友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

田中真紀子さんの発言を巡って

2012年11月08日 18時17分04秒 | Weblog

 田中真紀子文部科学大臣は3大学の新設について、11月2日に「不認可」と表明した。すると大学をはじめ与野党からも批判が続出し、6日には「新基準で審査する」と訂正した。そして昨日の衆院文部科学委員会で「現行制度にのっとり、適切に対応する」と発言し、記者団に対して「認可です」と答えていた。

 新聞やテレビの報道では、真紀子さんの暴走といった扱いが多かった。真紀子さんはあくまでも大学が多すぎること、認可基準が甘いこと、これでは大学の教育の質が落ちるとか経営が困難になるとか、つまり大学教育のあり方に一石を投じたかったのだと言う。そして「役所の壁は固くて高い」「役所主導を変えるには大変なエネルギーがいる」と話していた。

 官僚機構と戦う改革の女性戦士というイメージを見せたかったのだろう。「大学が多すぎる」「分数の計算も出来ない大学生がいるのは、大学教育の質が悪いからだ」「真紀子さんはよく頑張った。不認可と言わなければ問題提起は出来なかった」と評価する人もたくさんいる。小泉改革で大学の設置基準が緩和され、大学の数が増えたことは確かだ。真紀子さんの手法はよくなかったけれど、主張は正しいと共感する人は多い。

 私はヘソ曲がりなのか、大学の数が多すぎることにどんな問題があるのかと思ってしまう。大学の設置基準が甘く、大学がどんどん新設され、文部科学省の役人の天下り先が出来た。新設大学を筆頭に、大学には文部科学省のOBが必ず何人かいる。天下り先の確保のために大学が造られるのであれば、それは確かに問題であろう。しかし、数が多すぎるからという問題とは違うように思う。

 中学卒業者の100%近くが高校へ進学する。高校卒業者の過半数を超える人が大学や短大・専門学校へ進む。大学や専門学校が増えたからだ。なぜ、増えたのだろう。私たちの時代ではまだ、中卒や高卒の人たちがいた。その人たちが親となった。実社会は学歴社会だから、少しでも上の学校へ行かせたい。それが子どもの幸せにつながると思い、高校・大学へと進学させてきた。

 社会人の給料は学歴によって決まっている。働く人を雇う側では若年労働者が欲しいのに、高学歴者ばかりでは困るのだ。安い賃金を求めて海外に生産拠点を移すから、大学を出ても就職する会社がないのは当然のことだと思う。「大学が多すぎる」と困っているのは若年労働者が欲しい企業からの問題提起なのだ。

 私は大学が増え続け、大学生が増えることは自然の成り行きだと思っている。国民のほとんどが大学卒業者ばかりになれば、大学を卒業する価値もなくなるだろう。大企業に就職しても倒産したり、あるいはノイローゼになったりする。大学卒業が幸せにつながらないと思えば社会の価値観も変わるはずだ。大学に行きたいと子どもたちが思うのであれば行かせてあげればいいし、そうあるべきだと私は思う。

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