友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『終着駅』を観て

2012年11月13日 19時04分12秒 | Weblog

 朝の連続テレビ小説『純と愛』を見ていたら、トルストイの「この世には不完全な男と不完全な女しかいない」という名言が出てきた。私のトルストイに関する知識は、ロシアの大文豪で博愛主義者というくらいだった。還暦を過ぎてから、『アンナ・カレーニナ』を読んだことはあるかと問われ、読み出してみるとストーリーの組み立てといい、扱う主題の内容といい、確かにこの人は大文豪だと思った。

 私はドストエフスキーこそがロシアの大文豪と思い込んでいたが、いやトルストイも全く同格である。生まれはドストエフスキーの方が7つ年上で、文壇のデビューも早かった。ふたりの関係がどうだったかは興味深い。ドストエフスキーの『貧しき人々』や『罪と罰』をトルストイは読んでいるのだろうか。トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んだドストエフスキーは「これは素晴しい」と賞賛したと伝えられている。

 トルストイの晩年を描いた映画『終着駅』をDVDで観た。既に名声は高く、トルストイの作家活動だけでなく、博愛主義による村づくりに新聞社などが関心を寄せているようだった。トルストイは貴族の家柄に生まれたけれど、ヨーロッパで進行しつつあった理想主義に関心を持ち、ロシアの進歩的な貴族が行なったように、農奴を解放したり、子どもたちのための学校を開いたりし、彼を慕って集まってきたトルストイ主義者たちと原始共産主義のようなユートピアを造ろうとしていた。

 トルストイは放浪の末(?)に、34歳の時に16歳年下の女性と結婚し、12人の子どもを儲けている。妻のソフィアは世界3大悪妻と言われているが、トルストイの思想や運動が理解できないので夫婦喧嘩が絶えず、不仲であったことからの定説である。映画でもふたりは絶えず言い合いになる。ソフィアは伯爵夫人として12人もの子どもを育ててきたのに、夫のトルストイは平等で博愛の「村」づくりに財産の全てを投入しようとしている。トルストイは妻である私や子どもたちを本当に愛しているのかとソフィアは心配しているのだ。

 男のロマンチィズムも女の自己や家族を守ることも秤にかければ同じだろう。けれども男は女の考えることは小さいと言い、女は男の考えることは現実無視だと言う。どこで分かり合えばいいのだろう。永遠に分かり合うことなど出来ないのだろうか。トルストイとソフィアが愛し合うことも出来なかったのかといえば、映画ではそうではなかった。ソフィアがもう少し寛大な心の持ち主ならトルストイはどんなにか救われたであろうが、それも男目線なのかも知れない。

 このDVDは長女のダンナが私のブログを見て、貸してくれたのだが、彼はなぜこのDVDを持っていたのだろう。トルストイの生き方に関心があったのか、夫婦のあり方に関心があったのか、それとも全く別のところに関心があったのだろうか。理想と現実、理想を追って原理主義に陥る者と理想に新しい解釈を見出そうとする者、そんな対立も描いていて、私には面白い作品だった。

コメント
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