 | Weblog

 朝の連続テレビ小説『純と愛』を見ていたら、トルストイの「この世には不完全な男と不完全な女しかいない」という名言が出てきた。私のトルストイに関する知識は、ロシアの大文豪で博愛主義者というくらいだった。還暦を過ぎてから、『アンナ・カレーニナ』を読んだことはあるかと問われ、読み出してみるとストーリーの組み立てといい、扱う主題の内容といい、確かにこの人は大文豪だと思った。

 私はドストエフスキーこそがロシアの大文豪と思い込んでいたが、いやトルストイも全く同格である。生まれはドストエフスキーの方が7つ年上で、文壇のデビューも早かった。ふたりの関係がどうだったかは興味深い。ドストエフスキーの『貧しき人々』や『罪と罰』をトルストイは読んでいるのだろうか。トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んだドストエフスキーは「これは素晴しい」と賞賛したと伝えられている。

 トルストイの晩年を描いた映画『終着駅』をDVDで観た。既に名声は高く、トルストイの作家活動だけでなく、博愛主義による村づくりに新聞社などが関心を寄せているようだった。トルストイは貴族の家柄に生まれたけれど、ヨーロッパで進行しつつあった理想主義に関心を持ち、ロシアの進歩的な貴族が行なったように、農奴を解放したり、子どもたちのための学校を開いたりし、彼を慕って集まってきたトルストイ主義者たちと原始共産主義のようなユートピアを造ろうとしていた。

 トルストイは放浪の末(?)に、34歳の時に16歳年下の女性と結婚し、12人の子どもを儲けている。妻のソフィアは世界3大悪妻と言われているが、トルストイの思想や運動が理解できないので夫婦喧嘩が絶えず、不仲であったことからの定説である。映画でもふたりは絶えず言い合いになる。ソフィアは伯爵夫人として12人もの子どもを育ててきたのに、夫のトルストイは平等で博愛の「村」づくりに財産の全てを投入しようとしている。トルストイは妻である私や子どもたちを本当に愛しているのかとソフィアは心配しているのだ。

 男のロマンチィズムも女の自己や家族を守ることも秤にかければ同じだろう。けれども男は女の考えることは小さいと言い、女は男の考えることは現実無視だと言う。どこで分かり合えばいいのだろう。永遠に分かり合うことなど出来ないのだろうか。トルストイとソフィアが愛し合うことも出来なかったのかといえば、映画ではそうではなかった。ソフィアがもう少し寛大な心の持ち主ならトルストイはどんなにか救われたであろうが、それも男目線なのかも知れない。

 このDVDは長女のダンナが私のブログを見て、貸してくれたのだが、彼はなぜこのDVDを持っていたのだろう。トルストイの生き方に関心があったのか、夫婦のあり方に関心があったのか、それとも全く別のところに関心があったのだろうか。理想と現実、理想を追って原理主義に陥る者と理想に新しい解釈を見出そうとする者、そんな対立も描いていて、私には面白い作品だった。

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お人好しでいいじゃないか

2012年11月12日 19時31分32秒 | Weblog

 選挙が近いためか、いろんなところで街宣活動が盛んになってきた。先日も駅前広場で、「中国は信用できる国ではありません。日本の国有の領土である尖閣を中国の領土だと言いがかりをつける国です。民主党内が弱腰だから、中国に言いたい放題に言われてしまっているのです。韓国もそうです。竹島は日本の歴史的にも正当な領土です。それを勝手に韓国の領土だと言っています。こんな無茶なことを言わせてしまっているのは民主党が毅然とした態度が取れない政党だからです」と演説していた。

 「外交は弱腰では出来ません。自衛隊を送り込むくらいの強い姿勢を示さなくてはなりません」とも言っていた。えっ、戦争でもする気なの?というくらいに熱が入っていた。「世界の人が日本人のことを何と言っているか、知っていますか。日本人はお人好しの国民だと言っているのです。褒めているのではありません。馬鹿にしているのです。自分の国の領土も守れないほどの馬鹿だと言っているのです。世界中の笑い者にされているのです。私たち日本人は馬鹿ではありません。馬鹿なのは民主党政権です」と。

 市が行なっている韓国との国際交流についても、「即刻に中止すべきだ」と街宣していた団体がある。どういう団体なのか知らないけれど、私は寒気がする。毅然とした態度をとれとか、強い国を示せとか、そういうことを主張して、その先に何が見えると言うのだろう。お互いに毅然として主張し合えば、最後は武力で決着になるだろう。それで本当にいいのだろうか。領土問題を契機に、日本は一気に愛国的な雰囲気が高まってきた。「内政がうまくいかない時は、国民の目を外に向けさせよ」と昔から言われてきたが、そんなことを繰り返していいのだろうか。

 領土問題や外交問題は、一般の市民に分かりやすいのかも知れない。市民の会話の中でも普通に「弱腰だからいかんわ」とか、「日本が弱いから言われっぱなしになっとる」とか、耳にする機会は多い。もっと最悪なのは、「中国と戦争やっても日本の方が強いんだ」と言う人もいる。そんなことが市民の間で頻繁に口に上るようになることが恐ろしい。若者たちは年寄りよりも冷静なのか、「ほどほどにしておけばいいじゃん」と言う。日本の若者が中国の若者のように、中華飯店を襲うことがないことにホッとしている。

 東日本大震災の時、日本人は冷静にお互いを思いあい助けあった。世界中の人々が日本人は最高のマナーの持ち主だと称えた。最悪の事態の中でも、自分のことより相手のことを思いやる心の広さ・優しさに驚きと賞賛が贈られた。けれども、みんながみんなそうではない。取られる前に防備を固める人、取られたら取り返す人もいる。どういう人でありたいか、それはどうも個人の価値観の問題のようだ。私はお人好しでいいじゃないかと思うし、優しさこそが最も尊いと思う。

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老いはお互い様です

2012年11月11日 20時37分00秒 | Weblog

 姉から「写真はまだできないの?」と催促の電話をもらったのに、随分かかってしまった。何かと忙しくて、届ける時間の余裕がなかった。10月中旬に四国の西条市のお祭りに行って、姉が念願だった歌手の秋川雅史さんとのツーショットの写真を撮った。大きく引き伸ばして持っていくと約束しながら、1ヶ月近く経ってしまった。やっと今日は時間があったので持って行った。

 照れくさいからか、「あんまりいい顔をしとらんね、私は。秋川さんも」と言う。姉は嬉しくて仕方ないという顔だが、あまりのことでのぼせてしまっている。秋川さんは連日の祭りで、疲れ果てているのが現れている。「なかなかいい顔で写っているよ」と言い、額に入れて飾ってあげる。それを見上げて、「ここから見るとちょっといいかな」と満足した様子だ。

 83歳の姉は一人で暮らしているが、部屋の中には秋川さんの写真がたくさん飾ってある。ファンクラブに入っているので、ポスターやカレンダーの他にもいろんな写真が手に入るようだ。部屋の中を見渡すときれいになっていた。「最近とっても物忘れが多いんだけれど、病気かね」と自分のことを心配している。「お昼はどこへ行きたい?」とたずねると、「いつも来るキリスト教の人が連れて行ってくれたインドの何とかというところへ行こうか」と言う。

 インド人がやっている店ならインド料理ではないかと思ったけれど、「スパゲティもあったからイタリア料理の店だ」と言う。感心したのは店のチラシが取ってあったことだ。姉が言う店の方向とチラシにあった地図では大きく違うが、とりあえず姉の言う方向へ向かい、そこから地図にあった方へと曲がった。「こんなに遠かったかねえ」と不信な顔をするが、すぐに目当ての店は見つかった。

 やはりインド料理の店で、スパゲティなどはなかった。車の中では「葬儀はしなくてもいい」とか、「骨はみんなが持っていてくれればいい」とか、「それだけは言っておかんとね」と言っていた姉だったけが、店では自分の子どもの頃の話をよくした。そうして聞いていると、父や母のことは分かっても、祖父や祖母のことは知らないことが多い。姉に聞いても分からないようだ。

 正月とお盆に、私の兄弟が集まる。姉と姉の娘とそのダンナそしてその子どもたち、妹と妹のダンナと時にはその子どもたち家族、兄は亡くなったけれど甥っ子とその家族、私の子どもやそのダンナ、そうした血族が集まる時、私は出来るだけ父や母や兄の話をするように努めてきた。若い頃はそんなに関心がなかったけれど、自分につながる人にどういう人がいるのか知りたいと思うようになったからだ。

 長女が七五三で着る和服を取りに来た。それをみんなで手分けして持って、自動車に積み込み、家に入ろうとしたら鍵がない。高3の孫娘が最後に鍵をかけてそのまま車に乗り込んでしまったのだ。私は長女の家に鍵をもらいに走った。姉ではないが、「この頃忘れっぽくなった」のは、お互い様だったのかも知れない。

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大往生するための条件

2012年11月10日 21時25分15秒 | Weblog

 昨日の晩のことだ。北風が強く吹いていた。大きな椿の鉢が風でひっくり返ることが度々あり、椿は根が張れないのか弱ってきていた。それで植え直して、突風が来ても倒れないように綱で固定し、春の来るのを待つことにした。しかし、強い風だったので心配になり、様子を見るためにルーフバルコニーに出てみた。けれど、あまりの寒さに震え上がった。子どもの頃、寒さのために身体が硬直して動けなくなったことがあったが、この時も全身の筋肉が緊張して震え上がった。胸が痛くて心臓が止まるかと思った。

 急いで部屋に帰り、身体をマッサージしようとしたけれど、寒さのためか思うように動かない。手のひらを見ると真っ白で血の気がない。こんなことってあるのかと思いながら、熱いお茶を飲んでしばらくすると落ち着いてきた。頭は冷静だったけれど、身体は硬直する、そういうことが起きるのだと思った。先日、小学校の同級生が名古屋から訪ねて来てくれ、一緒にお酒を飲んだ時、「そう若くはないのだから、もっと健康に注意を払わなくてはダメだよ」と言ってくれたことを思い出した。

 彼は私のためにA4判1枚に、「大往生する人がさっさと捨てている10の習慣」をまとめてきてくれた。1)走らない。2)薬を飲まない。3)肉と牛乳は摂らない。4)腹7分。5)いい人はストレスが多い。6)医者を過信しない。7)階段を利用する。8)孤独は寿命を縮める。9)無理に働かない。10)夜更かしをしない。私が実行できているのは、1)と4)と8)と10)の4項目である。私は走れないし、腹一杯食べたいという気がない。幸運なことに小さい時から友だちには恵まれている。考え方とか感性とかでは他人と違うことは多いけれど、だからと言って孤独とは思ったことはない。

 実行できないのものは2)3)5)6)7)9)の6項目だ。医者の指示は忠実に守るし、牛乳は毎朝飲むし、肉料理は大好きだ。マンション生活なので階段は充分にあり、階段を利用しようと決意しているけれど、決意が崩れることの方が多い。働きたくても働く場がないけれど、NPOでやっている井戸掘りをサボることはない。無理をするつもりはないけれど、手を抜くことは出来ない。「若い者からやれ!」と檄が飛び、私は若い方なので、率先してやるがそれを苦にしたことはない。

 いい人を演じているとストレスが溜まり病気になるという。しかし、私はいつもいい人でありたいという気持ちの方が強い。今日もマンションの階段でおばさんが掃除をしていたので、邪魔をするのはよくないと思い、遠回りして帰った。児童公園での井戸掘りのことも、市との契約よりも花壇が増えることや、土を削って処理にお金がかかることは、私たちが承知の上でしたことであって、市に対する不満とか予算を増やせとかを考えたことは全くない。いい人である方が私には気持ちよいし、それが正しいと思うから仲間も説得できる。

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政治に必要なもの

2012年11月09日 19時01分00秒 | Weblog

 写真を撮ることが出来なかったけれど、街のケヤキが今年は見事だ。例年なら黄色くなって、そのうちに茶色くなり、やがて落ちてしまう。それが今年は赤く色付いている。聞くところによれば、この何日かの急激な寒さのせいだと言う。香嵐渓も今年は紅葉が早くから始まり、それも10年に1度の見事さだと地元の人も話していた。いつまでも暑い日が続き、秋が来ないのかと思ったけれど、朝夕の冷え込みが美しい紅葉を作り出してくれた。

 4日に、23人の仲間とバス旅行で恵那へ出かけた。明智鉄道の車窓から見える紅葉と、恵那峡でジェット観光船から見る紅葉と、「ヘブンスそのはら」のロープウェーから見る紅葉を楽しむコースだった。船から見上げる景色はまた独特なものがあったが、なんと言ってもロープウェーから見る景色は素晴しかった。標高がどのくらいなのか、私は知らないが、周りはすっかり紅葉していて、そのパノラマに圧倒された。

 日曜日だからなのか、どこも人でいっぱいだった。特に「ヘブンスそのはら」は帰りのロープウェーに長蛇の列が出来ていて、これではゆっくり散歩しようという気になれなかった。せめてコーヒーでも飲もうかと思ったけれど、それも諦めなくてはならないほどの込みようだった。ほんの少し周りを散策して、すぐに帰りの列に並んだ。観光バスの出発時間に間に合わせるためには仕方ないことだが、これでは何のために来たのかと思う。きっと、次にもう一度来るための下見なのだと思うことにした。

 秋の深まりとともに、政界も混沌としてきた。何がそうさせたのか分からないが、「若い者がしっかりしないから」と80歳の石原さんがシャシャリ出てきた。おかげで12月に東京都知事選挙が行なわれることになった。石原さんは「猪瀬(副知事)でもできる」と本当に失礼な言い方をする。以前も「子どもが産めなくなればもう女じゃーない」と言ったけれど、この人には品格というものがない。その石原さんが前の知事選挙で後継者と指名した前の神奈川県知事の松沢さんを推さないというのも人情味に欠ける。

 その松沢さんは民主党に応援を頼みたいのだろうが、どうも民主党は動かないようだ。「みんなの党」の渡辺さんは、石原さんが「原発反対でもなく、消費税反対でもない」なら、維新ではなくせいぜい新選組程度のものだとこき下ろしていたのに、昨日は石原さんと会談し猪瀬さんの応援に回るようだ。先の知事選で石原氏に敗れた東国原さんは、橋下さんと石原さんが仲良しだから「維新の会」の応援は難しいと踏んだのか、自民党議員に応援を求めているというウワサもある。

 当選できれば何でもいい、実現できれば過程などはどうでもいい、そういう考えが政治の世界では大きい。理想がなければ政治は出来ない、自分が無になっても実現できるものがあれば尽力を惜しまない、誠実さとひたむきさこそが政治に必要なものだと私は思う。

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田中真紀子さんの発言を巡って

2012年11月08日 18時17分04秒 | Weblog

 田中真紀子文部科学大臣は3大学の新設について、11月2日に「不認可」と表明した。すると大学をはじめ与野党からも批判が続出し、6日には「新基準で審査する」と訂正した。そして昨日の衆院文部科学委員会で「現行制度にのっとり、適切に対応する」と発言し、記者団に対して「認可です」と答えていた。

 新聞やテレビの報道では、真紀子さんの暴走といった扱いが多かった。真紀子さんはあくまでも大学が多すぎること、認可基準が甘いこと、これでは大学の教育の質が落ちるとか経営が困難になるとか、つまり大学教育のあり方に一石を投じたかったのだと言う。そして「役所の壁は固くて高い」「役所主導を変えるには大変なエネルギーがいる」と話していた。

 官僚機構と戦う改革の女性戦士というイメージを見せたかったのだろう。「大学が多すぎる」「分数の計算も出来ない大学生がいるのは、大学教育の質が悪いからだ」「真紀子さんはよく頑張った。不認可と言わなければ問題提起は出来なかった」と評価する人もたくさんいる。小泉改革で大学の設置基準が緩和され、大学の数が増えたことは確かだ。真紀子さんの手法はよくなかったけれど、主張は正しいと共感する人は多い。

 私はヘソ曲がりなのか、大学の数が多すぎることにどんな問題があるのかと思ってしまう。大学の設置基準が甘く、大学がどんどん新設され、文部科学省の役人の天下り先が出来た。新設大学を筆頭に、大学には文部科学省のOBが必ず何人かいる。天下り先の確保のために大学が造られるのであれば、それは確かに問題であろう。しかし、数が多すぎるからという問題とは違うように思う。

 中学卒業者の100%近くが高校へ進学する。高校卒業者の過半数を超える人が大学や短大・専門学校へ進む。大学や専門学校が増えたからだ。なぜ、増えたのだろう。私たちの時代ではまだ、中卒や高卒の人たちがいた。その人たちが親となった。実社会は学歴社会だから、少しでも上の学校へ行かせたい。それが子どもの幸せにつながると思い、高校・大学へと進学させてきた。

 社会人の給料は学歴によって決まっている。働く人を雇う側では若年労働者が欲しいのに、高学歴者ばかりでは困るのだ。安い賃金を求めて海外に生産拠点を移すから、大学を出ても就職する会社がないのは当然のことだと思う。「大学が多すぎる」と困っているのは若年労働者が欲しい企業からの問題提起なのだ。

 私は大学が増え続け、大学生が増えることは自然の成り行きだと思っている。国民のほとんどが大学卒業者ばかりになれば、大学を卒業する価値もなくなるだろう。大企業に就職しても倒産したり、あるいはノイローゼになったりする。大学卒業が幸せにつながらないと思えば社会の価値観も変わるはずだ。大学に行きたいと子どもたちが思うのであれば行かせてあげればいいし、そうあるべきだと私は思う。

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