友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ブルガリア人と出会って

2012年11月03日 19時10分27秒 | Weblog

 11月1日は晴れたり曇ったりだった。前日から寒さが増し、この日も朝と夜は寒かった。講演に来てくれた先生と親しくなり、紅葉のハイキングに誘われた。美濃インターで降りて、板取川に沿って北上し、長瀬を過ぎたところで右折して、今度は片知川に沿ってさらに登って行った。次第に川幅は狭くなり、山が迫ってくる。片知渓谷である。ここまで来ると木々は色付いて、ブナの仲間は黄色くなり、ハゼノキやカエデは赤くなっていた。

 道路の舗装工事をするためなのか、行き止まりになったところに、工事用の小屋があり、若干の駐車スペースもあったので、工事の人に断って車を止める。先生の車にはブルガリアから来ているという数学者と大学で勉強中の学生が乗っていた。「nice meet you」と言われたのに、「こんにちは」と言ってしまい、慌てて「nice meet you」と言い直し、いや「私も」と言うべきだったのではと考えた。

 ブルガリアはヨーロッパでも東欧の国で、英語を勉強する機会はどこにあったのだろう。ふたりとも英語は日常会話のように流暢だ。数学者と先生は子どもの学力の話をしていた。もちろん英語での会話で、聞き漏らさないようにと耳を集中したけれど、単語ひとつも分からない。こうして外国の人が目の前にいるのに、話すことの出来ない悔しさを痛感する。私を含め日本人の多くが英語を学びながら話すことも出来ないのはどうしてなのだろう。

 そう思っていたら、「必要性がないからですよ」と言われた。日本語は英語を発音しにくい構造だそうだ。また、英語は右脳で日本語は左脳だとか、そういう違いもあるようだ。あるいは初めて習う英語教育が文法から入るので、それで分からなくて英語が嫌いになるとも言われている。けれども、私の友人の女性は60歳を過ぎて、韓国でホームステイしたことがきっかけで韓国語をラジオとテレビで学び、2級の試験に合格している。私の兄も高校生の時に、その頃は進駐軍だったアメリカ将校の家に押しかけていって話しをしていた。

 日本人の中にも、外国言語を学びやすい体質を持った人がいると私は思っていたが、「外国語しか話せないところに3週間いたら、誰でもその外国語が話せるようになる」そうだ。やはり必要性こそが言語の源泉かも知れない。次女夫婦がタイにいた時、ダンナはタイ人と話せなくては仕事にならないので、すぐにタイ語を覚え、日常会話は全く困らないほどだったのに、娘の方は日本人の友だちとばかり会っていて、タイ語を学ぶ気持ちがなかったようだ。

 さて、車を降りて山道を歩く。結構きついところもあり、汗をかくほどだった。高賀山の頂上まで800メートルと標識にはあったけれど、とても長い道のりに思えた。若いブルガリア人は体重100キロはあると言うことだったけれど、身体も大きく足も長いからスイスイと登っていくように見える。天候は曇ったり、霧のようなものが流れて来たりだったが、雨にはならなかった。頂上に着くと先客がふたりいて、ビールを飲みながら昼食を取っていた。

 私たちは車に戻って、途中にあった東屋のある広場で、登山隊が行なうように鍋料理を味わった。食事の後のコーヒーは格別美味しかった。先生は登山の時に使用する愛用のナイフでりんごを剝いてくれたが、ロープや肉を切るには剝いているかも知れないが、りんごを剝くには適していないのか形が不揃いになってしまった。宗教の話や子どもたちの学力の話、これからの世界経済の行方など話はいろいろと面白かったのに、直接話すことが出来なくて残念だった。

コメント
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